論点2:
脳死の定義、脳死判定基準の信頼性的確性、および情報公開について どのように考えますか。

(1)(97J男)
 今まで絶対的だと思っていた「普通の死」も、しょせんは三徴候説というひとつの基準によるものと知って少しショックだった。つまり、ある線引きが長年使用されることによって絶対化してしまうということではないか? すると脳死の基準も今後絶対化していくということだろう。(すでになりつつある気もする。)
 

(2)(96J男)
 現在の脳死というものは自発呼吸がなく、全脳死していることであり、竹内基準という人の手で作られたルールにのっとり、また、それに医者の経験が依存されて判断されている。特に経験なんていうのは、人それぞれによって異なるのだから、人の死にも多少の誤差があるのではないか、死というものにばらつきがあっていいのかと何か不自然な感じに思われる。そして、蘇生限界点という医者が治療をあきらめる点があり、医者によってこれも判断されていることに人の死は医者の判断、医者の経験にゆだねられているんだなと思った。つまり、今まで培ってきた経験がものすごく重要であり、それにより、脳死に対する取り組み方、方法などがより洗練されたものになってくると思う。そのためには数多くの脳死に関する治療を行わなければならないが、国民に脳死をもっと深く理解してもらえるよう教育に取り入れたり、マスコミを利用したりすればよいと思う。理解なくして普及は難しいし、それに技術の進歩もないと思われる。
 

(3)(99J女)
 自分は、脳死は人の死ではないという考えを持つようになった。なぜそのように考えたかと言うと、一番の要因は判定基準に疑問を感じたからである。資料のプリントを見ると判定は数値ではなく、有無を書き込む方が多い。ということは判定をする医師の一存で決まることになる。これは大変危険であり、納得しがたいものである。したがって私は今、脳死に反対である。最初のアンケートで、一回目の移植が成功したから賛成すると書いたが、今考えてみると大変な知識不足で、世論に流されていたように思う。これからはもっと物事を認識してから自分なりの考えを持ちたいと考えている。
 
 
 



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