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一瞬ではない性の決定

ルイ・パストゥール医学研究センター 宇野賀津子

 ボーヴォワールは、「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」といわれない女性差別に対して性差はつくられたものであるとの名言を残した。女児が取っ組み合いの喧嘩をすれば、女のくせにといわれ、男児ならば男はそのくらい元気でなきゃといわれる。こうして「女」はつくられるといったのである。

 この言葉は社会運動論の立場からは多くの人に影響を与え、社会学的には大きな意味をもったが、最近の研究成果は、生物学の立場からは正しくはないことを明らかにしている。

 人間の性の決定は受精の瞬間にすべて決まってしまうと多くの人は思っているかもしれないが、実はそう簡単でない。確かに遺伝的性の決定は母親の卵管のなかで、卵子と精子が巡り会ったその瞬間に決まる。すべての卵子は通常の常染色体に加え染色体をもつが、精子の方はX染色体あるいはY染色体をもつ2種類が存在するので、そのどちらと受精するかで子供の性は決まる。X染色体をもつ精子と受精すれば女となり、Y染色体をもつ精子と受精すれば男となる。

 さて、受精の瞬間に遺伝的性は決まるのだけど実はそれで全ては決まるわけではない。受精後40日から60日ぐらいまでが、身体的な男と女の分かれ道である。胎児の40日ぐらいまでは男も女も区別がつかないが、発生分化の課程で、まずY染色体上の性決定遺伝子が働き精巣を分化させる。そして精巣からの男性ホルモンが最初は男と女の性器の基を両方合わせ持っていた胎児の生殖原基を、片方は発達、片方は退化させることにより、女あるいは男への内性器、外性器へと形作っていくのである。この場合人間を含む哺乳類にあっては女性方向が基本である。これは母親の体内すなわち女性ホルモンにどっぷりと浸かった中で発生成長する故に、哺乳類においては性の方向付けは男性ホルモンにゆだねられているのである。この時期が最も外部のホルモンの影響を受けやすい時期でもある。たとえば母親が流産防止の為に使った黄体ホルモンが、代謝の課程を経て男性ホルモンとして働き、生まれでた女児の外部性器が肥大していて、男児と間違えられることもある。

 一方、外見的には女性で、心の状態も女性であり、今まで女性として生きてきたが、実は遺伝子の上では男性遺伝子を持っていたというケースが少なからずある。精巣性女性化症という病気は遺伝子の上では男性でも、男性ホルモンの受容体を欠いているがため、精巣から男性ホルモンが分泌されても身体の方は反応できなくて、女性方向へと分化する。この場合女性として認定され、育てられることが多いが、思春期になって月経の発来がなく、この病気であると解ることが多い。以前この病気の人があるスポーツ大会で、セックスチェックで女性でないとメダルを剥奪されたが、その人は私は女性であると裁判をおこし、数年後に女性と認定され、メダルを取り戻したとの報告がある。

 このようにして身体の状態は男あるいは女に決まるのだが、まだ全ては決まっていない。心の性である。以前は子供は心に関しては白紙の状態で生まれてきて、生まれてからあとで男あるいは女の心をもつようになると、考える人がおおかったが、最近の研究ではヒトにおいては胎児の段階でかなりの部分が決まっていると考えられるようになった。母親の体内にいるとき、精巣からだされる男性ホルモンのシャワーが、大脳のレベルを男性方向へと方向づけていくことが明らかにされている。この男性ホルモンのシャワーが不十分だと心の性の男性化が十分でないということもあるらしい。第一次世界大戦直後生まれた(つまり大戦中母親の体内にいた)ドイツの男性で同性愛者の比率が有意に高く、これは母親のストレスが男性ホルモンの分泌に影響したのではといわれている。

 アメリカの性科学者J.マネーは、多くの性転換者の事例の研究から人間の性は生後18〜24ヶ月の間に決まると報告した。もう30年以上前のことであるが、この理論に基づきアメリカでは事故でペニスを失った男児を女として育てることがなされた。一時期この子は少しおてんばな女の子として適応したとJ.マネーにより報告されていた。しかし思春期に自分の性に疑問をもち始め、再び男性として生きていく道を選んだと、最近では報告されている。この事実も人の心の性の決定は生まれでる前にかなりの部分決まっているらしいことを、示唆している。

 このように性の分化については、遺伝的性、内性器(精巣か卵巣か)の性、外性器の性、そして心の性と段階を分けて考えるようになっている。

 でも、母親の体内からおてんとうさまのもとへ、生まれでたその瞬間に、助産婦さんは、ちらっと、おちんちんがついているかいないかを、瞬間的にみて、「まあかわいいい女の子だこと」あるいは「元気な男の子ですよ」というその一言で、その子の戸籍上の性は決められてしまう。多くの場合はそれでいいのだけど、ときどきは遺伝子の性とは一致しないこともあるということになる。

 埼玉医大の倫理委員会は同医大のジェンダークリニックから出されていたある性同一性障害者にたいする性転換手術(私は性の再判定手術というべきだと思うけど)の申請をごく最近認可し、近くこの人の男性化への手術が行われることが報じられている。いまやっと遺伝子・身体の性(セックス)と心の性(ジェンダー)の不一致が、障害として認知され、患者が望むならば、おまえは異常だからとカウンセリングにより心の性を変えようとするのでなく、心の性に体の性を一致させる方向が治療法としてよい場合もあると認められたのである。性同一性障害とは心の性が、身体の性およびそれに属する社会的文化的性別に適応できず、様々な葛藤が生じている適応障害であり、その苦しみを取り除くために、欧米では50年以上前から手術を含めた治療を行っていた。今やっと日本でも、医学的には認知されたのである。でもまだ法的問題が残っている。日本には性転換法がなく、このヒトの戸籍上の性が女から男に変えられるには、法律家の固い頭をもう少し柔らかくする必要があるようである。

 性を男と女の単純な二分法で考えるのでなく、多様な性のあり方を認める社会は、もう少し生きやすくならないだろうか。また一人一人が心の内に持つ理想の女性像や男性像からの解放もまた重要と私は考える。


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