四川のチベット系民族



チベット高原の東、四川省西部の海抜2000メートルを超える山岳地帯は、江・大渡河・雅江・金沙江などの大河が南北に流れ、鋭いV字型峡谷が形成された寒冷な土地である。そこは、かつてさまざまな民族が北から南へと移動を続けた「道」でもあった。数千年前、故地を追われた北方の古代民族「羌」は、峡谷に沿った険しい「道」を南下して新たな土地に定住していった。現在、これらの大河流域には江流域に約20万人のチャン族が、大渡河流域に約10万人のギャロン・チベット族、雅江流域にミニヤック、アールゴン、ナムイなどのチベット族諸集団が居住する。
彼らは古代民族「羌」の末裔と目される集団である。山の神を信仰し、チンクー麦や小麦、トウモロコシを栽培しながらヤクやヤギを飼って自給し、貝母や虫草などの漢方薬材を採集して暮らしてきた。しかし唐代になってチベットに勃興した「吐蕃」は、中国本土への進出を企てて度々四川省西部を襲い当地域を征服した。「吐蕃」の支配下におかれた住民は、やがてチッベト仏教を受け入れて「チベット化」し、人民共和国成立後にチベット族とされた。
古代民族「羌」が移動した大河の「道」には、現在も処処に高さ20〜50メートルの巨大な「石」が聳えている。石は、敵の侵入に備えて、眺望のきく小高い丘や村の中心部に建てられた。18世紀半ば、金川のギャロン人は清王朝の支配を拒んで反旗を翻し、これにこもって20数年に及ぶ戦いに耐え、約5万人の死傷者をだして敗北した。清朝側も数万人の死傷者を出したものの、続々と漢族農民を入植させた。ギャロン・チベット族では、石の故事は、民族の独立のシンボルとして現在も語り伝えられている。


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注)一部中国語表記の為、文字を画像として表示してありますので読み難くなっておりますが御了承下さい。