2−2.ヒトゲノム戦争の内情

 1. 発端
    1986年米エネルギー省ヒトゲノム研究開始
    1990年エネルギー省とNIH共同でのゲノム研究開始
      Human Genome Organization (HUGO)の設立; 代表 Watson in NIH
        米、英、仏、ドイツ、日本の研究者による研究協力体

     研究原則
       @ 結果の完全公開
       A 非営利

 2. 特許問題発生
    1991年6月 クレイグ・ベンター(NIH)が米特許商標庁(PTO)に、
             塩基配列を解析したDNA断片(脳の神経細胞由来)を特許申請
                    
     PTO;自然界に存在する塩基配列を   ⇒     ↓
         解析したのみでは認められない         

                                     ↓                         

                            1994年2月 NIH申請撤回
    
     PTO;1997〜1998年に特許基準を変遷、あいまいさを露呈する
           「DNA断片でも特許可能」(学会での発言)
           「産業上の有用性が認められれば許可可能」(米科学雑誌)


                                     ↓

     1998年10月  インサイト・ショック勃発
                インサイト社の申請したDNA断片に特許が認められた
                                

                                     ↓

    ベンチャー企業の遺伝子特許申請が激増、約7000件もの出願申請が世界各国に出願される
    1999年10月にはセレラ社によるほぼ完全なヒトゲノムの特許申請
                  
   特許取得に対する反対行動         

    1992年 WatsonがHUGOの代表を辞退、NIHがHUGOから事実上の脱退
              → HUGO事実上解散 → エネルギー省ゲノムセンターが中心
    

    1997年10月
         ユネスコによる「ヒトゲノムと人権に対する世界宣言」
             ---- ヒトゲノムは人類の遺産である ----
                 クローン作成の禁止、遺伝情報にもとずく差別の禁止    

    2000年3月  クリントン――クレイグ会談 → 失敗
    2000年6月26日 米英首脳の声明発表
         クリントン―クレイグ共同会見 + ブレア首相の衛星回線による参加

   * * 遺伝子に関わる個人情報の保護とは?

  3. 熾烈化する国家間の研究競争
        国家プロジェクトとしての技術開発競争    
        非営利とはいえ、民間企業の投資は制限外
  

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