以下は、2001年度功刀総合ゼミ開講に当ってのシラバスの一部です。このシラバスを読み、ゼミへの参加を希望した皆さんによる一年間の活動の足跡として、本論集を作成しました。
当ゼミでは、ゼミ活動を通して「他者との協調と自己の主張」とのバランスの修得、も目標に掲げています。グループ活動が、良い修練の場になっているようです。
功刀総合ゼミのシラバスより抜粋
1.授業のテーマ・目標
「生命・環境をキーワードとする現代社会」
このゼミでは、生命・環境をキーワードとする種々の社会問題をテーマに取り上げ、新聞、本、雑誌、インターネットなどを通しての追跡調査や愛大内外でのアンケート調査等によりデータを収集し、皆で議論を繰り返しながら収集データの分析を行うことが、主要なゼミ活動です。更に、これら一連の調査結果をディベート、ホームページ等の方法によりプレゼンテーションを行い、それらをまとめた冊子を秋学期末に制作します。
テーマはグループごとに議論して決める予定ですが、目標にも掲げているように、生命・環境をキーワードとする現代的諸問題、たとえば「薬害エイズ問題」、「脳死と臓器移植」、「生命操作技術の是非」など、先端医療分野や環境・エネルギー問題等、現在マスメディアで話題になっている問題から、皆さんが日々愛知大学内で気になっている身近な問題に至るまでの、広い範囲から取り挙げます。ちなみに2000年度は「食」を総合テーマとし、各グループ毎に「食」に関連したサブテーマに取り組みました。ホームページにその成果が掲載されています。
このようにゼミ活動では、取り挙げた問題に関する調査、情報の収集と、そこから得られたデータを自分の頭で考えながら整理・分析し、問題点や論点を構築することが基本であることはいうまでもありませんが、成果を効果的にプレゼンテーションすることも大切です。卒業後、皆さんがどんな仕事についても、情報をうまく取り入れ、それを仕事に生かしていく技術が必要になります。履歴書、レポートの作成、あるいはイベント企画を人に説明したり、自分の主張や考えをアピールするなど、それなりのプレゼンテーション技術を身につけておくことは、皆さんがこれから就職戦線を乗り越えて行くときの武器になるでしょう。そのためのツールは、文字情報だけではなく、画像も音声も取り入れる時代になっています。つまりコンピュータなどのツールを駆使する技術も必要とされています。功刀総合ゼミのホームページは既に開設されていますので、随時、各グループの調査・実習成果を掲載します。
また、実際の調査行動はプロジェクトチーム形式での取り組みを目指しています。チーム内では、各人が得意分野を生かした役割分担による協力体制を組織することが良い成果を挙げる第一歩です。さらに、組織内での自己主張とチーム全体としての主張、また、そこから導き出される個人の意志決定と、全体としての意思決定のバランスなどを、色々な作業や議論の繰り返しを通して学ぶことも目標の一つです。
2.授業の形態および内容
受講者をいくつかのプロジェクトチームに分け、チームごとに興味のあるテーマをもとに、討論と調査・実習、および成果のプレゼンテーションを行います。また、調査のまとめやプレゼンテーションに必要なコンピュータ技術の習得も同時に行います。
またゼミ運営のための役割も分担してもらいます。現在、ゼミにはホームページ課とイベント課が常設されています。
今年度の功刀ゼミの全体のテーマとして「生命・環境」を挙げ、そこからサブテーマを決め、それについて研究・調査しました。
サブテーマを決めるには、ゼミ生の今関心のあることや、研究・調査したいことを全体で討論を行いました。
そして、4つのサブテーマが決定し、班に分かれ活動を行いました。
1班では安楽死について、2班では医療過誤について、3班は睡眠について、4班は脳死・臓器移植について取り組んでいきました。
取り組みにあたっては、試行錯誤のくりかえしでした。
この班活動を行うことによって新たな発見ができ、またゼミ生どうしの輪が深まりました。
夏には、白樺ロッジに行き合宿をしました。そこで、ディベートやブレインストーミングなどをして知識を高めました。その一方で、テニスや飲み会などをして楽しい時間を過ごしました。帰りは台風直撃の中何とか無事に帰ることができました。
冬には、白馬にスキー・ボードをしに行きました。
このような研究や、合宿などの行事を通じて、よい思い出ができました。
来年も継続のゼミ生と、新ゼミ生を迎えて新たなる目標に向かってがんばっていきたいと思います。
卒ゼミ生のみなさんは一年間おつかれさまでした。
1 定義
安楽死の定義
日本尊厳死協会の定めた末期医療の特別法案からの引用
第一条「目的」
全ての人は、自己の生命を維持するための措置を受容すべきか否かにつき、自ら
決定する権利を有する。この権利に基づき、その延命措置を停止する手続きなどを
定めることを目的とする。
第二条「定義」
この法律で「不治かつ末期の状態」とは、合理的な医学上の判断で不治と認められ
延命措置の施用が単に死期を延長するに過ぎない状態をいう。
この法律で「過剰な延命措置」とは、その措置によって患者が治癒現象を呈せず単に
死期を延長するに過ぎない措置をいい、苦痛緩和のための措置は含まない。
一般的に安楽死とは、苦しい生ないし意味のない生から患者を解放するという目的のもとに、意図的に達成された死、ないしその目的を達成するために意図的に行われる「死なせる」行為という意味で使われる。
ちなみに尊厳死の定義として、「尊厳ある死」(Death with Dignity −本来の意味での「尊厳死」) とは、人間としての尊厳を保って死に至ること、つまり、単に「生きた物」としてではなく、「人間として」遇されて、「人間として」死に到ること、ないしそのようにして達成された死という意味で使われる。
分析として、安楽死で検索エンジンにかけると、まず動物の安楽死に関するページがカテゴリとして挙がってくる。つまり安楽に死ねるのであればその死の持つ意味や人間性といったものが介入する余地があまり無いのが安楽死と考えられている。
一方、尊厳死で検索をかけるとその死の主体はまず「人」である。つまり多少の苦痛が伴う事があっても、人が人としての一般的に「尊厳」と呼ばれる大事なもの(意識とか主体性とか自分らしさ等…)を失うことなく迎える死と考えればよいと思う。
2 オランダの立法
オランダの安楽死法案は
1. 患者の明確な要請がある
2. 耐え難い苦痛がある
3. 治癒の見込みがない
4. 担当医師が他の医師と相談をする
などの条件を満たす安楽死について、医師の刑事訴追免除を刑法で定める。
また、昏睡状態などで意志表示ができなくなる事態に備え、患者が事前に安楽死希望を表明すれば、医師は原則として患者の希望に従わねばならない。また、未成年者(18歳未満)の安楽死については12〜15歳では親の同意が必要だが、16歳以上は親の同意がなくても医師が必要と判断すれば認められる
3 日本の判例
日本の法律では一般的に安楽死というものを認めていない。
しかし一定の条件を満たす場合違法性を阻却するという形で、
犯罪と一線を画している。
日本の刑法学では、
1致死量の薬品を投与したり首を絞めたりして死に至らしめる積極的安楽死
(active euthanasia) 〈死なせる(殺す)こと killing〉
2苦痛緩和のための麻酔薬を投与のために生命短縮の危機を伴う間接的安楽死
3生命延長の措置をとらないために死期を早める消極的安楽死
(passive euthanasia)〈死ぬに任せること allowing to die〉
に分けている。
この内、間接的安楽死と消極的安楽死について医療行為の一環ということで違法性が阻却される為、省略する。
積極的安楽死については
(@)不治の病に冒されしかもその死が目前に迫っていること(A)苦痛が甚だしい事。(B)専ら死苦の緩和が目的である事(C)意識がなお明瞭であって意思が表明できる場合には本人の真摯な嘱託または承認があったこと。(D)医師の手によることが本則(E)方法が論理的にも妥当であること(名古屋高判昭和37年12月22日高刑集15巻9号674頁)
(T)耐えがたい苦痛に苦しんでいること(U)死が避けられず死期が迫っていること(V)苦痛を除去するための方法を尽くしほかに代替手段がないこと(W)安楽死を承諾する明示の意思表示があった事。(横浜地判平成7年3月28日判時1530号28頁)
・日本でもオランダでも基本的には積極的安楽死は自殺幇助として罰せられる。
それを上記条件の下で認められていると考えればよい。
・ 法学部生として、オランダと日本の安楽死に関する政策の違いを分析すると、
オランダは「立法府による立法」を行い、日本は「司法による立法」を行ったという点であるが内容に違いはない。
cf)日本では確定判決は判例と呼ばれ法律と同様に「法源」として認められている。
「法源」とは、裁判官が裁判の際に拘束されるもの、裁判官が裁判の根拠として用いるものと捉える。
判例は判例法とも呼ばれ判例変更は、裁判所法にて厳しく制限される。司法はしばしばこの判例(条文解釈)を通じて具体的な事件の解決基準を見出すため、法のはっきりしない部分を解釈し法の欠缺(空白)を埋める役割がある。憲法9条の解釈などが良い例である。
つまり踏み込んだ発言をすれば安楽死法は判例法という形で昭和37年の名古屋高判においてされており平成7年の横浜地判で一部改正が行われたと考えればよい。
(法源論 ― 「新・民法学 総則」 副田 隆重他 24頁〜31頁より引用)
違法性阻却と刑事訴追免除について。
やはり法学的でテクニカルな問題ではあるが、刑事手続きは大体において
@逮捕⇒A公訴(訴追)⇒B公判⇒C判決
という流れの下に行われる。
@〜Bの流れについてはわが国では、刑事訴訟法にて定められている。オランダの場合はA訴追が免除されるので手続法上の問題となる。
日本の場合B公判の際に被告が(抗弁として)違法性阻却事由を主張する事になるので実体法上の問題となる。
結果的にはほとんど違いはない。
また、オランダの立法との違いとして、オランダでは精神的な苦痛を「苦痛」として認めるが日本では肉体的苦痛に限定される。
4 リビング・ウィル
リビング・ウィルとは簡単に考えれば日本の臓器提供意思表示カードの安楽死(尊厳死)版である。つまりアルツハイマーや突然の事故等により自ら意思を表示出来なくなってしまった場合に備え予め、自分がどのような医療を受けまたは死を選ぶのか医師が明瞭なうちに表示しておく文書である。
本人の意思がなくして積極的安楽死は不可能であるし、積極的安楽死でなくとも医療実務上医療行為の中断は、非常に困難であるのでこのような文書を残す事に意義がある
アメリカでは1991年に成立した自己決定に関する法の中で全く利害関係のない第3者による署名等、具体的な書式まで示している。
日本でもリビング・ウィルというシステムを取り入れていこうというアクションがある。
実際に2000年には96%の医師が「リビング・ウィル」を受容したという結果が出ている。(日本尊厳死協会遺族アンケートより)
一方で反対意見もある
(主な賛成派)日本尊厳死協会(http://www.songenshi-kyokai.com/)
理由:患者の意思(自己決定権)の尊重、意味のない生からの開放
(主な反対派)立正佼成会(http://www.rk-peace.org/index.html)
理由:植物状態を含む事に問題がある。医療従事者の立場を考慮。潔い死が尊ばれ、最後の最後まで治療を受け、七転八倒しながら死んでいく死にざまを、卑しい死に方と軽蔑しはしないか。ホンネは宗教上の理由?
5 ペインクリニック
近年無痛の治療が末期がんなどでも行えるようになってきた為、
専ら苦痛の除去緩和を意識した安楽死の意義は失われていくのでは?との声もある
6 安楽死の歴史
安楽死とはギリシャ語のeuthanasie(エウタナーシャ)の訳で、「良い死・穏かな死」という意味である。古代ギリシャ・ローマ時代の考えでは、人は理性的な存在であり無意味と思われる生に対しては自殺によって命を絶ったり、他人がそれを助けたりすることは珍しいことではないと考えられてきた。しかしキリスト教の影響が強くなってくると、自殺などによる人為的な生命短縮は厳しく戒められるようになり、5世紀以後ヨーロッパで自殺は宗教上の罪となった。安楽死も自殺補助であると考えられ、自殺と同様に扱われた。ここで4人だけだが安楽死に対する考えを持った人を紹介しよう。
・ ヒポクラテス(前460頃〜前375頃)
医学の父と呼ばれるギリシャの医師で、「誰も人の命を奪う権利はない。医師は同情心から患者の肉体的苦痛を終わらせるという考え方をするが、医師は生死の支配者ではないのである。」と安楽死を明確な犯罪とみなしている。しかし、ヒポクラテスが生きた時代は安楽死を犯罪とみなすことの方がおかしいと考えられていた時代だった。
・ プリニウス(23頃〜79)
ローマの著述家で、「人は一番良いと判断されるときに死ぬ権利が持たれる。」と安楽死を肯定している。
・トマス=モア(1478〜1535)
イギリスの思想家で、有名なエッセー「ユートピア」の中で「もしその病気が不治であるばかりでなく、絶え間のない猛烈な苦しみを伴うものであれば、これ以上生きていても人間としての義務が果たせるわけではないし、いたずらに生恥をさらすことは他人に対して大きな負担をかけるばかりでなく、自分自身にとっても苦痛に違いない。だからいっそのこと思い切ってこの苦しい病気と縁を切ったらどうかとすすめる。」と述べている。
・ フランシス=ベーコン(1561〜1626)
トマス=モアの考えを引き継いで「医者の任務としては、健康を回復させるばかりではなく、痛みや苦しみを軽減させることがあると私は思う。このような軽減によって回復に向かうことができるばかりではなく、楽にやすやすと息をひきとるのに役立つという場合もある。」と述べている。安楽死という言葉(euthanasie)はこのフランシス=ベーコンによって作られた。
ヨーロッパで安楽死をめぐる議論が激しくなったのは1936年だった。この年、イギリスで慈悲殺を合法化する法案が初めて上院に提出された。この時は35対14で否決されたが、この後多くの国で安楽死運動が起こり、安楽死協会が設立された。そして現在ではオランダで安楽死が合法化されている。しかしカトリック諸国ではあまり運動の効果があげられていない。フランス・スペインの教会では1980年にローマ法王庁が発表した「安楽死に関する声明書」にならって、治療できる見込みのない患者の医療停止や放棄は認めているが、積極的安楽死には反対の立場をとり続けている。オランダで安楽死が合法化された後も、ローマ法王庁は「医学界で国際的に認められた倫理規定に逆行する。人間の尊厳に反する決定であり、悲しむべきことだ。」と非難した。
【eアンケート 産経Web編集部】
「安楽死」について、アンケートを募集したところ、合計三百六十六人から回答があり、四人に三人が「安楽死に賛成」と回答しました。
その理由としては(1)人間は「生きる権利」と同様に「死ぬ(死を選択する)権利」を持っている(2)耐え難い苦痛で、本人および家族が同意した場合、安楽死の選択肢があっても良い−の二つが目立ち、「肉親が安楽死を望んだら、どうするか」という問いにも、七割の回答者が「かなえるために医師にかけあう」としています。
安楽死に反対した人の多くは「人は生きられるまで生きる努力をし、命は全うすべきである」と指摘し、賛成した人の中からも「安楽死を認めることにより、『命の重さ』が軽くなり、若者に影響することを心配する」という懸念の声がありました。安楽死が法的に認められた場合、それが犯罪に利用されることを憂慮する指摘も、少なくありませんでした。
「治る可能性が少しでもあれば、苦痛や副作用を伴う治療でも受けたいと思いますか」については「受けたい」と「受けたくない」が拮抗。ただ、これを回答者の年齢別に見ると、年齢が上がるにつれて「苦痛を伴う治療は受けたくない」という答えが目立つようになり、六十歳代では七五%が「受けたくない」と回答しています。
「安楽死」に対する主な意見は次の通りです。
○賛 成○
徳島、公務員、女性(三三)「末期患者に対し、副作用の強い投薬を大量にし、苦しんでいる肉親を間近で介護する家族は、肉体的にも、精神的にも、経済的にも、極限に達する。そんな場合、担当医との相談で選択肢として安楽死はあっていい」
乳がんの女性がいた。すでに治療法もなく、皮膚が腐ってきていた。がんがひどく進む前のきれいな状態で死を選択できる安楽死も、許されるべきではないか」
○どちらともいえない○
宮城、学生、女性(二三)「人としての倫理観が崩れかけている現在、人をあやめるという行為ともとられかねない安楽死を合法化するのは非常に不安」
海外在住(三三)「人間の死生観は個々人の生い立ちや宗教など、いろんな因子によって異なるので、それをひとくくりの法律によって決めることは難しい」
○反 対○
大阪、医師、男性(三三)「尊厳死は賛成だが、安楽死に関しては、痛みを取り除くペインクリニックが急速に進歩していて、次第に意味が薄らいでくると思う。生命はやはり全うすべきだ」
神奈川在住(六三)「親(祖先)からの“授かりもの”の命を人為的にどうこうするのは間違い。信仰と密接なかかわりを持つだろうが、私の場合、信仰のあるなしにかかわらず反対
グループ発表後に出た質問
@オランダは、精神的苦痛を苦痛と認めるが、なぜ日本では認められないのか
A精神的苦痛は、個人差が大きいが、オランダでは精神的苦痛の大きさを医師がどうやって判断するのか
B法源というのは誰が決めるの
回答
@日本はまだ安楽死というものが、法律上完全に認められている死ではないので、精神的苦痛による安楽死を認めてしまうと、多くの問題が発生してしまうから
A医師の権限が強くなっている
B学者が決めるもの
参考文献
東北大学 清水 哲郎先生の ホームページ
(http://www.sal.tohoku.ac.jp/~shimizu/index-j.html)
日本尊厳死協会ホームページ(http://www.songenshi-kyokai.com/)
「刑法各論」 萩原 滋 著
「新・民法学」 副田 隆重 他著
「現代憲法論」 大林 文敏 他著
立正佼成会ホームページ(http://www.rk-peace.org/index.html)
・ 「ドキュメント安楽死」イゴール=バレール、エチエンヌ=ラルウ 森岡恭彦訳
・http://www.sousai.com/hp/institut/matsugo/matugo4.htm
・http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/Op/et-nak.htm
1 根拠
最初、私たちは最近頻繁に起こっている医療ミスについて、なぜ起こるのかミスの原因を調べようと思った。はじめは医療制度について調べようと思ったのですが、時間がなく資料不足のため、断念した。最終的には医療過誤による現状を知ることが大切だと思い、医療過誤の訴訟などについて調べた。
2 医療過誤とは?
医療事故・・・不可抗力、どうしても避けられない事故、ミスでない
医療過誤・・・医療ミス
医療紛争・・・医療費の問題、人間関係の問題
医療事故と医療紛争は、医者にミスがない場合でも起こりうる。ここでいう医療過誤訴訟は、3つが重なり合う部分、つまり医療事故であって、医者や看護婦がミスをし、そのことで紛争になり争う場合のことをいう。
3 医療事故被害者の願い
医療事故に遭った人達の願いには次の5つがある。
@原状回復 A真相究明 B反省謝罪 C再発防止 D損害賠償
第一に、原状回復とは、率直に言えば、元も状態に戻して欲しいということである。例えば、自分の大切な人を医療ミスによってなくした場合、生き返らせて欲しいと思うことである。また、本来なら完全に治るケガ等を治療した結果、体に何か障害が残ってしまった場合、ケガをする前の状態に戻して欲しいと思うことである。
第二に、真相究明とは、患者の受けた被害の真相を明らかにして欲しいということである。医療事故のケースというのは原状回復ができない。例えば、失明した、腕が麻痺したとかというのは、再手術をして原状に戻す努力をするわけだが、元通りになることはない。特に、命が奪われた場合、生き返ることは決してない。こんな重大なことにもかかわらず、その事故の真相が曖昧にされてしまうのである。場合によっては、親の体質とか遺伝とかに問題があったなどといわれ、医者のミスがどこかに消えてしまうような責任の転嫁さえ起こり得るのである。
第三に、反省謝罪とは、読んで字のごとく、医者自身のミスにより患者に被害が発生した場合や、死にいたらしめた場合、患者や遺族に対し心からの反省の言葉や謝罪の言葉をかけることである。しかし、多くの場合弁解を真っ先にいい謝罪が後回しにされる場合や、ウヤムヤにされてしまうことがある。
第四に、再発防止とは、これも読んで字のごとく、二度と同じことを繰り返して欲しくないということである。自分や家族に被害が起きたにもかかわらず、教訓も生かされない、反省・謝罪も十分でなければ、また同じことを繰り返す恐れがあり、自分たちが受けた被害が何も生かされなければ無意味である。「真相はこれが原因で、このように反省・対策し、二度と事故が起きないようにする。」というような気持ち、態度が表れれば、被害者の気持ちはまだ慰められると思う。
第五に、損害賠償とは、一家の大黒柱で、経済面でも大きな役割を果たしてきた人が、亡くなったり働けなくなり、生活面で困難が生じた場合は、それ相応に損害を金銭という形で賠償されなければならないことである。
以上5つが、被害者が切に願うことなのである。
4 医療過誤訴訟裁判の限界
医療過誤とは、医療行為において医師側に過失があるケースを言うのだが、例えば医師のミスで誤って腕を一本切り落としてしまった場合どの程度の金額になるのか分かる人はほとんどいない。こんな時、被害者側が求めているのは金銭賠償だけではなく、項目3「医療事故被害者の願い」のところで述べられているように
@原状回復 A真相究明 B反省謝罪 C再発防止 D損害賠償
などがあり、@の面では前に挙げたように腕をなくしてしまった人が元通りになることは不可能であるし、亡くなってしまった人が戻ってくるかというとありえないので、誰もが何ともならないことであるし、この無念さは永久に何ともならないことである。
A,B,C,Dは人為的に可能なことである。しかし、医療過誤裁判でやってることはこの5つの中のD損害賠償の部分しかない。
被害者の複雑な思いがたくさんあるのに直接訴えられず、「賠償金を払え」という言い方でしか組み立てられなく、補償だけの問題になってしまうところに医療過誤裁判の限界が表れている。
5 医療過誤訴訟は氷山の一角である
例えばお年寄りが癌で入院していて、抗癌剤の副作用で亡くなった場合、抗癌剤の投与は化学療法なのでこれで亡くなることを化学療法死という。しかし、この言い方は一般的に知られていないので、家族は癌で死んだと思っている。このように、明らかに医療過誤であるのに気付かないのでクレームを医者にぶつけることはできない。このような人達が大多数を占めているだろうし、仮に何かおかしいと思ってクレームを言おうとしたが、今さら死んだ人が帰ってくるわけでもなく、特にお年寄りが亡くなった場合は「寿命だから仕方ない」と考えて諦める人もいる。また、医師にクレームを言っても「寿命だ」などとうまくまとめられたりして諦めた場合もあるだろう。
これらはいわば泣き寝入りである。
また、裁判の厄介さから病院と被害者側で示談を行い和解によって解決する場合もある。
ここまでくるのもごく少数である。また示談でも納得できない被害者は訴訟をおこしている。これはほんの一握りしかないのである。
6 医師賠償責任保険
医療事故に関する医師賠償責任保険としては、日本医師会が保険契約者となり、日本医師会員被保険者となる保険(日医保険)と、医療法人や地方公共団体の病院が加入する保険(民間保険)がある。過失の判定機関としては、日医保険では、医学関係者六名と法学関係者四名よりなる「賠償責任審査会」があるが、民間保険にはそのような独立した機関はなく、都道府県医師会内の医事紛争処理委員会が保険会社の委託を受けて判断したり、保険会社が独自に専門医に相談したりして判断している。 |
例) 三井海上火災株式会社の医師賠償責任保険の適用対象
@ 医療業務に関する事故
加入者、又は、加入者の管理下にある勤務医師、看護婦・薬剤師などが起こした注射ミス、誤診、手術や麻酔ミス等の事故。
A 建物や設備給食に関する事故
火災の発生時に避難設備の不備、避難誘導ミスにより患者が死傷した。
医療機関の看板が落下し通行人にケガをさせた。
給食で患者が食中毒を起こした等の事故。
B 患者などから受託物に関する事故
患者、見舞い客から預かった物に損害を与えた場合等。
C 個人賠償特約(別途特約保険料が必要です。)
加入者と加入者と同居する親族の生活上の賠償事故が対象になる。
(例) ・飼い犬が患者、見舞い客にかみついた。
・ 子供が自転車で通行人をはねてケガをさせた。
・ 家族がデパートで、陳列棚の商品を落としてしまった、など。
もしも、医師のミスにより被害者への賠償責任が認められた場合でも、賠償金は「医師賠償責任保険」によってカバーされ、医師が直接被害者に賠償金を払って罪を償うという感覚は薄れざるを得ない。また、医師賠償責任保険が適用されるかどうかの審査には約1年、もしくはそれ以上かかることがある。示談が成立した場合には、その期間に一定の区切りが出来るが、成立しないと、要するに医者側のミスを認められていないことになるから、医療過誤を認めさせるために訴訟をするか諦めるか、という選択にせまられる。しかし、前述の5番で述べられているように、訴訟を起こしているケースは氷山の一角に過ぎず、多くの被害者は訴訟を諦めているのが現状で、保険の適用に達するまでに至るはずもない。
**参考文献:医療事故110番 医療過誤問題研究会編より
7 年間の医療過誤訴訟件数
医療過誤の新規訴訟件数は、10年程前は350件前後でしたが現在は700件を越えるまでに増えている。裁判所の処理能力からすると、もっと少ない数しか解決することができない。よって未済事件となって残ってしまう。現在日本は、未済事件が2700件以上あり、今も未済事件が増える傾向にある。
現在の制度では、被害者側は、裁判にまけても相手の弁護士費用を負担する必要はない。裁判に負けた場合、判決では「訴訟費用は原告の負担とする」と命じられますが、訴訟費用とは、裁判所に収めた印紙代や鑑定の費用のことで、相手の弁護士費用はこの訴訟費用には含まれない。
反対に被害者が勝訴した場合、積極損害として、勝訴額の1割程度を被害者側の弁護士費用支出に相当する損害として加算されるのである。和解の場合は、弁護士費用は双方当事者が各自負担するという条項となることが一般的である。
8 医療過誤、医療事故の実数
〜ハーバード大学チームの研究〜
1000人の入院患者のカルテを片端から調べて医療過誤があったかを調査した結果2.7%の人とが医療事故にあった計算になり、1%の人が医療過誤にあった計算になる。
この調査から推定すると日本では2万人以上が医療事故にあった計算になる。
実際のところ医療過誤の実数を調べるのは困難である為、年間どのくらい医療過誤・医療事故があるかは不明。
〜岡山市民病院〜
'1998年以降、支払いが確定した医療過誤による損害賠償金は、計8回で3200万円に上る。
〜2001年の賠償例〜
・ 骨折を見落とし65才の男性に81万円を賠償。
・ 親子間の生体腎移植手術の際に血液型の確認を怠り、直前に手術を中止し210万円を賠償。
**参考文献: 『医療事故』山内桂子、山内隆久
9 医療過誤裁判の特殊性−3つの壁
医療被害者には専門性、密室性、封建制という3つの壁と呼ばれているものがある。
1.専門性−医学医療が専門的分野であるため被害者である原告や一般の人には解りにくい。
2.密室性−医療行為の実状が患者側に十分把握できないため医務行為の欠陥を具体的に指摘することができない。
3.封建制−医者の世界はミスを覆い隠して教授になったりするという、相互批判が非常に乏しい世界である。
医療過誤訴訟は1、2の壁があるために鑑定に頼らざるを得ない面がある。鑑定とは鑑定人(医師などの専門家)が事故を調べることである。
鑑定には約7〜8ヶ月を要し鑑定人の選定や鑑定事項の調整の期間を加えると、約1年を要しているのが現状であり、長期化は被害者側にも大きなマイナスとなる。
最近の判決や和解に至った約30件の医療過誤訴訟の分析によると、鑑定が実施された訴訟の平均審理期間が約4年7ヶ月なのに対し、鑑定をしなかった訴訟では約1年4ヶ月と3年以上も短かったのである。
そこで鑑定に関する、期間短縮の方法として、鑑定を専門とする医師団の形成、鑑定費用の定額化、複数チームでの鑑定、鑑定資料の厳選等を十分検討するべきである。
3つ目の封建制の壁は一番大きな壁となっている。この壁があるために、被害者が医療過誤裁判をしようとするときに、協力者(協力医)がほとんどみつからないのである。
10 医療過誤裁判の特殊性−立証責任
現行法上、診療上の過失の「立証責任」は、被害者である原告にある。被害者側が過失があったことを立証できた場合にのみ、医者側が「責に帰すべからざる事由」(不可抗力、またはこれと同視すべき事由)の存在について証明する責任を負うのである。
しかし、何故そんな事故が起こったのか、どうしたら防げたのか、何がいけなかったのかということは、3つの壁に阻まれて被害者側にはなかなかわからず、医者の側こそが知りうることである。それに加えて、医療事故においては、例えば、医師の過失行為と損害の因果関係を事後的に厳密に証明することは極めて困難であり、これを厳格に要求すれば医療事故の損害賠償は認められなくなってしまう。そこで、医療事故については解釈によって、立証責任(被害者の負担)の軽減をはかることが考えられる。
そこで生まれたのが、「過失の推定」というものである。
【過失の推定】立証責任を被害者側が負うことには変更は無いが、被害者が、その結果が医療行為の際に生じたものであること、及びある程度の蓋然性(可能性、確率)について、一応の主張、立証をすれば、それで加害の客観的事情に基づき過失が推認できた、として専門家である医師(被告)の側で反証をしない限り、医師の行為、過失、因果関係は認定されるというものである。
この過失の推定は、慢性副鼻腔炎治療のための手術をした際に、手術器具の操作を誤り、視神経もしくは血管に衝撃を加えてこれを損傷し、右眼を失明させた事案について「手術の過程において失明の結果を生じた以上、それが不可抗力によるものであるか、少なくとも現在の医学知識をもってしては予測しえない特異体質など、その他これに類する原因に起因することの立証がない限り、当該手術にあたった医師に過失があったものと推定すべきである」として使われた。(東京高裁昭和44年5月30日判決)
このように、判例においては「過失の推定」を取り入れることによって、過失の立証責任についての原則を修正する方向にある。
また、さらに進んで、医師側に「過失の不存在」の立証を求める考え方もありえるだろう。
11 医療事故防止のために
療事故防止のための一つの解決策としてリスクマネジメントがある。リスクマネジメントとは、「事故発生の可能性・事故それ自体・事故発生の条件、事情、状況、要因、環境」を、把握し、分析し、それに対して対応し、これらの評価を病院組織内で行い、医療事故が少しでもなくなるように取り組むことである。これを組織として取り組むための方策には、八つある。
第一に、組織としての目標設定である。医療事故を防止することが、医療の質を保証することになる。そのために、リスクマネジメントについて職員全体が認識を深め、事故防止に努めるという目標のもとに行われるということである。
第二に、リスクマネジメントに関する委員会の設置である。各部署の責任者などが集まって、事故に関する情報を集め、事故防止策を検討するリスクマネジメントに関する委員会を設置する。委員会の役割と権限を明確にして、事故防止対策が効果的に行われるようにする。そして、定期的に事故防止に関して検討する機会を持たなければならないのである。
第三に、リスクマネジメントに関するマニュアルの作成である。組織全体でリスクマネジメントに取り組めるように、マニュアルを作成し適宜見直しをする。このマニュアルには、各部署が置きやすい事故とその防止について検討した内容も生かして一番適したマニュアルを作成することである。
第四に、各職種の責任範囲の明確化と連携の推進を推し進めることである。各職種間の責任を明確にし、スムーズな連携がなされなければならない。そこで、業務分担と責任範囲を明確にするよう努める必要がある。また、各職種間が集まるなどして定期的な話し合いを持ち、連携する上での問題やその解決法を検討することである。
第五に、適切な労務管理と良い労働環境の提供である。医者や看護婦の労働環境はとても激務だといわれている。特に、看護婦の人数が足りず、看護婦一人あたりの患者の受け持つ割合が多く大変だと聞く。職員の配置や勤務体制について適切に管理し、疲労や作業環境の悪化などによる事故を防止するように努めることである。
第六に、組織内の良好なコミュニケーションをとることである。職員間や、職員と患者とのコミュニケーションが円滑に行われるような環境作りが必要である。職員間の良好なコミュニケーションは、お互いに気づいた情報や意見を自由に交換できることにつながり、結果として事故を未然に防ぐことにつながるからである。患者と職員の良好なコミュニケーションは、患者の不安や不満を軽減し、事故防止にもつながるが、万が一、事故が発生した場合でも、信頼関係が確立していれば、変な誤解や混乱を避けることができるのである。
第七に、職員の教育と研修をする必要がある。リスクマネジメントに関する職員への教育・研修を、定期的かつ計画的に行う。患者に直接接する職種だけでなく、全職員に教育・研修への参加を促して、事故防止に大切な役割があるという理解を深める。また、直接患者に接する職種に関しては、それぞれの部署で起こりやすい事故を想定した研修など、実際に即した教育を行うのである。
第八に、リスクマネジメントに関する専門的な教育・訓練を受けた者を配置することである。リスクマネジメントを有効に展開するためには、組織内に、リスクマネジメントに関する専門的な教育・訓練を受けた者を配置することが望ましいといえる。しかし、現状ではそのような教育を受けた専門家の確保は困難である。今後は、リスクマネジメントの専門家の育成を行う必要がある。
しかし、このリスクマネジメントは、それぞれの病院内でマニュアル作成や情報管理を行うため、病院ごとに違うことによりしっかり機能しない可能性もある。そこで、第三者機関を設置することで、病院との利害関係のない機関で管理し、少しでも医療事故をなくすようにマニュアル徹底と管理運営をするのがいいと思う。それでも、医療事故はゼロにはならない。しかし、医療の現場に第三者機関の監視の元で医療活動を行うことで、密室だった現場が透明性を帯びてこれば、患者にとっても安心できる要素になりうるのではないだろうか。そして、患者自身も医療に関心が持てるのではないだろうか。
また、リスクマネジメントのほかにも、セカンドオピニオンという制度もある。ある医者に診察してもらった後に、別の者の意見・診察を受けることでより確実な診断がされるようになる。これは、患者にとってはとても安心できる制度だと思う。複数の医者の意見を聞くことで、一人に医者による独断の診察がなくなることにより、事故防止につながるからである。
このように、リスクマネジメントやセカンドオピニオンの制度を用いることにより、医療事故防止に役立ち、患者やその家族が安心して治療に専念できる環境を整えなければならないと思う。
12 このような問題を防ぐためのもう一つの方法
医師や看護婦側からは、医療技術が向上した現代では最新の設備や医療機器も整備され以前は治らなかったようなものも治るようになってきたが、その反面、医療内容が複雑化し、医療に従事する者は何が安全で危険か、何に注意しなければならないかという全体像を見わたすことが難しくなったため、結果的にミスを引き起こす。医療技術の発達に医師・看護婦は遅れているのではないかと思う。だから医療従事者は技術の高度化、複雑化の裏側に潜む危険性をいかに管理していくかが重要であり、また医療の進歩や医学の進歩で従来発見されない病気も発見されているが、それに比例して医療現場の人的、物的施設はあまり増えてないのも問題であり、今後、医師国家試験制度の改正もしていかなくてはならないのではないかと思う。
ここで最も言いたいことは、医療従事者側の考え方を患者に押し付けていくとトラブルや事故の原因になってしまう。だから患者との十分なコミュニケーションも大変重要なことではないかと思う。
患者側からは、全て医者任せにするのではなくもっと医療への意識を高めることが必要である。あらかじめ、情報や知識を得て質問することをまとめておき、例えば手術の際には麻酔医にもどんな麻酔方法なのか、どんな危険があるのかなどと質問したり、薬のことは薬剤師に聞いたり、入院中は看護婦にも看護計画について説明をうけたりといった、インフォームド・コンセントと人間的なコミュニケーションが医療事故を減らす第一歩であると思う。
**参考文献:日本看護協会より
**全体の参考文献:加藤良夫先生のホームページより
3班 睡眠について
テーマ設定の動機
今の私たちの生活を振り返ってみると、睡眠によって体に多くの影響を受けている。表面上には、見ることができないが、体がどんな影響を受けているのか、またその改善策を知りたくて調べてみることにした。
目標
よりよい睡眠の知識を高め、生活習慣の改善を目指す。
1 睡眠のメカニズム
(1)睡眠とは
たくさんの仕事をしている脳は、多くのエネルギーを使う。また、機械とは違い、連続運転していては壊れる。そして、時には休息も必要だが、ただ休ませるだけでなく、より活性化させるために、起きている時は別の動きをする必要もある。睡眠は、脳自身が要求して脳の中で行われる、脳を休息・活性化させる働きで、「脳の脳による脳のためのもの」である。
(2)睡眠の役割
睡眠は単なる活動停止の時間ではなくて,高度の生理機能に支えられた適応行動であり,生体防御技術でもある。とりわけ,発達した大脳をもつ私たち人間にとっては,睡眠の適否が質の高い生活を左右することになる。「よりよく生きる」ことは,とりもなおさず,「よりよく眠る」ことなのである。睡眠がうまくとれないと,いらいらし、眠くなり、元気がなくなる。こうして生活の質が損ない、場合によっては、生命維持に重大な支障を生じる。つまり、大脳の情報処理能力に悪い影響が出る。睡眠不足のとき私たちが感じる不愉快な気分や意欲のなさは,身体ではなくて大脳そのものの機能が低下している。その結果,ヒトの睡眠は,大脳のためにあるといってもよいくらいに特殊化している。
(3)睡眠の種類
睡眠には、レム睡眠とノンレム睡眠の2種類ある。レム睡眠はもともと古い型の眠りであると考えられる。つまり,魚類や両生類などの原始的な眠り,さらには,絶滅した恐竜たちや現存する爬虫類のやや進化した眠りと共通する性質をもっている。レム睡眠は,大脳皮質があまり発達していなかった外温性動物(変温動物)が,身体を休ませることを主目的に開発した休息法を基本としている。しかし,鳥類や哺乳類のような内温性動物(恒温動物)になって,大脳が大きく発達すると,事情は一変し、開発された新技術がノンレム睡眠である。
u レム睡眠
まぶたの下で眼球がキョロキョロする眠り。大脳は忙しく活動し、起きているより激しくエネルギーを使うこともある。脈拍、呼吸、血圧など不規則に変化し、筋肉の緊張は緩むので、体はぐったりして、脳は覚醒に近い状態になっていて夢を見ていることが多い眠りで、覚醒の橋渡しを行う眠りである。レム睡眠はいわば「ぐったり眠る」状態である。
u ノンレム睡眠
レム睡眠でない眠りという意味で,いわゆる安らかな眠りである。深いノンレム睡眠はいわば「ぐっすり眠る」状態である。眼球が上転し、白目をむいている眠り。大脳は休息状態になり、脈拍、呼吸、血圧は安定するが、緊張はいくらか残る。ヒトでは,浅いまどろみの状態から,ぐっすり熟睡している状態まで,脳波をもとに4段階に分けることができる。
★時間の経過と睡眠の深さ (中日新聞中日サンデー版より)
(4)2種類の異なる睡眠調節法―概日リズムとホメオスタシス
睡眠調節には2つの基本法則がある。第1の法則は体内時計(概日リズム)で第2の法則は恒常性維持(ホメオスタシス)である。
u
概日リズム
生物時計はほぼ1日周期の活動−休息リズム(概日リズム)信号を出しており,この信号にもとづいて脳は眠気を発生させるから,休息期の時間帯(一般に夜間)のほうが,活動期の時間帯(一般に昼間)よりも眠るのに都合がよい。また,ヒトでは,約半日周期のリズム(サーカセメディアン・リズム)もあるから,正午過ぎの一時期に眠気が少し高まる。
ヒトの生物時計の1日は,正確な24時間でなくおよそ25時間であるという事実である。従って,1日が24時間という外界の昼夜リズムとのずれを生じる。このずれを修正するため,外界の昼夜リズムや社会リズムが主時計の役割をして,無意識のうちに生物時計をリセットしている。
◆ 時差ぼけ
時差が大きいと、体内時計はすぐ外界に合わせられないため、飛行機などで時間帯の違う地域に急に行くとそのずれに苦しむ。これが時間帯域変化症候群(時差ぼけ)で、完全に治るのに1週間前後かかる。しかし、出発前から生活リズムを現地時間に少しずつ合わせていけば、ある程度予防できる。
u ホメオスタシス
睡眠の量と質を管理し、過去の埋め合わせをする。例えば昨日寝不足だったなら、今日の眠りは深いものにして、過去の睡眠量の貸し借り清算を行う。しかし,この法則はあくまでも寝る直前までの〃過去〃の情報にもとづいて発動されるものだから,〃未来〃の事情をあらかじめ考えて余分な眠りを先取りしておこうとしても無効である。寝だめはできないのである。
参考:寝過ぎはかえって良くない。
最近、寝不足だからといって、今日はたくさん寝ようとする。しかし、熟睡は事前の必要量から割り出され、その量は、寝入りばなの3時間ほどの間に優先的に実現する。必要量が満たされると、もうそれ以上はほとんど出現せず、後は浅い眠いばかりになる。たくさん寝ればその分だけ質の悪い眠りになる。よって寝過ぎは起きた時に気分が悪く身体がぐったりして、かえって疲れてしまう。
2 睡眠障害について
(1)不眠
まず不眠の定義とは、過去一ヶ月において一週間に三回以上、または寝床についても30分以上寝つけないという入眠困難、夜間または早朝に目が覚めてしまうという中途・早期覚醒といい、このどちらか、あるいは両方の症状が見られるものをいう。
成人の5人に1人がこの症状を抱えており、男女別に見ると女性の方の多く見られ、年齢を重ねるごとに増加する。これは仕事と家事や育児の両立からくるストレスによるものと考えられる。
また、睡眠の質がよくないと考えられているのは、比較的若い男性で、更年期以降の女性も多い。この原因としては自分の趣味などで夜更かしをしたため、看護・介護のため、またトイレが近くなることにあるだろう。
(2)睡眠障害
上記の結果引き起こされるのが睡眠障害であり、これには睡眠時無呼吸症候群と概日リズム障害がある。
@ 睡眠時無呼吸症候群
眠ると筋肉が緩み、軟口蓋や舌根、喉頭蓋が下がり、気道が狭くなる。普通の人だと塞がるほどではないので呼吸に影響はないが、肥満や扁桃肥大のためもともと気道が狭くなっている場合、筋肉が緩んで舌根などが落ち込むと完全に気道が塞がってしまう。またこの状態で口を開けて呼吸すると、さらに舌根や喉頭蓋が下がり息が出来なくなる。これにより一時間に10秒以上の呼吸停止が5回以上現れる。これが睡眠時無呼吸症候群である。これには閉塞性と中枢性があり、ほとんどの人が前者。閉塞性では激しいいびき、あえぎが特徴。深い睡眠が得られないので起きている時も眠く、集中力の低下などから事故を起こしたり、高血圧や脳梗塞、不整脈を招く危険もある。
この症状は比較的高齢者に多く見られ、日本人には少なくとも100万人の患者がいると推定され、アメリカでは65歳以上の高齢者のうち、4人に1人の割合で患者がいると推定される。
<対処法>
・口からではなく鼻で呼吸をするように、鼻マスクをつけて空気を送り込む
・減量する
・気道を確保する手術 など
A概日リズム障害
生活のリズムが崩れたり、体内時計の調整がうまくいかないと、睡眠時間はどんどんずれていく。思春期の若者に多く、宵っ張り傾向のある人、交代制勤務に就いている人などにもみられる。睡眠そのものの時間や深さには問題がないことが多いものの、不登校・欠勤・常習遅刻などを引き起こし社会生活に支障が出る。これが概日リズム障害である。
◆対処法
・望ましい起床時間に2500ルクス以上の明るい光を浴びる。朝方に高照度光(2500ルクス以上の明るい光)を浴びると、リズムが早い方向にずれて早寝早起きの方向へ向かい、夕方に高照度光を浴びると、リズムが遅い方向にずれて遅寝遅起きの方向へ向かうことがわかっている。これによりくずれた体内時計を調整し直す。
・光の感受性を高めるビタミン12やメラトニンを服用する。
3 快眠への道
眠りの質は、一般的に睡眠時の周囲の環境と心身の状態で決まるといえる。ここでは、人が一般的によく眠れると思われる状態を紹介する。
(1)室内の環境
大きな音や騒音は深い眠りを浅くさせ、レム睡眠を短くさせる。また、室内が明る過ぎると、無意識に光を防ごうとして体を動かすため朝の目覚めのときに眠りの充実感が少なくなる。
また、室内がや寝具内が寒く手足が冷えると不自然な寝姿勢の原因となったり、ある
いは室温が急に下がると夢が不快なものになるといわれている。逆に、暑い時は発汗に
よって寝床内の湿度が上昇し、寝返りなどの体動が増える。いずれも目覚めやすくなり、
睡眠の充実感が得られず眠気を感じることが多くなる。
@ 寝具
寝具の中でも、時に睡眠に影響を与えるのが敷布団と枕である。
まず敷布団だが、良い寝姿勢を保つために、適度な硬さのものを選ぶとよい。ここでいう良い寝姿勢とは、背骨がゆるやかなS字のカーブ(生理的湾曲という)を描いている状態で、かつ最も全身の筋肉がリラックスする上向きの姿勢であり、この二つの条件を満たすにはやや硬めな敷布団がよいのである。
また、寒いときには掛け布団を重ねるのが一般的だが、敷布団を重ねると熱が寝具を通して床へ逃げるのをある程度妨ぐことができる。
枕については、一般的には後頭部と敷布団との間が6〜8cm程度の高さになり、横
向きになったときに肩先から側頭部全体を支えるだけの奥行きがあるものが良いとされ
る。
(2)生活全般
毎日同じような時間に眠りにつくことで睡眠のリズムをつくると寝付きやすくなる。
また、寝る直前は昼間の緊張を解き、ストレスを上手に解消しリラックスできる時間を
持つとよい。さらには、人生に意味や目的をもつと起きたときの気分がよいので、充実
した睡眠を得るためには起きている時間も充実していると良い。
(3)昼寝
@ 昼寝の効用
日中の眠気は、前の晩に十分に睡眠をとっていても、おこるものである。退屈な条件下では、前日の24時間中に普段の2倍の16時間眠っていても、日中に1〜2時間の昼寝がおこるようにヒトの体はできていて、眠気は生理的におこるものなのである。
睡眠の発生には2つのピークがあり、ひとつは最低体温期の少し前(夜間の主睡眠の時間帯)、もうひとつは最高体温期の少し前(昼寝の時間帯)である。よって、昼寝は体温リズムと関連していることがわかり、午後になって眠たくなるのは正常なことである。
A 食後の眠気
昼食後の眠気は、誰もがよく経験することである。食事をとると、体内の血液が消化管に集まり、脳への血液が少なくなる。また、食事により脳の満腹中枢が刺激を受けて、ある睡眠物質が働く。そして、生体時計のリズムが昼食後の眠気の大きな要因である。このリズム、つまり体温リズムと昼食が重なって、昼食後は眠くなるのである。
◆昼食後の眠気をどう乗り切るか…
○15〜20分くらいの昼寝をする
・昼寝の時間は長すぎると、睡眠慣性が残り、逆によくない。
○ガムを噛んだり、カフェインを含むコーヒーや緑茶を飲んだりして一息入れる
・「噛む」ことによって脳に刺激が伝わり、脳の覚醒を高める。
・カフェインはキサンチン誘導体と呼ばれるアルカロイド系の興奮剤で、脳内活動の活性化といった生理的変化をもたらす。摂取のし過ぎは、夜の睡眠に悪影響を及ぼすので気をつけること。
B 昼寝の習慣
地中海沿岸の地域に「シェスタ」と呼ばれる昼寝の習慣がある。「シェスタ」とは、スペイン語で「昼寝」という意味で、社会公認の昼寝タイムである。
昼寝を生活内に取り入れることにより、事故の発生防止、作業効率や判断力の向上、疲労回復、心身のリラックスなどの効果が得られる。
(4)入眠の工夫
入眠の工夫の基本は、体温を上げることである。体温が下がっていくときに寝つきがよくなり、その落差が急激なほど寝つきはよくなる。
赤ちゃんは、眠る前に手足が温かくなり、血液を外のほうへまわし、脳の奥の温度を下げている。しかし、大人の場合はストレスなどがかかり、血管が収縮し、末梢の血液は減少しやすくなる。このような血のめぐりの偏りなどから、大人の場合は放熱の効率が悪くなっている。そこで、体温を普段より上げて、上げた分だけ落差をかせいで放熱をスムーズにし、それで寝つきを促進しようというのが、基本的な考え方である。
体温を上げる方法としては、入浴や軽く汗ばむ程度の有酸素運動が効果的である。入浴と運動を組み合わせると、さらに、効果的が上がる。
(5)自己覚醒法
目覚し時計に頼らなくても、起きると決めた時間に自然と目が覚めるという覚醒を自己覚醒という。例えば、運動会や遠足といった行事の日の朝は、自然と目が覚め、しかも、目覚めもスッキリしていた、というような経験をしたことがあるだろう。これは、自己覚醒を利用した目覚めといえる。
自己覚醒は、誰でも訓練をすればできるようになるという。
○起床時間と就寝時間を決めて、それらが2時間以上ずれないように、規則正しい生活をする。
○起きるために、「起きれば何かいいことがある」という動機付けをする。
自己覚醒の脳内メカニズムはまだほとんどわかっていないが、目を覚ますべき時間が接近すると、内分泌系は目を覚ます準備に入り、睡眠から覚醒への移行がスムーズに行えるように調整がすすむ。目覚し時計の大きな音でビックリして覚醒し、大急ぎで全身を活性化させるのに比べると、無理のないスマートな覚醒といえる。
この自己覚醒は、規則正しい生活習慣の中に組み込んで、起床時の負担を減らして、睡眠を自己管理する手段として、これからもっと注目されるべきである。
4 快眠スケジュール
以上のことをふまえ、実例を挙げて具体的にスケジュールを修正してみました。
〜I君の1日のスケジュール修正プラン〜
6:00就寝 ←遅すぎ。
↓ ←5時間は中途半端。せめてあと1時間寝て6時間がいいです。
11:00起床
↓ ←ご飯の時間は適当との事ですが、やはり決まった時間に食べた方が生活にリズムが生まれてよい。
12:00バイトへ
↓
20:00帰宅
↓
21:00昼寝 ←遅すぎ。
↓ ←昼寝にしては寝すぎ。この後の活動に支障がでるおそれあり。
23:00起床
↓ ←夜の4時5時は人の体温が一番下がる時間。
翌6:00就寝 起きて活動するような時間ではありません。
次に上の修正ポイントを生かした改善プランを考えてみた。本当は根本的に直したかったのだが、今回は上の生活を基本的には維持するという形で考えた。
4:30就寝 ←就寝を早めにしてみました。
↓ ←睡眠6時間化。
10:30起床 ←ご飯も決まった時間に食べましょう。
↓
12:00バイトへ ←暇があったらここらで昼寝でも。
↓
20:00帰宅
↓
21:00昼寝
↓ ←昼寝削減。これだけ寝れば十分。昼寝が減った分、上にも
21:30起床 書いた通り就寝時間を早めて下さい。
↓ ←このプランでも夜間活動時間は変化なし。
翌4:30就寝
<コメント>
とりあえずこれで多少ですが改善されたと思う。このプランを実行することも大切だが、もっと大事なことがあります。それは、決められたリズムをつくり、それを続けていくこと。日によって就寝時間や睡眠時間数が変わってしまうのは、体にとってそれだけで負担になる。そこの点に気をつけていけばなおよい生活がおくれると思う。
〜Kさんの1日のスケジュール修正プラン〜
7:30 ←起床
↓
8:30 ←朝食(パン、チーズ、紅茶)
↓ 【ポイント】《朝食は1日で一番大事な食事なのでしっかり取るよう心がける。》
9:30 ←登校
↓
10:20 ← 大学に到着
講義・図書館・教務課・一般教育研究室などをまわる。
↓ ※昼食は時間がなく、講義前で緊張している為とらない。
【ポイント】《昼食は軽食でもよいので、合間をぬってできる限り食べる。》
16:30 ←研究室でパソコンと向かい合う
↓
20:02 ←最終バスで1人大学を後にする
【ポイント】《電車の中で15分ほどでもよいので仮眠を取る。》
↓ [理想は14:00頃に仮眠を取ると23:00頃に眠気を誘うため最善だが、夜仕事をする人は19:00〜20:00に仮眠を取ると23:00以降眠気が発生しにくくなるので効率的でよい。]
21:00 ←帰宅
↓ ←夕食、入浴、ボーっとしながらはちみつ入りレモネードを飲む。
テレビのニュースをチェックする。
↓ アロマテラピーでリラックスする。
【Good】《ボーっとし、リラックスすることにより昼間の緊張を解き、ストレスを上手に解消できる。》
↓
24:00 ←仕事
↓
翌4:00 ←就寝
<Kさんの一週間の睡眠状況>
1〜3日目 3.5時間/日
4日目 7時間/日
5〜7日目 3.5時間/日
<コメント>
Kさんの場合、短い時間で効率よく睡眠をとることに重点を置き計画を立てた。 睡眠時間が短いことは良くないが、仕事などでやむを得ないため毎日の就寝時間を一定にするなどして、より良い睡眠をとることが重要である。
〜N君の1日のスケジュール修正プラン〜
9:00起床 ←就寝後7.5時間後の8:30にしては? ←注1
↓(朝食抜き) ←「噛む」という動作は脳が刺激されて目が覚めるので朝食は
9:20登校 摂ると良いでしょう。
↓ ←昼食後に時間があれば、少し昼寝を。
16:30下校
18:00バイトへ
↓
22:00帰宅
↓自由時間 ←湯船につかり心身共にリラックスしましょう。
注2←(入浴etc.)
1:00就寝 ←就寝前に、睡眠を促進する成分であるアミノ酸トリプトファンを含むホットミルクやイチジク、ヨーグルト等を摂ると良い。この成分は睡眠ホルモンと呼ばれるメラトニンの元でもある。
注1:ゆっくりと時間をかけて起きることを心掛けるといいです。自然な目覚めが理想的ですが、目覚ましに頼るなら15分くらい前(→8:15頃)にセットするといいでしょう。また、目覚めたらその場で大きくノビを。体の筋肉を伸ばすことで、体が目覚め、すっきりと起きられます。
注2:人は、深部温度が下がる時に寝つきやすいものなので、入浴して体温を一度上げてやり、その後体温(深部体温)が下がる過程で眠るようにすると寝付きやすくなるでしょう。
<コメント>
日頃から十分なビタミンやミネラル類を十分摂取することを心掛けてください。ビタミンB複合、カルシウム、マグネシウム、銅、鉄、亜鉛は睡眠に効果的で、質の高い睡眠をもたらします
*Q&A
Q1.2,500ルクス以上の光を浴びるとは、どのぐらいの光を浴びればいいのか?
A.真昼の晴天日では50,000ルクス以上、曇っている日でも4,000ルクス以上の強さ
があるので、起きてから2〜3時間以内に外に出るだけでも十分に効果がある。
Q2.Kさんの一日のスケジュールの中で、“睡眠のリズムを崩さないように毎日同じ就
寝時間にしましょう”と書いてあるが、ホメオスタシスによると睡眠に清算が出来る
ので、4日目は7時間睡眠でもいいのではないか?
A.確かに寝不足の次の日に睡眠の量を増やせば睡眠量の清算は出来ます。しかし質の
良い眠りを得るためには、毎日の睡眠のリズムを崩さないことが最も大切なのです。
Q3.就寝時の布団内の快適な温度、湿度は具体的にどれくらいか?
A.文献などによって多少のズレはみられるが、だいたい温度が35℃、湿度が55%前
後のようである。
Q4.風呂に入った時の睡眠に対する効果がわかりにくいが?
A.本編中のN君のケースを参照してください。
Q5.時差ボケ対策に具体的なものはないのか?
A.一番良いのはあらかじめ生活のリズムを現地時間に合わせておくことであり、ま
た、現地に着いたらなるべく日の光に当たるようにし、体内のメラトニン分泌量を減らして体に昼間であることを認識させるとよいでしょう。
さらには、食べ物でホルモン分泌をコントロールすることにより体内時計を調節す
るという方法もあります。機内食や現地では朝・昼には脳に入ると体を活性化させる
チロシンという物質を多く含むたんぱく質を、夜にはトリプトファン(←本編中のN
君のケース参照)を含む炭水化物を摂るよう心掛けてみてはどうでしょうか。
5 最後に
これまで睡眠というテーマのもと“よりよい睡眠の知識を高め、生活習慣の改善”という目標を掲げ、調べてきました。
まず、睡眠の基礎知識について調べ、睡眠の理解を深めました。次に現代の人間の睡眠事情を調べ、その改善すべき問題点を発見し、原因を突き止め、今まで調べてきた睡眠の知識を生かしつつ、その問題点を改善しました。具体的には、睡眠障害について調べました。さらに、よりよい睡眠に向けて快眠への道を調べ、また普段何気なくしてしまう昼寝についても調べました。
そして、最後に具体的に身の回りにいる人たちを例にとって、その人たちの一日の過ごし方を調査し、その問題点を見つけ、改善策を考えました。この調査につきましては、協力してくれた人たちには改めて感謝しています。
こうして目標である“よりよい睡眠の知識を高め、生活習慣の改善”を達成することができ、少しでも今後私たちの生活に役立てれば良いと思います。
<参考文献>
・中日新聞 中日サンデー版(2001年9月23日)
・「快適睡眠のすすめ」(堀 忠雄著・岩波新書)
・「ためしてガッテン」ホームページ
http://www.nhk.or.jp/gatten/archive/1996q2/19960403.html
http://www.nhk.or.jp/gatten/archive/2000q1/20000301.html
・「睡眠障害Q&A」ホームページ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley/1379/SDQA3.htm
・ 健康づくり ホームページ
http://www.health-net.or.jp/kenkonet/
・Circadian Technologies ホームページ
http://www.circadian.co.jp/info/healthy.htm
・ あいち健康プラザ ホームページ
http://www.ahv.pref.aichi.jp/hitokuchi/9908/shousai2.htm
・日本テレビ系列 特命リサーチ200xホームページ
・日本睡眠学会
http://www.ashitech.ac.jp/jhome/jssr/
1 目的
臓器に重度の疾患を抱える患者には臓器移植での措置が必要な人もいる。しかし、それには臓器提供登録者(ドナー)が不足しているのが現状である。
一言で臓器移植と言っても、私達は臓器移植をどこまで知っているのだろうか。また、脳死判定についてどこまで知っているのか。
97年(平成9年)に制定された臓器移植法やニュース・新聞などの臓器移植の報道によって一時はかなり人々の関心の目は向けられたが、今現在ではこれといった大きな報道はなく、問題意識が希薄になっていると言えるのではないだろうか。こういった関心度の希薄さを考えてみたいと思う。
2 事例紹介
(1)事件の内容 1999年
高知赤十字病院で、臓器移植法に基づく初めての脳死判定手続きが実施された。脳死の患者から心臓や肝臓を摘出して別の患者に移植する、脳死移植が法施行後1年4ヶ月を経て、1件もない中、1999年2月26日午後に高知県在住の中年患者に対し、改めて脳死状態かどうか主治医らが判断する臨床的脳死診断(仮の脳死判断)を行い、脳死状態と判断した。主治医は判断後、患者の家族に「移植コーディネーターの話を聞きたいなら連絡ください」と説明したが、日本臓器移植ネットワークのコーディネーターには「家族は疲れていて移植のことを話し合う状態ではない」と連絡。このため、同ネットワークは同日中に臓器移植法に基づく脳死判定の承諾を求め、移植についての説明を行わないことを決定した。よって家族の意思確認と、法に基づく再度の脳死判定の実施は27日以降に持ち越されることになった。
(2)事件の内容 2001年
愛知県岡崎市の岡崎市民病院で昨年7月に行われた親子間の生体腎移植手術の際、麻酔をかけた後に親子の血液型が違うことが分かり、手術を延期せざるをえなかった医療ミス事件。
岡崎市は6日、この親子に総額210万円の損害賠償金を支払うと発表。11月の臨時議会に関連議案を提案する。
病院側の話では、腎移植手術の際、母親の「子供とは血液型は同じ」という言葉をうのみにし親子に麻酔をかけた。手術の直前、麻酔医らの指摘で血液型が異なることが判明し、急遽手術を中止した。移植手術は後日、別の病院で行われた。
岡崎市民病院では、1998年以降、支払いが確定した医療ミスによる損害賠償金は今回を含めて計8件で総額約3200万円の上る。
3 事例の分析
臓器移植の報道の全盛期である1999年と2001年(今現在)における報道の度合いをその年に起きた一つの事件に関していくつの新聞社が報じたか、また新聞記事の面積はどれくらいであったかを比較。(グラフ参照)
グラフを見て明らかなように、1999年と2001年での報道の差は歴然である。臓器移植問題全盛期の1999年は一つの事件について4つの新聞社が記事にし、その記事の大きさもかなり大きいものであるのに対し、2001年の事件では2つの新聞社しか扱わず、しかも記事はかなり小さいものであった。他に気付いた点は、1999年の新聞には社説にまで臓器移植や脳死関連の話が載っているのに対し、2001年の新聞には全く見当たらないことだ。無作為に選んだ事件ではあるが、臓器移植に関する関心度が低下していることを示しているのは間違いないだろう。ここにあげた以外の事例でも同じことが言えるのではないかと考える。
4 資料・データ
(1)脳死の判定基準
@前提条件
・ あらゆる適切な診断的・治療的処置が行われていること。
・ 器質的脳障害による深昏睡、無呼吸を呈している。
・ 原疾患が確定し、これに対するあらゆる治療の効果がなく、回復性がないと判断された。
以上の条件を満たす場合に、脳死判定が行われる。
* 除外例 @6歳未満の小児
A器質的脳障害でない例(急性薬物中毒、低体温、代謝分泌障害)
は、脳死判定基準を満たしていても、回復の可能性があるので除外。
A脳死判定基準
・ 循環及び呼吸機能が不可逆に停止した個人は死亡したとする。
・ 機能の停止は妥当な医学的診察・検査によって判定する。
・ 不可逆の判定は妥当な観察によって判定する。
1.脳の無反応を示す昏睡
2.無呼吸(自発的呼吸の停止)
3.瞳孔散大
4.脳神経反射消失
5.脳の電気活動の停止
6.確認検査
7.脳循環停止
以上の諸条件は、昏睡と自発呼吸以後少なくとも6時間経過した後に、30分間は満足されなければならない。なお、この基準は早期に脳死を判定する時、脳血管撮影の有用性を強調している。
(2)脳低体温療法
脳低体温療法とは、血液のめぐりが悪くなってくると筋肉や神経細胞の活動によって出る熱が運ばれていかずに残るため脳の温度が(44℃程度まで)上昇する脳内熱貯留現象が見られ、神経細胞が48時間で損傷する。神経細胞というものは42℃で死滅する。そこで冷水がかん流するマットの上に患者を寝かせ、体全体を32〜34℃まで冷やしてやることによって高温による損傷を避けると共に、代謝を低下させることで神経細胞を(1時間程度)休息させる。ここでいう32℃というのは、脳内の活性酸素が脳細胞を攻撃しない温度である。
<欠点>@.体温を下げ過ぎると身体の機能に障害が出やすいこと。
A.免疫力が落ちてしまうために温度を上げる途中で感染症にかかりやすいこと。
(3)現代日本人の脳死意識
@世論調査にみる脳死意識
平成3、4年に脳死臨調の2つの答申が出されて以来、脳死に関するアンケート調査が広く行われた。これらの調査結果に基づいた場合世間一般の人がどのような脳死意識を持っているか、また意識がどのように変化してきたのかの概略をみてみる。
■政府臨調の調査(平成4年1月22日)
脳死臨調が最終答申提出の平成2年9〜10月に1000人の各界の有識人を対象として脳死意識調査を行った。その結果、脳死・臓器移植に賛成:65.1%、反対:15.3%、どちらともいえない:19.6%であった。
ついで、平成3年9月に一般市民3000人を対象として実施した世論調査では、賛成:44.6%で過半数に到らず、反対:24.5%どちらともいえない:30.9%で前回の有識者に対する調査よりも賛成者は増加していない。
また脳死と移植との関係については、「脳死は人の死ではないが、本人の意思がはっきりしていれば脳死状態での移植を認める」:49.0%、「脳死状態からの移植は、脳死が人の死であることが前提」:26.8%だった。
臨調はこの結果を次のように解釈した。
問題の性格上、国民の中にある程度の反対意見のあることは当然で、こうした国民感情は今後かなり解消していくことが予想されることから、脳死を持って人の死とすることについて概ね社会的合意ができ、受容されたといってよいと決定づけている。
第1回目と2回目の調査対象が違うとはいえ、臨調は脳死の賛成者が1年の間にかなり減ったという事実(65.1→44.6%)を無視しているように思える。
■毎日新聞の調査(平成3年9月13日)
平成3年6月14日、臨調の中間答申が発表されると、毎日新聞はいち早くアンケート調査を行った。同社がすでに平成2年1月に行っている調査で得られた、16カ月前のデータを比較のため括弧内で示した。
〇「脳死を人の死と認めますか」→認める 男51、女39{全体で45%(40%)}
→認めない 男20、女25{全体で23%(37%)}
→▼わからない 男26、女34{全体で2%(2%)}
〇「もしあなたの家族が脳死と判断された時、本人の生前の意思があれば見知らぬ患者を救うため臓器提供をしてもよいと思いますか」
▼よい 男57、女50{全体で53%}
▼したくない 男40、女46{全体で43%}
▼無回答 男3、女4{全体で4%}
〇「ではあなたが脳死と判定された時、臓器提供してもよいですか」
▼よい 男57%、女52%{全体で54%}
▼したくない 男39%、女44%{全体で42%}
▼無回答 男4、女4{全体で4%}
この調査から、臓器提供に応じてよいとするものの、平均値からすれば脳死を認める男性が多く、女性はやや少なかった。両性に共通して、臓器移植をしてもよいという意見が、移植したくないという意見を若干上回ったが、男性のほうが女性よりも脳死・臓器移植にやや積極的だった。
この結果は平成2年の結果と比較すれば、答申による大きな社会的影響のためか、世論は脳死容認のほうに多少とも傾いてきたことを示すようだと報じている。
■日本医大救急センターに調査
1991年に日本医大救急センターで取り扱った539例の死亡者の中で、94例が脳死と診断された。そのうち16家族41人対して行われたアンケート調査が報告されている。 その結果は次の通りである。
〇「脳死を人の死と考えるか」
▼賛成 7.3%
▼反対 26.8%
▼どちらともいえない 64.3%
〇「患者が脳死であるといわれとき家族はどのような考えをもったか」
▼助かる可能性があると思った46.3%
▼助かる可能性がないと思った36.5%
▼その他 17.2%
〇「家族の一員が脳死に陥ったという経験を得たために,脳死という概念に変化があっ
たか」
▼変化があった 51.2%
▼変化がなかった 46.3%
▼無回答 2.4%
〇「脳死患者から移植のために臓器提供することについて」
▼賛成 9.8%
▼反対 16.8%
▼どちらともいえない 63.4%
先に行われた一般人を対象とした臨調の脳死に対する楽観的な見方と、脳死を体験した家族との意識のデータとを比較すれば、はっきりした差があることが理解される。家族から脳死者をだした家族では、脳死の現実を厳しく受け止め、必ずしも脳死を抵抗なく容認している心境にあるわけではないことを示している。
脳死を身近に経験していない一般人はアンケートに答える際、「どうせもう話すこともできないし、そんな状態で生き続けさせるよりも困っている人に臓器を提供して人を助けてあげればいい」などと楽観的に考えていたのであろう。確かに、一般的にそう考える人が多いだろう。しかし、そう考えている人々も実際、身近に脳死を体験すれば「頭ではわかっているのだが・・・。気持ちの整理がなかなかつかない」といった感情が素直な意見なのではないかと思う。こういう感情が日本医大救急センターのアンケート調査で、「脳死を人の死と考えるか」や「脳死患者から移植のために臓器提供することについて」という質問に対して「どちらともいえない」という回答が圧倒的なのではないかと思う。
(4)臓器移植法(現行法と改正案)
改正法案を紹介する前に現行法について簡単に説明する。これをふまえた上で改正法案を考えてみて欲しい。
@臓器移植法の骨子
i 医師は死体(脳死した身体を含む)から移植のために臓器を摘出できる。
ii脳死した者の身体とは移植のために臓器が摘出される予定で、全脳の機能が不可逆的に停止したと判定された人の身体をいう。
iii脳死で臓器摘出する場合の脳死判定は、本人が生前に書面で、脳死と判定されたら死者として扱われることに同意し、家族が判定を拒まない場合に限り行える。
iv脳死で摘出ができるのは死者が生前に書面で臓器を提供する意志お表示しており、遺族が拒まない場合に限る。 ・・・@
v臓器提供の対価として財産上の利益を与えたり得たりしてはならない。違反した者は5年以下の懲役または500万円以下の罰金に処す。
vi 脳死した者の身体への処置(治療)の費用は当分の間、保険給付の対象とする。
vii 施行後3年をめどに施行状況を勘案し、必要な処置を講ずる。
※ 上記にある「書面」とは、臓器提供意思表示カード(いわゆるドナーカード)だと思ってもらえればよい
A臓器移植法に基づいた厚生省令、及びガイドラインの骨子
i. 心臓、肝臓、腎臓、肺、膵臓、小腸を移植の対象臓器とする。
ii 移植に使わなかった臓器は焼却する。
iii臓器提供の意思表示が有効な年齢は15歳以上とする。
iv患者が知的障害者等で意思表示が有効でない可能性がある場合には、
法に基づく脳死判定を見合わせる。
v臓器提供の承諾を得る家族の範囲は、原則として配偶者、子、父母、孫、
vi祖父母及び同居の親族とする。
vii心停止後の角膜と腎臓は本人の意思が表示されていなくとも、家族の承諾で摘出できる。
1997年に制定された臓器移植法は3年経た2000年10月から現行の見直し時期に入った。厚生省の厚生科学研究費班のメンバーである町野氏は、2000年2月18日に改正案中間報告を発表、同年8月22日に最終案を厚生省に提出した。
現行法と町野氏の改正案、町野氏の改正案に対する盛岡氏の反対理由を表で比較してみよう。 (以下の表を参照する。)
現行法と町野氏の改正案を比較すると、1は現行法の@と対立関係にあり、2,3については現行法には規定がなく、日本では実施できないものである。脳死の拒否権を認めないとするあたり、町野氏の案は臓器移植推進派の中でも過激な部類にあるように思える。
また、その町野氏の改正案に反対する盛岡氏の理由は上に挙げた通りであり、矢印以下に示した三項目を前提条件にするべきであるとした。
ここでは町野案に対する盛岡氏の反対意見を紹介したが、他の改正案として、てるてる案、盛岡・杉本案、日本移植者協議会案などがあげられる。
(5)小児の臓器移植について
小児の臓器移植、68%が実現求める=総理府調査(8月26日配信)
総理府は26日、「臓器移植に関する世論調査」結果を発表した。それによると、現在、禁じられている脳死の小児(15歳未満)からの臓器移植について、移植実現のために見直しを求める人が7割近くに達していることが明らかになった。一方、臓器提供意思表示カード(ドナーカード)の普及率は1割に届いておらず、依然、臓器提供に根強い抵抗感が残っている。
調査は、今年5月に全国の成人男女3000人を対象に実施され、有効回収率は71.9%だった。臓器移植に関する調査は1998年10月に続いて2回目。
現行法 |
町野氏の改正案 |
盛岡氏の反対理由 |
@ ⇔ × × |
1. 法律によって、脳死を一律に人の死とし、脳死の拒否権は認めない。 2.脳死になった本人がドナーカードを持っていない場合、「臓器移植に自己決定して死んだもの」とみなし、家族の承諾があれば移植できるようにする。 3.親権者の承諾があれば、意思表示のない15歳未満の脳死の子どもからも移植ができるようにする。 |
T.脳死を人の死とするか、しないのかは、それぞれの人間の生死観に委ねるべきである。 ↓ 脳死を一律に死とするのはおかしい。 U.脳死の人からの臓器移植は、本人の尊い提供の意思を活かす為に許可されたはずである。臓器移植だから本人の意思が不明の場合でも摘出してしまえ、という方向への改正は臓器移植法の精神に反する。 ↓ 15歳以上の移植の場合は「本人の意思」確認を前提条件とすべき。 V.15歳未満であっても、自分の臓器提供についての意思表示は可能である。子ども本人に同意・拒否の意見表明の機会を与えないのは、日本が批准している「児童の権利条約」違反であると考えられる。 ↓ 15歳未満の移植の場合は、何らかの形の「本人の意思」の表明が存在すること。 |
|
小児からの臓器移植については、「移植ができないのはやむを得ない」と考えていた人は21.1%だったが、「移植ができるようにするべきだ」と答えた人は3倍以上の67.9%を占めた。特に、30歳代、40歳代ではいずれも7割以上が見直しを求めており、15歳未満の子どもを持つ親の関心が強いことを浮き彫りにした。 一方、臓器提供に必要なドナーカードを持っている人は9.4%。このうち半数以上に当たる53.0%は記入漏れがあり、実際には役立たないものとなっていた。 またドナーカードを持っていない人に、今後、所持する考えがあるかを聞いたところ、「持ちたいとは思わない」が42.3%(前回調査比3.4ポイント増)と増えており、「持ちたい」の23.8%(同0.2ポイント減)を大きく上回っていた。その理由(複数回答)では、「臓器移植に抵抗感がある」(36.9%)、「臓器移植についてよく知らない」(14.1%)などが上位を占めていた。 このほか、臓器移植に関する政府への要望(複数回答)では、「移植を受けた患者の費用負担軽減」(60.4%)、「個人のプライバシーの保護」(46.4%)などとなっている。 |
5 まとめとして
現在、臓器移植法が見直されているが、私たち個人としては15歳未満の子どもが日頃から自分の死んだときのことを考えているとはあまり思えないので、15歳未満の子どもの臓器提供に関しては親権者の承諾によって認められるものでいいのではないかと思う。ただ、これは健常者である15歳未満の子どもに対して思うことであって、何かの病を患っている子どもは身近なこととして臓器提供に関して考えをもっているかもしれない。だから一概にどうだと言えないのが事実である。
臓器移植法の見直しで改正案がいくつかあがっているが、今現在の社会の臓器移植等への関心度は薄まるばかりで、それについてしっかりとした知識を持っている人はほんの一握りなのではないだろうか。そのような状態で現行法改正となったとしてもその改正された内容を果たして皆が理解し、そして浸透するのか否か。これから先どう変わっていくのか。不安は拭い切れない。
6 質問とそれに対しての答え
Q ドナーカードを携帯していない時に脳死判定が行われ、ドナーカードが後から発見された場合はどうなるか?
A 臓器提供をするかどうかの最終判断は、家族の承諾であるためその時に携帯していなくても構わない。
≪参考URL≫
臓器移植法 http://www.med.kindai.ac.jp/kyumei/html/transplant.html
臓器移植法改正 http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/ishokuho.htm#2
http://www.asahi-net.or.jp/~mu3t-oois/4kame.html
臓器移植の情報サイト トランスプラント・コミュニケーション
http://www.medi-net.or.jp/tcnet/index.html
脳死判定基準 http://fish.miracle.ne.jp/okuno/makoto/mss_nosi.html
功刀ゼミ4代目ゼミ長より最期のメッセージ
初めて目を通す方には初めまして。このページにて挨拶させていただきます、功刀ゼミ4代目ゼミ長池田と申します。
そして今年度1年間ゼミを共にした皆さん本当にお疲れ様でした。
今年度は(昨年度から履修の人は昨年度も)班活動を行うということで、皆さんそれぞれに班活動の大変さ面白さを堪能できたと思います。
かく言う私も、昨年に続き今年も「班活動」というものに散々苦しんできたクチであります。班活動というものは、みんなで上手に協力し合うことが出来れば個人のみではなしえないビッグスケールなプロジェクトが立てられる反面、班員の考えがバラバラで足並みがそろわないと足並みをそろえることばかりに苦心してしまい結局一年間何も出来なかったという事になり兼ねません。結局、一人で全部やった方が早いと言う事になってしまいます。
私も2年間を通して「本当にグループワークならではのメリットを生かしながらゼミ活動を行えているのか?」という壁にぶつかり続け、必ずしも成功していたとは思いません、むしろ最後まで失敗ばかりしていたように思います。しかし敢えてグループワークが行えたことを嬉しく思います。
それは私が実は「グループワークが非常に苦手」だからなのです。学生である今のうちに人と合わせたり協力したりする事が苦手な私がグループワークに挑戦できる事は貴重な経験でした。他にも「非常に下手な司会」「製作用のツールがあることすら知らなかったホームページの製作・管理」等、敢えて苦手な事にチャレンジしていく機会には非常に恵まれていたような気がします。
そして、チャレンジしていく事で少しは苦手意識を少しでも克服できたり隠れていた自分の能力を開発したりする事が出来ました。
ここを読んでいる人は功刀ゼミとなんらかの縁があり読んでいる人が多いかと思います。もしよろしければ、ゼミという「ツール」を活かして自分を発展させて見ませんか?自分を変えたいと言う「夢」+「努力」=「現実」になると思います。特にゼミを来年も履修する皆さんはこれから是非苦手な事にチャレンジしてみて下さい。
そして最期にゼミを通じてお世話になった皆さん、本当にありがとうございました!