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愛知大学『経済論叢』152号、2000年2月発行 人間性と暴力 |
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目 次 1.はじめに人間性(Menschlichkeit)とフマニテート(Humanität)をここでは同じ意味で用いることにします。これらは人間を人間たらしめる精神的基準、価値、および態度様式の構成を表わしますが、同時にまた人間の本性と文化の脆弱性をも表わします。人間の体質的な開放性と非閉鎖性とから彼の可能性と危険が生じます。もし人間の世界がこれからも保持されるべきものだとすれば、どのようにしてそれらと付き合っていけば良いのでしょうか? その答えは人間性と暴力との関係についての議論を前提としています。人間性という概念と同じように、暴力という概念もアンビヴァレントなものです。暴力なくして私たちは生きることができません。一方では暴力は、女優テレーゼ・ギーゼTherese Gieseがかつて語ったように、好ましいものであることもあります。この時に彼女が念頭においていたのは、弱者・子供・女性・老人たちの必要とする防護的暴力のことでした。暴力はしかしまた、私たちが十分すぎるほど経験しなければならなかったように、加害的、破滅的でもありえます。 私は二つの概念を実体概念としてではなく、機能概念、関係概念(Cassirer 1910, 1938)として理解します。「人間とは何か?」という問題よりも、むしろ「人間は何をなし得るか? 外的現実および内的世界に対する彼の関係はどのようなものであるか? 人間の可能性と限界とは何であるか?」という問いについて論じようと思います。この場合に私が取るのは懐疑的態度です。すなわち、慎重に、忍耐強く、物事を問う態度であり、一方ではヘルムート・プレスナーHelmuth Plessnerやカール・レーヴィットKarl Löwithの哲学的人間学から、他方では救済待望を放棄する限りでのカール・マルクスKarl Marxの唯物論的歴史理解、マックス・ヴェーバーMax Weberの理解社会学、ジークムント・フロイトSigmund Freudの精神分析から容易に推測されるものです。 人間性と暴力との連関は多様で矛盾したものであるということが明らかになるであろうと、私は推測しています。私の理解では、人間性と暴力についての探求の目指すところは人間の条件(Conditio humana)の病理学です。以下において私はドゥヴロ(Devereux 1972)の意味で、相互補完的方法、すなわち社会学的・歴史的データと心理学的データの相互依存性の考察から出発することにします。 2 人間性人間性という概念は人間の創造力を示すものですが、しかしまた彼のもろさと弱さをも示しています。この概念を用いて、私は人間を自然的類および歴史的現実として把握しようと思います。この見方は観察的なものです、すなわち、私はまず判断および行動指示といったものを後回しにすることにします。その代わりに、純粋な知的好奇心から来るところの見地と洞察とを働かそうと思います。観察的という言葉を懐疑的という言葉に置き変えることもできましょう。懐疑家とは、自分が
を知っています。 おそらく信仰と懐疑とは相容れないものです。キリスト教が好奇心を新しい事物への欲望として退けたのも偶然ではありません。これに対してカール・レーヴィットはヘロドトスのペルシア史に注意を喚起しています。その中で王クロイソスは賢者ソロンに向かって次のように語っています。「聞くところによれば、そなたは哲学しつつ多くの国々をただテオーリア[theoria:見ること]のために巡り歩いたということだが。」レーヴィット(1960. 316)はこの記述を次のように注釈しています。「これは、ソロンが旅行中に哲学の歴史に関するある書物から取ってきた意味深長な諸問題について思索を巡らしたということを意味しているのではなく、彼が諸国を見ることと知ることのために旅したということを言っているのである。ヘロドトスも彼なりの仕方で哲学しつつ探求する旅人であったが、その際にウランとか油田を発見し、技術的に発掘しようとしたわけではない。彼が小アジアを巡り歩いたのは、これまで自分が見たこともない事物を見ることに喜びを感じていたからであり――『好奇心』からと言えば、このテオレイン[theorein:見るという行為]を明確にすることができよう。」 キリスト教は懐疑的・観察的態度というものを敬虔な沈思を重んじるがゆえに退けます。この態度の気分が驚き見つめるということだからです。同時にキリスト教は、世界を実際に役立ち得るものへと還元するのです。資本主義の進歩信仰は聖書的立場の一つの帰結であり、社会主義の救済待望はいまひとつの帰結です。断固かつ決定的に、キリスト教は、人間は自然の最高の所産であるというギリシア的考えと決別したのです(Löwith
1960, 社会科学においても、人間の生の自然的諸条件がないがしろにされています。人間の本性が操作可能であると思われるところでしか、これに関心が寄せられません。精神分析に対する拒絶反応が何よりもその本能理論に対して向けられるのも、偶然ではありません。というのも、これは人間が哺乳動物であるということ、すでにニーチェ(Nietzsche 1886, 623)が知っていたように、おそらく人間は突き止めがたい動物であるということを思い出させるからです。多くの批評家がフロイトによる生物学に対する高い評価を「反動的思想」だと告発しています。実際には、それは解放的力を強化するものです。「それは[とトリリングは言っています]、文化の全能に対する反抗とその修正とを意味する。我々は子供のどこかに、そして大人のどこかに生物学的衝動、生物学的必然、生物学的原因という強固な還元不可能な反抗的な核といったものが存在することに気づく。文化がこの核に辿り着くことはできない、この核は、それ自身の方から文化を裁断し、文化に反抗し、文化に修正を加える権利を留保していて、この権利を遅かれ早かれ実行に移すのである。」(Trilling 1990, 292) 人間は自然の存在であると同時に歴史へと定められています。レーヴィット(1957, 265)とともに私も、「自然は生きとし生ける存在のすべてを自らの内から生み出し、開花させ、再び衰退させ、滅びさせる」というギリシャ的な考えを正しいと思っています。ここから人間の自然規定性及び類としての統一性とが来ています。ただ人間のみが人間を生み出すことができるのです、「しかし、[彼には]動物を生み出すことも、神を生み出すこともできない」。「人間は――肌の色、姿形、習慣や考え方において――いかにまだ差異があるとしても、動物的存在でもなければ、神的存在でもなく、人間的存在であるという点については疑問の余地はありえない。『動物のように』粗暴化した人間、あるいは単なる『植物と化した』人間もまた、常に人間の可能性のひとつに過ぎない。」(Löwith 1938 244) 自然の存在として人間ははかないものです。彼の生は、誕生、成長、成熟、老齢、死によって定められています。これらすべては、早めることもできれば遅らせることもできる自然的過程です。人間の不死性ついては私たちは何も知りません。せいぜいそれを信じることができるだけです。人間は自然に依存しています。逆は当てはまりません。自然は人間を必要とはしていないのです。 他の動物たちと人間は直立歩行によって区別され、これによって人間に目と手の領域が開かれます(Plessner 1961, 169ff.)。彼に生来備わっている言語は、問うという語りのすばらしい方法(Löwith 1957, 284)を可能にし、象徴的世界像の構想(Cassirer 1923)を可能にし、人間に「いっさいの自然的与件、彼自身の自然的与件からも距離をとる」(Löwith ebd. 285)力を与えるのです。つまり、彼は器質形成の普遍性のゆえに、「動物とは違って、あらゆる地域で、どのような気候においても生きることができ、夜を昼となすことができ、……それどころか、鋼鉄のカプセルに乗って月の周りを回ることもできる」(ders. 1975, 338ff.)のです。しかし、自らの自然規定性から人間は逃れることはできません。彼は自ら糧を得なければならず、病に脅かされます。彼の生は覚醒と睡眠の交代のうちに過ぎていくのです。人間の自然規定性というこの根本的現象を明らかにするために、レーヴィットはエルヴィン・シュトラウスErwin Straus(1965, 279ff.)の著書『感覚の意味について』を引いてきます。この著書でシュトラウスは、私たちが目覚めているということは起きていることである、とを強調しています。意識・思考・行動は覚醒状態と結びついています。眠っている時には、やがて目覚めて他者と共有する世界へ戻って行くまでの間、人間は自己自身の中へと退却し、夢の世界に生きるのです。 これまで人間の本性が変化することはありませんでした、しかし恐らくは人間の環境世界と自己理解とが変化したのです。この変化は人間自身が引き起こすものです。しかし、それは計画通りに起こるわけではありません。ほとんどいつも、歴史的主体が生み出すのは、自分が想定したものとは別のものです。歴史的主体は自然的・歴史的与件に縛られていて、これら与件の連関とその矛盾する相互作用を不完全にしか見通すことができません。こうして事象は歴史的主体の手から再三逃れてしまうのです。彼らは自らが動かされているのに、自分が動かしていると信じています。自分が媒介されているのに、媒介しているのだと考えています。計画とか運命が歴史的過程を決定するのではなく、これを決定するのは複雑に織り成された自然的・心理的そして社会的諸力です。レーヴィット(1960, 297)は問いかけています。誰がいったい「まだヘーゲル、ディルタイ、クローチェと同じように、歴史を教養人の『最後の宗教』などと信じることができようか? この信仰、すなわち進歩信仰の基盤は、まずその超俗的な形式が、次にその世俗的な形式が粉砕されてしまったというのに。」 マルクス主義もまたそれがヘーゲルに由来し、弁証法的・構成的・神学的志向性を持つ限りにおいて、しかもトレルチTroeltsch(1922, 25)が言っているように、「哲学的に最も暗い時代に、歴史哲学を……(未来に)希望を抱く国民大衆の慰めとして」高く掲げた限りにおいて、その説得力を失ったのです。 更にいくつかの点から、自然的世界が一つのシステムであり、一つの構造体であり、それゆえに秩序を備えていると言えるとすれば、歴史的世界、人間世界はまったくのカオスに見えます。人間の知の擁護を義務と感じていた二人の研究者、ジークムント・フロイト(1937, 72)とマックス・ヴェーバー(1922 随所で)が、自分たちの学問の課題は世界のカオスに秩序をもたらすことである、と考えたのも偶然ではありません。人間はなるほど理性的動物(animal rationale)、すなわち理性を備えた動物であります。しかし、彼が理性に導かれることはめったになく、あまりにもしばしば理性を不合理な性向に奉仕させてしまいます。もし思惟が行為を導くとすれば、それは現実を変えることも出来るでしょう。しかし、その(思惟の)指導的力はあまりにもしばしば、私たちの無意識の本能的欲求や動機といった衝動に比べて、微々たるものにすぎません。「すべて……無意識的存在が目指すのは意識化である」と仮定しても(とレーヴィットは言っています)、「依然として真実全体の他の一半もまた、これに劣らず真実であることに変わりない。すなわち、その一半とは、我々が自覚的に覚醒状態の内に生き、実存している間も、大抵のことはそれと自覚することなしに起こり、ほとんどの場合、肉体を具えた人間の自然性が彼の自覚的な実存の中へどれほど深く、どれほど遠くにまで達しているかを知らない、という真理である。植物的器官と動物的器官の諸問題のすべては、人間においても生涯意識されないままに、それゆえに大いなる確実性をもって起こる」(Löwith 1975, 341)。 人間の自然規定性のひとつにはまた、彼の人間性、彼のフマニテートがあります。これについてヘルダー(1793-1797)は、たとえ我々の種の性格が生来のものであるとしても、これはまず教養されなければならないものである、と語っています。ヘルダーが問題にしているのは人間の内なる声、人間のダイモーンのことです。もしこれが人間性を備えたダイモーンでないとすれば、私たちは人間という名の厄介者(27. Brief)だということになります。彼は人間を理想化することを諦め、次のように記しています。「人間は大地のものであり、壊れやすく、はかない息吹を吹き込まれた粘土作りの小屋である。生は一つの影であり、地上の労苦がその運命である。」この洞察は必然的に人間性へと通じています、「すなわち、自分の同胞の苦悩を哀れみつつ抱く共感、その本性の不完全性に対する関心へと(向かい)、これに先んじ、あるいはこれを除去しようと欲する」のです。自己保存と並んで、ここから、「私たちの同胞の弱者のもとに駆けつけ、彼らを自然の悪に対し、あるいは彼ら自身の種の粗暴な情熱に対して守る」(28. Brief)という義務が生まれます。フマニテートおよび人間性についてのヘルダーの思想は、従って、魂の修練に対する要請へと通じています。 3 暴力
加害的および防護的暴力暴力という概念は多義的です。もし私が暴力を、それを喜ぶことのできない何かとして語るとすれば、その時に私が考えているのは、私たちの誰もがしばしば体験し、見聞きしてきた加害的暴力のことです。私は、ある日、1942年頃のことですが、ドイツ少年団の小旗をもってピルナのゼミナール通りを行進していた時のことを思い出します。先頭には大旗が運ばれていました。一人の労働者が歩道を走っていて、当時要求されていた旗への敬礼を怠りました。私たちの小旗隊隊長は――彼は18歳で、その後程なくロシアで戦死しましたが――その労働者に近づいて行くと、彼にビンタを張ったのです。私は羞恥に襲われました。労働者は自分を守ることも出来ませんでした、そして、私も彼を助けることが出来なかったのです。その時から旗を持った隊列に出会うと、私はいつも回り道をするか戸口に身を隠しました。 暴力が防護的であるがゆえに喜ばしものであり得ることを、私は同じように経験したことがあります。11歳の時、私は一度母をひどく怒らせたことがあります。もともと私たち子供をぶったりしないで育てようと努力していた母が、私に手をかけたのです。私は寝室に逃げ込みました。彼女はそこまで私の後を追いかけてきて、父が私を守ろうとして間に入るまで、さらに殴りつづけました。私は母のことをとても愛していましたから、すぐに彼女の加害的な暴力のことを忘れてしまいました。何十年も経ってから、姉が私にそのことを思い出させました。多分私の記憶の中に、この事件に対する自分の「罪」がこびりついて残っていたのでしょう。 とりわけ学校やヒトラーユーゲント、勤労奉仕の時に、私はしばしば加害的暴力を体験しましたが、防護的暴力を体験することはまれで、解放的暴力にいたってはほとんど経験したことはありませんでした。そして今日に至るまで、私は常にまた暴力行為の目撃者でもありました。人間は善であるという信仰を私は自分のものにすることはできませんでした。にもかかわらず、私は人間嫌いになったわけではありません。むしろ私は、多少とも善良であり、自分自身や他人を気づかう能力を展開することが、私たちにとってそれほど困難ではなくなるような諸条件を探すようになったのです。 逆転移の分析のために、これだけのことを申し上げておきます。心理分析においてだけでなく社会研究においても、分析者もしくは研究者が被分析者あるいは研究対象に対して示す情緒的反応の研究がこう呼ばれています。それらは、もしそうした反応が匿されたままであれば、現実認知を歪めることにもなりかねません(Devereux 1967, Kap. V)。逆転移の分析は容易ではありません、と言うのも、それは常に自分自身の弱点の発見と同時並行的に行われるからです。 暴力の諸形式私には暴力の形式の豊かさをくまなく呈示することはできません。この探求の認識目的としては、肉体的・心理的・構造的暴力を区別するだけでさしあたっては十分だと思われます。この節を始めるにあたって、私は暴力(Gewalt)と攻撃(Aggression)という概念を互に関係づけてみたいと思います。これらはしばしば同義語として用いられます。Aggressionという語は、ラテン語のaggressio、「攻撃」から来たものです。これに属する動詞aggrediは、「だれか、あるいは何かに立ち向かう、飛びかかる、掴みかかる、襲いかかる」(Pfeifer)という意味です。「暴力」および「攻撃」の語場を比較すると、後者ではダイナミックな要素が、前者ではスタティスティックな要素がどうも支配的らしいということがわかります。人は自らの暴力(Gewalt)、力(Kraft)、権力(Macht)の内に「安らう」ことができます。攻撃、攻撃者、攻撃的、攻撃性という語から私たちが連想するのは、苛立ちの状態です。暴力という概念は社会学とある種の親密関係にありますが、Aggressionという概念の方はむしろ心理学を指し示しています。ここではAggressionは情緒ないしは欲求に基づく人間の攻撃態度と定義されています。特に精神分析においては悪意、憎悪、復讐、他者および自己を苦しめたいといった感情がAggressionに分類されます。私はここでは両方の概念を用いることにします。暴力を問題にする場合に私がまず第一に注目するのは、社会的ディメンションです。攻撃性の場合には私は何よりも心理的領域に関わることになります。Aggressionの同義語として、私はまた暴力行為という語も用います。心理的なものと社会的なものの力の場は互いに弁証法的な相互関係にあるというのが私の前提です。これがどのような方法的帰結をもたらすかについては、第三章で論ずることにします。 肉体的暴力:日常語では、暴力という言葉はまず第一に肉体的暴力を想像させます。教育における鞭打ちの罰、女性及び弱者に対する暴力、世間における暴力、軍隊および警察の暴力などです。これは学問にも反映しています。マックス・ヴェーバーの定義を思い起こしてください。「力(Macht)とはある社会的関係において自分の意志を、たとえ抵抗に会っても貫徹するすべての可能性を意味し、この可能性が何に基づくかということとは無関係である」(1993, 38)。Machtのかわりに、この場合しばしばGewaltという言葉が用いられます(例えば、Böhnisch u. Winter 1993, 39)。しかもこれには、私が指摘したように、語源的に十分根拠があります。マックス・ヴェーバーは書いています。「政治的団体は、その存続およびその規律の妥当性が、行政部門からの物理的強制力の使用とこの力の威嚇とによって、明確な地理的範囲内で持続的に保証されている場合には、しかもその場合に限って、支配団体と呼ぶべきである。国家は、もしその行政部門が規律を貫徹するために合法的・物理的強制力の独占権を首尾よく獲得する、その場合に限って、政治的企業体と呼ぶべきである」(ebd. 39)。ついでに言いますと、ヴェーバーはここでは権力者が合法的物理的強制力の独占権をうまく貫徹できなかった封建主義の政治的システムと資本主義的国家とを区別しています。この区別は、社会を再び封建化しようとする傾向が政治的に重要な意味を持つようになれば、――その兆候として、企業警察、政治諸党派および秘密結社の準軍事的諸団体、武装化した自衛組織といったものがすでに目につきますが――再び重要性を持つことになるかもしれません。 マックス・ヴェーバーから出発して、ノルベルト・エリアスNorbert Eliasは、「文明化の過程」(1939)は社会の内的満足の絶えざる進歩へと向かう、と考えるに至っています。エリアスがその主著を著したのは第二次世界大戦前でした。この戦争で起こったこと――すなわち、ショア――は、当時の彼には想像もできないことでした。しかし、多少修正されましたが、彼の『ドイツ人論』(1989)、特にその第三章「文明と暴力。国家による肉体的暴力の独占と侵犯について」における彼のテーゼの記述は、私には幾分楽観主義的にすぎるように思われます。確かに例えば1830年から1914年に至る西ヨーロッパのブルジョア法治国家の時代は、言うなれば「歴史の輝ける時」でした。しかし、その時代は、生えぬきのごろつきどもを植民地へ輸出することによって獲得されたもので、植民地において彼らは被抑圧民族に対して好き勝手に暴れまわったのです。(サロモン=ドゥラトールが言うように)「外に向けては略奪国家、内に向けては法治国家、これが近代国家世界の合言葉である」(Salomon-Delatour 1959, 16)。フロイトはすでに1915年(329)に、国家による暴力の独占の否定的側面を指摘しています。彼は書いています。「国民一人一人はこの戦争において、すでに平和時に時折明らかになろうとしたことであるが、国家が個人に不正行為を用いることを禁じたのは、それを廃絶しようと望んでいるからではなく、塩や砂糖のように独占しようとしているからだ、と知って驚くかもしれない。戦争を遂行する国家は、個人の場合であれば名誉失墜ともなりかねないいかなる不正をも、いかなる暴力行為をも躊躇しない。国家は許されている策略を用いるばかりでなく、自覚的な虚偽、意図的な欺瞞をも敵に対して利用するものである。しかも、これまでの戦争の慣習を越えるかと思えるほどに、これらのものを利用するのである。国家は徹底的に従順と犠牲とを国民に要求するが、過度に情報を秘匿し、情報の伝達および意見の表明を検閲することによって、国民の行為能力を剥奪し、知的に抑圧されている人々の気分をあらゆる不利な状況、あらゆる猥雑な噂に対して無抵抗にする。」つまり、内に向けても法治国家は依然として未完成だったのです。私たちがブルジョア的法治国家と言う場合、それはブルジョア精神が国家に浸透したからだけではなく、ブルジョアが国家において優位を確立することができたからでもあります。ブルジョアはこのために私有財産の保護と公共福祉説を利用しました。この説はしかし、官僚国家の命がけの嘘です。と言うのも、敵対的な社会にあっては公共福祉に関して意見の一致などありえないからです。にもかかわらず、不利益を蒙る社会層、俸給に依存する人々の集団、失業者、支配層に属さないその他の少数者も、非法治国家に比べれば法治国家のほうがうまくやって行けます。ブルジョア法治国家は価値ある成果であり、今日まだ多少とも無傷でいられるような政治システムに生きる市民は、この法治国家を弁護すべきでありましょう。我々の連関においては、ただ厳格な法治国家性だけが国家的暴力の独占を十分に正当化することができる、という点に注意することが重要であります。法治国家性の基準としては次のような原則があります。すなわち、Nulla poene sine lege「法なき処罰なし」およびIn dubio pro reo「疑わしき場合においては被告に有利に」と言うものです。この第二の原則については、私の考えでは、社会裁判所および行政裁判所の手続においては補足が必要です。すなわち、ここでは疑わしき場合には社会的弱者の側に立って推定すべきである、と。 法治国家性が保証され得ない場合には、国家による暴力の独占は、確かに、国家機構の決定権を掌握する権力集団の危険な道具と化すことになります。しかし、法治国家の諸条件下において、暴力の独占が完全に国民を保護し、しかもその人格的不可侵性だけは侵すことのない機能を有することもありえます。権力者がそれをどのように解釈するか――暴力の独占はもっぱら武装的暴力にのみ関係し、象徴的暴力とは決して関係しません――しかも、権力者はそれを用いて何をなすかという問題は、つねに熟考に値する問題です。 心理的暴力:エリアスは『文明化の過程』を比較的楽観的に記述していますが、それは、彼が実際にはブルジョア法治国家の体質に並行して現われるところの国家による物理的暴力の独占過程に特に注意を集中しているからだけでなく、心理的暴力の構成要件を無視しているからでもあります。もちろん彼は、文明化過程の社会的起源だけでなく、その心理的起源をも記述しようと意図したのですが。心理的暴力行為は物理的暴力に比べてそれほど目立たちませんが、しばしば後者の原因となる場合があります。 すでにカインによるアベルの殺害がこのことを証明しています。「アダムは妻エヴァを知った。彼女は身ごもって、カインを生み、その時こう言った。私は主のおかげで、一人の子をもうけた。くわえて彼女はアベルという弟も生んだ。アベルは羊飼いになり、カインは地を耕す者となった。時を経て、カインは主への供え物として地の実を捧げた。アベルもまた家畜の初子とその脂を捧げた。主は、アベルとその供え物をご覧になったが、カインと彼の供え物には目を向けられなかった。」 神を人間の父親に移しかえれば、恥辱と罪の弁証法の相互心理的な実態について多くのことがわかります。父親は兄よりも弟をひいきにします。カインは激しい恥辱に襲われます。その時主はカインに語りました、「なぜ、腹を立て、目を伏せるのか。お前が正しい行いをしているのならば、顔を上げればよいではないか。そしてもしお前が正しい行いをしているのでなければ、罪という悪魔がおまえの門の前を窺っているのだ。」父親は、農夫の家系にしばしば見られたことですが、長男にその座を奪われるのを恐れているのでしょうか? 不信に加えて、主はさらに道徳的呼びかけを行います。「彼(罪という悪魔)はおまえを征服しようとするが、おまえこそ彼に勝たねばなるまい。」しかし、この呼びかけは何の効果もなく、カインはアベルを殺害します。古代ユダヤ人たちはこうした経験やこれに似た経験から、次のような道徳を導き出しました。「侮辱は肉体的な苦痛よりも悪しきものである。」そしてまた、「誰かを公然と辱めることは、血を流すことと同じである。」というものです。破壊的暴力の歴史は罪の歴史であるばかりでなく、恥辱の歴史でもあります。過度の恥辱感・罪悪感は、私たちが特に教育や親密な関係、政治などに見るように、トラウマ起因性の態度を引き起こします。個人および集団が恥辱を受け、尊厳を奪われるところでは常に、恥辱は恐怖の道具と化すのです。 性差による暴力の区別といった議論には、ここでは立ち入らないことにしたいと思います。ここではただ、私にとっては暴力はかならずしも「男性の顔」を備えているとは思えない、とだけ述べておきましょう。暴力はヤーヌスの顔を備えています、つまり女性の顔をも備えているのです。多くの女性はその「男性的」欲求を自分の息子に投影し、「父権制の代表」(Reinke-Köberer 1978)となります。逆に多くの父親は、その処罰権を母親に委ね、母権制の代表となります。物理的暴力は、その犠牲となるものに対する肉体的優勢を前提とします。従って、それは男性によって女性および子供たちに対して行使される場合の方が、その逆の場合よりも頻繁です。他方、心理的暴力はしばしば肉体的弱者の武器であり、女性や子供ばかりでなく、男性、たとえばイデオロギー・哲学・宗教的教義などの告知者としてみずからの政治的・社会的無能を補い、他の人々を自分たちが絶対的善とみなすものに屈服させ、その犠牲にしようとする男たちの武器でもあります。究極的には、「全体の支配」を目指すあらゆる試みは、「軽蔑と絶望の哲学」に向かっただけでなく、この哲学に相応しい実践(Camus)へと導いたのです。 構造的暴力:物理的および心理的暴力は、直接人間によって人間に対して行使されます。[これに対して]構造的暴力は間接的に作用します。それは社会的、経済的、文化的状況に左右されます。ハインリヒ・ツィレHeinrich アンソニー・ギデンスAnthony Giddensは「社会システムの構成要素……を、個人にとってはそこから逃れることもできず、その中では行動する者が自由に動き回ることのできる……部屋の壁」と比較しています。もし「構造論的社会学」が――とギデンスは言います――この「行動の自由」を残された未解明のカテゴリーとして扱うとすれば、これは自分の構造化理論においては構造の構成素として現れる(1988, 227)、と。ギデンスが出発点としているのは「支配の弁証法」です。これは、服従者に「ある程度の資金を自由に」使わせ、それによって彼らが「自分たちよりも優位に立つ人間の活動に影響力を及ぼすことができる」(67)ようにさせよう、というものです。彼が典拠としているデュルケームは、その初期の著作において「社会化の限定要因を特に強調し(ましたが)、後年になってしかし……社会化は強制力と可能化を融合すると(考えました)」。この事態を彼は母国語を例にとって説明しています。その習得は主体の「同意」といったものを前提とするが、「誰にも自分の母国語を『選択する』ことはできない。いかなる言語も、すでに形成された、規則に導かれた一連のモデルに基づいて構成される限りにおいて、思考(および行動)を制限する。それゆえに、言語の習得過程は思考と行動にある種の制限を設けることになる。他方ではもちろん、言語の習得が個人の認知的・実践的能力を途方もなく拡大する」(224)。 ギデンスはMachtを強制力の源泉としてだけでなく、物事を実現する手段としても見ています。(彼は言います)「Machtは明らかに可能化であると同時に強制でもある。Machtの制限的局面は、力もしくは暴力の直接的行使、あるいはそれを投入することによる威嚇から拒絶という穏やかな表現形式に至る、様々な種類の制裁として経験される。」これは正しい。しかし、制裁が、「それに晒されている人間がまったく抵抗することができないような」こうした強制という形式を取ることは「実にまれである」、というのは残念ながら正しくありません。多くの人間は、しばしば、生か死かといった選択の余地などもはやなく、せいぜい肉体的死か心理的死かという選択の余地しか持たない極限状況下で生きなければなりませんでしたし、現在も生きなければなりません。ブルーノ・ベッテルハイムBruno Bettelheimの極限状況の理論(1979, Teil 1)を思い出してください。この理論の経験的背景にはナチスの絶滅収容所だけでなく、精神異常をきたした子供たちの事例報告があります。 4 ひとりでいられる能力と気遣いの能力人間は自然規定的であると同時に世界に開かれています。自然的世界の中で、彼は自分自身の世界を作ることができます、すなわち、人間世界、第二の自然、文化および技術の世界です。彼の想像力が創造力に拍車をかけます。彼は自分が想像することのできるものを、同時にまた作り出そうとします。他の哺乳動物と違って、彼はなるほど本能に守られてもいなければ、(ニーチェの言うように)「確定され」てもいません(Nietzsche)。このことが彼を新たな限界へと誘うばかりでなく、無制限へと向けて限界を踏み越えさせようとするのです。彼は「自らを神と見なす哺乳動物」(Grunberger)であります。彼がこの自己過信に従う時、ギリシア神話の主人公イカロスのように、破綻の危険に陥るのです。イカロスの父ダイダロスは彼に蝋でできた翼をつけてやり、あまり高く飛んではならないと忠告しました。天に近づきたいと願って、彼は太陽近くにまで飛んだために、その翼は太陽の熱で溶け、海に墜落してしまいます。人類が同じような運命に向かって進んでいるのかどうかはわかりません。しかし、それもありえないことではありません。 こうした脅威に何を持って立ち向かうことができるのでしょうか? ここでは、私は、児童分析家ウィニコットWinnicottの二つの指摘を追うことにします。彼は自分の理論の中で、ひとりでいられる能力と気遣いの能力を強調しています。 ひとりでいられる能力は相対的な自律性を可能にします。この能力を行使すれば、私たちは時代精神に敬意を払うことができます。必要な場合には、それに逆らうことによってもです。ウィニコットは「この能力は人間の成長において最も重要な成熟の徴の一つである」(ebd. 気遣い能力の発達についてウィニコットは1963年に書いています。彼は「否定的には『罪悪感』(guilt)と呼ばれる現象を、肯定的に表すために」関心(concern)という語を用いています。「罪とは不安であり、アンビヴァレンツの観念と結びついていて、善なる客体というイマゴ(Imago)の保持とその破壊表象とを同時に可能にするところの、個人的自我におけるある程度の人格の統合を前提とする。気遣いは更なる人格の統合、更なる成長を前提とし、それは積極的に個人の責任感情と関係している。とくに本能に入り込んだ諸関係については。 5 情熱と懐疑ヘルムート・プレスナー(1968, 338)と同様に私も、私たち人間はひとつの定言的接続法に依存している、と考えています。私たちは自我を、そこから私たちの衝動のすべてが生まれ、そこへすべての視点が収斂する場所として経験します。私たちは自分を一方ではかけがえのないものとして、他方では代替可能なものとして体験します。私たちのかけがえのなさゆえに、私たちは高慢となりがちです。私たちの代替可能性のおかげで、誰もが数知れない多数のうちの一つの事例にすぎないことを知ることができます。これが私たちの高慢をイローニッシュに打ち砕き、自分および他人に対して宥和を進んで求める、慎重でしかも寛大な距離を獲得するチャンスを与えてくれるのです。 プレスナーは自我の立場のパラドックスを問題にしています。彼がその場合に考えているのは、社会的立場というものは他人が自分と同じように埋めることのできる空位であるということです。同時に、すべての人間には、彼のみが所有し、しかも彼そのものであるところの内的ディメンションが備わっています。精神分析的に言えば、各人の内的世界は絶えず社会的現実と対決せざるを得ません。「個人的主観性と一般的主観性すなわち間主観性とは互を含意している。個人として代替不可能である人間は誰もが、いつ代替されるかもしれないという状態にある。もしかしたら彼ならばできるかもしれないが、やはり彼にはできない」(ebd. 自我の主観性と間主観性との間の緊張の結果、いかなる個人も「所詮はいま自分があるようなものであることには満足できない――成り行きに身を任せ、諦め、自分を放棄するのでなければ」(ebd.)。人間が環境拘束性と世界への開放性との間の交差から生ずるこうした不満を回避する仕方は、実に様々です。私たちの特異な立場のゆえに、私たちは自己を振り返ることができますが、しかしまたそのために不足感をも抱くのです。この感情は、しかしまた、それがあまり強すぎなければ、私たちの創造力(生産力)を挑発します。だから私たちは、「確かにそうなればいいのだが、しかしそうはならない」という諦めに対して、次のような問いを対置するのです。不可能なことがそれにもかかわらずもし可能となるために、私たちは何をしなければならないのか? こうして定言的接続法は定言的疑問法に変わるのです。 自分の個の自覚が汲み尽くすことのできない計り知れないエネルギーを人間にもたらすことがあります(vgl. ebd. 342)。かけがえのない存在であるという感情は、多くの人々に全能と無力の感情を呼び起こします。ドストイェフスキーのラスコーリニコフだけが「俺は一人のナポレオンなのか、それとも一匹のしらみなのか?」と自問したわけではありません。獣性と天才性とはむしろ親密な隣人関係にあります。人類は「ただ自分の義務を果たすだけ」にすぎない幾多の人々、慎ましやかな人々、心満たされた人々に依存しています、しかしまた、不安を引き起こす人々、心の満たされない人々、そして改革をめざす人々にも依存しているのも真実です。「むしろ彼らに」とヘルムート・プレスナーは書いています、「人類は一層依存している。むしろ人類は彼らを通して、自らを行為へと駆り立てる情熱という(自己の運命を)決定する力へ至る。彼らはすでに確立されている秩序を危うくするが、しかし、それは必ずしも個人的な名誉欲からではなく、むしろ事柄に対する愛情からであり、幻想の魔力に魅了されひとつの着想に呪縛されて、不正に対する怒りに駆られてである」(ebd. 344)。こうして最後に私は情熱と懐疑の弁証法に思い至るのです。 情熱と懐疑とは、愛と憎悪と同じように対立的に結びついているように思われます。もちろん、それらは心理的起源からすれば、後者に較べて互いに異なっています。愛と憎悪という本能的力はエスに発するものです。情熱についても同じことが言えます。私は懐疑を、物事を見つめ問う態度として理解していますが、その限りでそれは自我の働きです。しかし、それは必ずしもいつも、一方ではエスの本能的欲求に対して、他方では超自我の支配欲に対して守られているわけではありません。しかし、懐疑は自我の働きとしては、情熱とよりもむしろ冷静さと結びついているように思われます。他方では、私たちは情熱がなければ懐疑的である必要などまったくないでしょう。動物は環境に拘束されているがために、懐疑や情熱から免れています。人間は世界への開放性のゆえに、自らの情熱に身をまかせ、しかもこれを統御せざるを得ないのです、つまり、自己に対しても他者に対しても懐疑的にならざるを得ないのです。論文「本能と情熱」でヘルムート・プレスナーは書いています。「動物は自らに拒絶されているもの、すなわち飢えと渇きに苦しみ、自らの本能を満足させる可能性が欠如していることに苦しみ、囚われの身であることに苦しむ。[リビドーの]停滞が、人間の場合と同様に、攻撃行動を引き起こすことがある。しかし、ただ人間のみが、一人の人間のために、あるいは一個の事柄のために情熱に苦しむのである」(1971, 371)。本能によって十分に保護されていないために――その限りでは動物に劣ってもいるわけですが――肯定的な言いかたをすれば、自らの本能基盤から解放されているがゆえに――人間の本能的力は反応的強さを失うのです。それはリビドー的燃料に転化されます。これによって人間は本能的力をかれの情熱に利用することができるのです。もっとも、情熱は他者破壊的および自己破壊的傾向をあまりにもしばしば持つものであるのですが。 講演「職業としての学問」の中でマックス・ヴェーバーは、なにものも「人間としての人間にとって、彼が情熱を持たなくともなし得るものは、何らの価値もない」(1919, 589)と語っています。この点で彼は、情熱とは人がそれを「大いなる病」、すなわち「アブノーマルなもの」と同じように必要とするものであると考えたニーチェと一致しています。情熱によって私たちは「生に大きなショックを」与えるのです(Aus dem Nachlaß, 724f.)。マックス・ヴェーバーは特に学問に対する情熱に苦しんでいました。彼はまぎれもなくニーチェの言う意味で(vgl. 188b, 1241)情熱的な思想家でした、すなわち、その思想が「情熱的な魂の歴史」を生み出すところの思想家だったのです。彼の生い立ちを知れば、彼の思索への情熱の中でその生を焼き尽くしかねなかった危機、破局、死の瞬間を彼の書いたものから察知し、これらを理解することができます。彼の妻マリアンネ・ヴェーバーMarianne Weberは彼について書いています。「ヴェーバーはある時、自分自身にとっての彼の学問の意味を尋ねられた時に、『私は自分がどれくらい耐えることができるのかを見たいと思っています』と答えた。――彼がそれで言わんとしたことは何だったのか? おそらくは――生存(Dasein)のアンチノミーに耐えること、さらには冷静さに向けて自分の力を極端にまで緊張させ、それにもかかわらず自分の諸々の理想の不撓性と理想への献身能力を保持することが自分の課題であると見ていたということである」(1926, 690)。 情熱と懐疑とは、従って、ほとんど調和できないものだとしても、完全にひとつになり得るものです――それどころか、これらの態度は、互いに浸透し合うときにはじめて創造的なものになるのです。このことをマックス・ヴェーバーはすでに価値判断論争において明らかにしました。ヴェーバーは常に、努力するに値すると考えた課題のみを自らに課しました。彼にとっては、何に取り組むかということはどうでもいい問題などでは決してありませんでした。その限りでは、彼の信奉者や批判者の多くは彼を誤解しています。情熱的な関心を持って彼は自分の研究対象に立ち向かったのです。対象の選択にあたって彼は価値評価をしましたが、しかし、研究過程の間は自分の判断を停止しました。そうせざるを得ないのもやはり知的誠実というものです。これは決して容易な態度ではありません、恐らくは不可避な学問的態度であります。というのも、いま一度ニーチェを引用しますが、「情熱から様々な見解が生まれる。精神の怠惰がこうした見解を硬化させ確信に変える。――だが、自らを自由な休みなく躍動する精神だと感じる者は、不断の変化によってこの硬化を防ぐことができる……」(1886a, 729)からです。 私がここでこのことを述べるのは、理論においてばかりでなく実践においても必要だと思われる一つの態度の特徴を明らかにするためです。情熱なくしては――もっと醒めた言い方をすれば、リビドーの備給なくしては――私の考えでは、人は自分の課題を十分に果たすことはできません。しかし、職業への情熱には危険も含まれています。フロイトは彼の同僚たちに治療熱(furor sanandi)すなわち治療への熱狂(1915, 320)と禁止熱(furor prohibindi)すなわち保護、干渉、禁止への熱狂(1926, 268)に対して警告しています。二つの情熱は医者の場合に現われるだけではなく、彼が挙げているほかの二つの「ありえない職業」、すなわち教育家と政治家という職業においても見られます。これらの情熱がそうした職業に頻繁に現われるということは理解できます。医者・教育家・政治家は、確かに実際に(人を)治癒したり、改善したり、保護したり、干渉したり、禁止しなければなりません。しかも、彼らは決して成功を確信できるわけではありませんから、自分の限られた能力と可能性とをしばしば過剰な熱意によって補うのです。私には、彼らが自分の過剰な熱意を、しかし同時にまた、痛々しい失望から彼らの間に生まれる諦念・無関心・冷笑的態度といった破壊的態度を克服しようとしているのだ、と思えるのです。重要なのは、自らの行動によって生が善であり得ることを示すということ、もし可能でさえあれば、私たちおよび私たちの同胞をして善なる生に与らしめるということです。私はまったく言葉の此岸的意味においてこう申し上げているのです。
この講演で取上げた考え・表現は私の以下の研究から来ている。 参考文献Bettelheim, Bruno (1979):
Erziehung zum Überleben, Stuttgart 1980. 訳者注記 ここに翻訳したのはヴィルフリート・ゴットシャルヒ教授が1999年10月10日開催の社会思想史学会における基調講演のために書かれた論文「人間性と暴力」(Menschlichkeit
und Gewalt)の全訳です。訳文は当初通訳原稿として準備されたが、当日時間の都合で講演参加者に印刷配布されることとなったこと、ゴットシャルヒ教授の許諾の下に、経済学部保住俊彦教授の勧めにより通訳原稿を本誌に掲載することとを付記しておきます。 |