Wilhelm Emrich

《文学ノートV》

現代文学の構造
――その境界設定と本質規定の試み――

ヴィルヘルム・ エムリヒ著
竹中克英訳


現代文学の本質、いな、そもそも現代芸術の本質をめぐる激しい論争は、現代文学がいかなる独自牲によって、それ以前のいっさいの文学から区別されるのか、あるいは、積極的な言い方をするなら、現代文学はいかなる要素から構築されているのか、いかなる要素がそれを構成しているのか、といった根本的な問を問うことを余儀なくしている。

 このような問いの立て方自体、すでに著しい懐疑に直面する。対立し合う現代文学の豊かさを前にして、その共通の構成要素を、議論の余地なく規定することが、どうして可能であるか。そもそも、共通性といったものが、例えば、自然主義文学と表現主義との間に存在するのか。もし存在するとしても、それは、一般に文学的なものという、全く共通の地平上に存するのではなく、従って、それ以前の文学に対して、共通の境界設定をすることなど、まったく不可能となるのではないのか。

 にもかかわらず、なるほどこうした疑問が正当なものだとしても、こうした試みを敢えてしないわけにはいかない。というのも、文芸は、いぜんとして広く古典主義的美学に由来する尺度で、現代文学を判断しようとする傾向があるからである。それによって、一見極端ともみえる特殊な例――例えば、ダダイズムの文学――を、初めから非芸術的な流行現象として処理し、この文学が実際には、より穏健な、他の現代文学にも潜在的に存在し、それらをも同時に、本質的に規定するところの文学的構造を、首尾一貫して形成しているのではないだろうか、といったことなど調べもしない。他方ではまた、多様な文学潮流の綱領的発言を、吟味もせずに、創作された芸術作品にそのまま転用し、旧来の図式的な分類、「諸々の主義」(自然主義、印象主義、表現主義、シュールリアリズムなど)に固執し、まずその前に、こうした綱領的な定義とは必ずしもいつも一致するわけではない、現代文学の実際の形式そのものへ、足を踏み入れないまま、済ませてしまう危険性がある。

 我々は、ややもすれば、まだ今日に至っても、文学史を記述するにあたって、現代文学を、相互にばらばらの相容れない諸傾向の羅列の中で、理解しようとする習慣がある。現代ドイツ文学の冒頭には、たいてい、アルノー・ホルツ、ゲルハルト・ハウプトマン、トーマス・マンが登場してきた、一八八O年頃から一八九〇年にかけての、自然主義文学革命が位置づけられる。その反対運動として、一八九五年から一九一〇年に至る、いわゆる新ロマン主義、あるいは印象主義的潮流が、これに続き、これと平行して、――すでに一八九〇年に始まる、がしかし、たいていは、同じように自然主義に対する反対運動として捉えられている――シュテファン・ゲオルゲ、フーゴー・フォン・ホフマンスタール、ライナー・マーリア・リルケといった人々の抒情詩が続く。自然主義および印象主義に対する反対運動として、その後、一九一〇年から一九二四年頃に至る、いわゆる表現主義――ゲオルク・トラークル、ゲオルク・ハイム、エルンスト・シュタドラー、フランツ・ヴェルフェルといった抒情詩人、ゲオルク・カイザー、エルンスト・バルラハ、カール・シュテルンハイム、ラインハルト・ヨハネス・ゾルゲ、ラインハルト・ゲーリング、フリッツ・フォン・ウンルー、場合によっては初期のベルトルト・ブレヒトなどの劇作家、アルフレート・デーブリン、クラブント、カシミール・エートシュミット等の小説家に代表される――が並べられるのが通例である。一九一七年、チューリヒに生まれ、フランス、ルーマニア、オランダ、その他の諸国の詩人たちも参加したダダイズムは、表現主義の終焉を告げるサチュロス劇として把えられている。このダダイズムに参加したフランスの代表たちは、やがて、いわゆるシュールリアリズムヘと発展して行き、今日でもなお、現在のドイツ文学に対して、多大の意味と影響力を持っている。これに対して、ダダイズムがドイツで具体的に、直接的な影響を引き続き及ぼすことはなかった。むしろここでは、表現主義に対する反対運動として、一九二四年以降、新即物主義といった、味気ないリアリズムの文学が展開されるのであるが、最終的には、これはモンタージュ技法とルポルタージュの中に埋もれてしまう。これに続いて、一九三三年から一九四五年までは、組織的な文学的発展は、亡命文学と国内文学への分裂によって中断し、本質的にはいかなる種類の新形式をも生み出さなかった。そして、一九四五年から今日までの最近の文学は、ますます多様な対立状態に置かれている。今日、自然主義的、印象主義的、表現主義的、超現実主義的な諸形式、表現手段が並存し、しばしば相互に直接移行し合ってさえいる。そのうえ、ドイツでは古典主義的、ロマン主義的伝統が完全に死滅することなく、さらにこれらに加わっている。

 このように簡単に見渡してみるだけで、すでに次のような問題が生まれてくる。現代文学は、果してこのように諸々の運動と反対運動とにきれいに分類することによって、本当に意味のある理解が得られるのだろうか。これらの運動は、我々が思っているよりもずっと強く、互いに噛み合っていて、何の関連もない、ばらばらの諸傾向として単純に羅列してみたところで、無意味なのではないだろうか。例えば、いわゆる「徹底自然主義」の最もラディカルな創始者であるアルノー・ホルツの場合でさえ、かれの理論と文学的実践のいずれにおいても、後の表現主義にとって決定的な表現上の問題が、すでに現われていることが指摘できる。さらに、フランスでは、すでに十九世紀に、自然主義と絶対的な形式芸術(象徴主義、芸術のための芸術)が同時に生まれている、という傾著な事実がある。これと類似のことが、注目すべきことに、一八九〇年頃のドイツでも繰返される。しかも、自然主義と絶対詩とは、それに続く対立諸潮流によって「解消」されたり、「克服」されたりするどころか、むしろ現在に至るまで高められて来ているのである。すなわち、現在の小説芸術は、エミール・ゾラのような作家の最の大胆な後継者たちをも凌ぐ、自然主義的作品を生み出している。それにまた、象徴主義者たちの絶対的な形式芸術は、ポール・ヴァレリーといった人の文学の中で生き続け、さらには、「形式主義者」ゴットフリート・ベンの一層ラディカルな語法やかれの「絶対散文」の理論においても現われている。こうして我々は、当初の問、現代文学一般の構成法則についての問に立ち戻って来ることになる。というのも、最近のドイツ文学に見られる、極めて多様な表現可能性の間の対立もまた、この問をめぐるものだからである。

 いわゆる現代ドイツ文学の出発点、すなわち、過ぎ去ろうとする十九世紀の自然主義文学革命にまで立ち戻ってみるとき、注目すべき、示唆に富んだ現象、いわゆる秒様式に出会う。これは、極細の正確さでもって、いかなる瞬間をも、いわばある事件の一秒一秒を、言語的に可能なかぎり細分化し、適確に再現しようとするものである。一秒の中で、見、聞き、感じ、考えうるいっさいのものが、つまり外面的、内面的事象のすべてが、その文学において表現される。文学は、いわば存在するすべてのものに対する振動板と化すのである。何ひとつ省かれるものはない。舞台の上では、ただ精神的な対話とか行動が人物たちの間で展開されるだけでなく、同時に、生の総体的な豊かさが表現される。人物たちが部屋の中で歓談しているときに、さしあたり物語の筋とは全然関係のない、偶然に起る外部の物音、市街電車のベルの音とか、自動車の警笛、小鳥のさえずり、酔っぱらいの歌声などがいっしょに聞こえてくる。これに応じてまた、言語そのものも変化する。我々が、例えば、古典主義の韻文劇において慣れている、統一的に様式化された言語は、もはや存在しない。誰もが異なった話し方をするし、それどころか、瞬間ごとに、その時々の心理状態に応じて異なったものとなり、あるいは不意に中断して、その瞬間の心の昂りが要求するなら、別の文構造へと受け継がれる。従って、この秒様式の本来の創出者であるアルノー・ホルツの持情詩では、固定的な韻律構造も、押韻も放棄される。いま何を表現すべきかに従って、言葉のリズムは交替し、音色や語の選択も変化せざるを得ず、語の選択が押韻の強制に屈服するようなことは許されない。
こうして、それ以前の文学に対して、決定的な転回が 始まる。まず第一に、客観的に、あらかじめ与えられているような韻律上の図式は、もはや存在しない。アルノー・ホルツの仔情詩は、ゲーテの、あるいはウォールト・ホイットマンのいわゆる無韻リズムとさえ根本的に異なっている。ホルツが証明しようとしたように、かれらの場合には、たとえその接合が比較的自由で、ヴァリエーションに富んでいるとはいっても、やはりまだ一定の韻律図式の影響が、いぜん尾を引いている。第二には、ホルツが示しているように、まだヘンリク・イプセンのような散文劇にさえ認められる、様式化された、超個人的な言語は存在しない。第三として、これが決定的なことであるが、詩人の創造行為が活動しうる場として、客観的な、超時代的な基準は、まったく存在しない。ゲーテが何か自然的な、心的な、あるいは精神的な現象を形象化しようとするとき、彼にとって問題なのは、この現象の偶然的な、一回性的なもののうちに長時代的な、永遠回帰的な原現象を同時に明らかにし、時代的なものの有為転変の中に、典型的なものを表現することである。従って、必然的に、かれはすでにシュトルム・ウント・ドラング期に、典型化と様式化を目指す言語表現に到凄している。シラーが劇的な葛藤を形象化するとき、かれにとって重要なのは、例えば、道徳的要請と自然的〔本性的〕必然性との間の、人間の決断の自由と感性的な自然強制力との間の永遠の葛藤を表現することである。ロマン主義が一見主観的ともみえる反語的な戯れにおいて、文学のあらゆる形式法則を粉砕しようとするとき、にもかかわらずここでまさに。問題とされているのは、いわゆる世界精神をして、その客観的な、「超越的な」、永遠の運動を呈示し、詩的に開示させることである。個別形式を反語的方法によって破壊するということは、すなわち、世界の宇宙的〔普遍的〕な総体性を開示させることである。反語に、フリートリヒ・シュレーゲルが操り返し詳論しているように、「宇宙」の無限性のための意味を留保させる、というのである。

 十九世紀のリアリズムの文学では、生の総体的な豊かさが、直接〔無媒体〕に形象化されているように見える。しかし、その根底には、客観的な基準に対する信仰がある。すなわち、人格、いわゆる性絡の統一に対する、社会的・自然的事象の合法則性に対する、あるいは道徳的・教育的基準に対する信仰が。従って、十九世紀のリアリズムの小説は、まだ全く厳格な構成によって、一定の人物をめぐって組み立てられているか、確固とした、社会的な事実に即して方向づけられている。だが、すでにアルノー。ホルツにおいては、例えば、人格の統一性といったものは、全く疑わしくなっている。かれの場合、人間は瞬間ごとに異なっている。例えば、かれの詩『ファンターズス』では、果てしない可能性が開かれている。人間は生一般に固有な、あらゆる可能性を備えた生命体そのものである。それ故、アルノー・ホルツは『ファンターズス』において、無差別に、かつて存在し、いまなお存在するいっさいを、生の始原から今日にいたるまで、表現しようとする。ここでは、一定の、客観的な基準点もなければ、自然的、精神的、道徳的な類の、あらかじめあたえられているような何らかの基準もない。その上、ある一定の環境(Milleu)をめぐって作品を類別することもなされていない。

 これによってだが、我々はすでに現代的な問題性のまっただなかに置かれる。今日周知のように、人物・環境・時間・空間の統一性を、〔アルノー・ホルツの場合と〕同じようにもはや識らない、多次元小説といわれる型の小説がある。ドイツでは、アルフレート・デーブリンの初期表現主義の小説、例えば、『山、海、巨人』、ローベルト・ムージルの小説『特性のない男』、ヘルマン・ブロッホの『ヴェルギリウスの死』、ハンス・ベニー・ヤーン、エリザベート・ランゲサー、エルンスト・クロイダー等によって、またイギリスでは、特に、上掲のドイツの小説家たちに強い影響力を及ぼしたジェームズ・ジョイスによって代表される。これらの小説の多くはいま一度、客観的な、とりわけ宗教的な基準を得ようとしている。がしかし、何よりも、これらの小説が置かれているのは、基準を失ってしまった世界、ヘルマン・ブロッホが壮大な小説三部作『夢遊病者』の中の哲学的論文「諸価値の崩壊」で詳論しているように、超時代的な価値のいっさいが崩壊してしまっている世界である。

 同時にまた、我々は全く別種の文学現象を解く鍵を見出す。自然主義の文学革命から登場してきたのは、アルノー。ホルツだけでなく、トーマス・マンもまたそうである。トーマス・マンは、すでにかれの処女小説『ブッデツブローク家の人々』において、実に洗練された言語表現で、人間の外面的、内面的現実のあらゆる細目を、アルノー・ホルツの秒様式の技法に似た方法を使って、形象化しようとしている。だが、トーマス・マンの言語表現では、これらの細目は、作品の全体構造の内に〔ホルツに比べて〕はるかに厳密な、内的機能を持っている。それらは、なるほどまだ極めて纏まりに欠けた、偶然的とも見える語法によってであるが、精神的に重要な主導モチーフヘと展開され、個々の表現においても、全体の構成においても、現代ドイツの散文が今日まで決して凌駕しえなかったような芸術的完成を達成している。この主導モチーフという純粋に機能的な性格は、例えば、古典主義、ロマン主義、あるいはリアリズムの傾向の強い、それ以前の小説作品に見られる象徴的細目といった類似の機能とは、本質的にひじょうに異なっている。それらは、徹底して反語的に定式化されている。すなわち、すでにそれ自身の内に矛盾を、それどころか自らの否定性さえも内包している。ロマン主義的反語の機能とは違って、それらは、個別的なものが反語的に犠牲に供されねばならないような、絶対的なものと関係づけられているわけではもはやない。トーマス・マンが経験的な領域を踏み越えているところ、例えば、『ブッデンブローク家の人人』から『魔の山』を経て、かれの最後期の作品に至るまで一貫して脈々と続いている死の形而上学においてさえ、やはりこの死の形而上学も、再び反語的に撤回され、生と社会的な現実という限られた世界が、それに対置される。だが、逆に生もまたつねに、反語的に揚棄され、その〔生の〕諸々の要請に「死への共感」対置される。すなわち、トーマス・マンの小説世界も、絶対的、包括的な基準というものを、もはや識らないのである。この世界は、いうなれば、全ゆる領域の中間にあって、そのいずれにも全的に所属してはいない。「すべては宙ぶらりんでなければならない」。この初期の短編『衣装戸棚』の結語を、かれの全体的な創作の標語とすることができるだろう。たしかに、トーマス・マンは、このように浮漂しながら、全ゆる対立の中間に位置することにこそ、フマニテートの本質がある、と見ていた。一面的な結びつきというものはことごとく、人間を非人間的で、不寛容なものにし、かれらから人間的自由を奪ってしまう。こうして、かれ〔トーマス・マン〕は、。現代の最も包括的な、ほとんど全ての精神的領域を包摂する詩人のひとりへと成長していった。かれもまた、アルノー・ホルツが別の仕方で行ったように、そもそもかつて存在し、いまもなお存在するいっさいを、形象化しようとする。トーマス・マンが自らの作品の中で扱わなかったような、哲学的、宗教的、倫理的、美学的、歴史的、あるいは自然科学的問題はひとつもない。前歴史的神話的なアジア世界から、中世を経て、今日に至るまで、かれが足を踏み入れなかった歴史的世界は、ほとんどない。かれはいずれの領域へも全的に所属することはなかったし、どの領域も、例えば、古典主義にとっての古典・古代とか、ロマン主義にとっての中世のように、かれにとって基準となるものはなかった。

 すべての偉大な芸術に隠されている機能主義が、かれ〔トーマス・マン〕において絶対的となる。すなわち、ただひとつ絶対的なものとは、――逆説的な表現になるが――相対〔関係〕そのものである。これによって我々は、現代芸術を構成するより普遍的な要素を見出したことになる。すなわち、絶対的機能主義である。これは、現代絵画や音楽において、誰にも知られている。色彩、線、幾何学的図形は、絶対的機能を備えていて、あらかじめ与えられているいっさいの対象的内容から解き放たれている。音は、所与のすべての音調から解かれて、そ自身の内から自立的な、構成的機能を展開する。ここに、我々の自然科学的な機能主義とか、相対性の思想、あるいは社会的状況といったものと、どの程度まで深い関連性があるか、という問題は保留せざるを得ない。トーマス・マン自身はすでに『魔の山』で、そのような関連を定式化している。それに『ファウスト』小説では、自分の小説形式とアーノルド・シェーンベルクの現代音楽との間の平行関係を表現すると同時に、そこではまた、現代芸術一般の機能的な深淵性という問題を論究している。

 ゲルハルト・ハウプトマンの作品もまたこの根本的な問題性に、どれほど見舞われていたか、を個別的に詳論することは、もはやここではできない。かれの場合、とくに問題なのは、現代の芸術家はいかにして再び、詩的表現の生き生きとした直接性へ向けて、突破口を開くことができるか、という課題である。実に多種多様な文体形式、素材領域、問題領域の間で揺れ動くゲルハルト・ハウプトマンの独特な動揺、伝統的な表現形式と直接的な表現形式との間に生ずるパラドックス、これらは深刻な袋小路の状況へと向い、ついには後期の作品に見られるように、一般に人間外的なものと人間的なものとの間の、揚棄不可能な緊張に行き着く。

 だが、ライナー・マーリア・リルケ、シュテファン・ゲオルゲ、フーゴー・フォン・ホフマンスタールの詩を調べてみると、我々がこれまで現代文学の本質について語ってきたことは、全て反証され、誤りであるかに見える。

 これらの詩は、きわめて厳格な韻律規則に結びつき、押韻を用い、高度に多様化された言語を発展させ、内容的にも超時代的な基準や価値を識っていて、それらを形象化しているように見える。
 だが、これらの作品の構造をさらに深くまで見てみるなら、ここでもまた、それらを古典主義、ロマン主義、あるいはリアリズムの文学から隔てている深淵に気づくだろう。しかもこの深淵は、アルノー・ホルツやトーマス・マンの場合よりも、かれらにおいての方が一層深刻である。というのは、かれらはそれらの人々よりも決然と、新しい超時代的な場を求めて闘い、さらには新しい美学的な基準を求めて闘ったのであり、それ故にこそ、かれらはおそらく、現代人とその芸術の問題性をより深く味わい、それに耐え抜かなければならなかったからである。ライナー・マーリア・リルケは、トーマス・マンに比べて、さらに一貫してラディカルに、我々が先に絶対的機能主義と呼んだものを、体験し、形象化している。かれにとって、人間の言、さらには人間の実存はすべて、それ自体においてすでに非本来的な、真ならざる言であり、実存である。「私たちは決して私たち自身ではありえない。――誰が一体、自分はすでにあるなどと、敢えて言うことができようか」、とドゥイノの悲歌でいわれている。従って、いかなる詩的言も、ある別のもの、「言うに言えないもの」、語り尽せぬものによって、いわぱいま一度否定されざるを得ない。しかもこれらのものも、つねに新たな隠喩とか形象、ついには極めて複雑な抽象概念を使って言い換えられはするが、いつかそれが完全に整えられ、詩的に、一義的に定式化されることはありえない。すべてが、あるもっとも純粋な実存を指し示している。あるいは、リルケが名づけているように、ある最も純粋な存在を。だが、この存在はある独特な仕方で、あらゆる領域の中間にあって、これらいっさいと関わりを持ちながら、いかなる領域においても自己を完全に実現することはない。純粋存在とは、全く地上的、「此岸的なもの」でありながら、いっさいの地上的なものを「越えている」。それは〔だから〕完全に彼岸的な、ただ死においてのみ達成されうるものである。「そして死の国にはいっても/そこにはなおも労苦があり、それまでのおくれをとりもどす努力にみちている、時とともに死者たちは/ようやく多少の永遠にあずかるのみだ」。しかし、それはキリスト教的・宗教的な意味でいうところの彼岸的なものではなく、全く世界内的なもの、あるいはリルケが言っているように、「世界内空間」である。それは、実存する全てのものの中間にあって、オルフォイスに捧げるソネットで言われているように、「純粋な関係」以外のなにものでもない。

 リルケには、アルノー・ホルツやトーマス・マンのように、世界をそれが現象するがままに描くつもりはもうない。かれは、絶対的な、純粋な存在を目指す。これが、かれが再び、様式化された、韻律的に拘束された言語に行き着かざるをえなかった理由である。この最も純粋な存在とは、しかし同時に、純粋な関係、すなわち――いま一度、逆説的な言い方をするなら――絶対的な関係(相対)に他ならず、だからこの韻文抒情詩には、不断に浮漂するもの、規定しえないものが含まれている。多数の架行(訳注:Enjambmentある詩句の意味が次の詩句にまたがること)が、詩連の境界を打ち消し、韻は詩行を重々しく締め括る代りに、それらの境界を取り払う。意味のない語が韻のために選ばれ、その結果、古典主義と違って、韻はいわば重みを失ってしまう。具体的な形象が不意に抽象概念へと消え去り、逆にまた、抽象的なものがひそかに形象へと移行する。その方法は、過去のいかなる抒情詩よりも、はるかに複雑である。

 シュテファン・ゲオルゲの抒情詩は、これと丁度対極的な構造を示しているように見える。だが、詳しく調べて見るなら、ゲオルゲの彫塑的、造形的な作品、その「確固とした構造」はまさに、ふたつの領域の境界線上に成立している、ということが明らかになるだろう。これらの領域は共に、もはや文学的には疑いもなく到達不可能であり、大胆かつ暴力的な言語集中によって、強引に合一され、「統一」されるが、この統一自体は、逆説的な「中間」を表わしているにすぎない。「一者にして同時に他者なるもの……それは把握不可能であるが、現実的である。」さらにホフマンスタールにあっては、文学は内部と外部の不断の魔術的な転換、交替の象徴となる。

 だが、これまで述べた言語の問題点は、表現主義において初めて、その頂点に達する。表現主義の文学もまた、諸々の制約と偶然の世界から脱け出て、いま一度、絶対的な領域、しかも、最も純粋な直接性の領域へ、足を踏み入れようとする。ところが、生、感情、直感の直接性、さらに他者の最も直接的な本源性自体も、正解の現実の原初的な豊かさといったものも、言語によってつねに、媒介されたものへと転換する。表現主義の考えによれば、文の構造、シンタックスの所与の論理的結合、伝統的な既成の語義は、本源的な体験の前に立ちふさがり、その生き生きとした直接性を破壊し、それを歪めてしまう。人間が事物や体験に名前を付し、それらについて陳述するとき、かれはもはや、それらの中に直接〔無媒介に〕立ってはいない。いわゆる表現主義の「言語芸術理論」を最もラディカルに代表する人々、一九一〇年から一九二九年にかけてベルリンで出版された雑誌「嵐」の周辺の詩人たちは、ここから次のような結論を引き出している。文学の出発点たりうるのは、もはや文とか、シンタクスの結合ではなく、語、しかも、最も直接的な音響的、旋律的、形象的局面からみた語である。語の結合を統御するのは、文法的〔論理〕ではなく、「芸術的」論理である。すなわち、語の音響的、旋律的、形象的結合は、自己表現を求める芸術的な表現内容、感情内容に正確に符合していなければならなない。それが、芸術以外の文法的、因襲的な言語形式に屈服するようなことがあってはならない。表現の直接性、本源性を確保するために、伝統的な語や語義は、その都度新しく、音響的、旋律的、形象的に結合され、その結果、それらの語は、いわば新しい語義を荷い、体験された感情内容、表象内容を直接的に表現することになる。これによって、語、もしくは音響、リズム、形象内容は、ひとつの自立的な、絶対的機能を与えられる。それらは、客観的な、所与の文法的・文章論的な言語連関から抜け出せる。ここに、表現主義者たち自身が名づけた、いわゆる、「絶対的な言語芸術」が展開する。この芸術の無調音楽、抽象絵画に対する平行関係は明らかであり、「嵐」グループにおいても、そのことははっきりと定式化されている。同時にまた表現主義は、独自にその方法に変更を加えて、自然主義者アルノー・ホルツの秒様式を、再び取り上げた。特にイタリアの末来派の連中や、「嵐」グループの表現主義者に部分的に関係のあったフランス、ドイツ、オランダのダダイストたちの間で、いわゆる同時詩が生まれる。さらにまた、ダダイストたちの場合には、静詩も生まれている。

 同時詩とは、あらゆる印象や事象の同時性を形象化しようとするものである。現実の生の豊かさを表現するために、アルノー・ホルツの戯曲では、いっさいの同時的な物音、事象、現象が再現される。これと同じように、同時詩の中には、極めて異質な、見たところ全然関連のないような要素、すなわち、新聞広告、映画ポスター、首相演説の一部、技術的細目、あらゆる種類の思想・感情連合などがはめこまれる。それに、こうしたダダイズムの詩の朗読の折には、それにふさわしい物音が立てられたこともあって、一方では騒音詩(フランス語のbruitに由来する)という呼び方もされた。いわゆる静詩も、これと同じように、諸々の事象の同時性を肥えようとするものである。詩人は、いわば無感動な、静的な状態にある。そのかれをめがけて、現代生活や、時代の現実の矛盾する豊かさが、同時的に殺到して来る。かれは、それらのすべてを直接〔無媒介に〕羅列するのである、がしかし、それによって、かれは間接的に、現代生活の矛盾性と不合理性そのものを明らかにするところの諸々の関係を、創造するのである。ここでは、絶対的な関係喪失性(無関係性)とは、まさに最も豊かな関係性であり、無機能性は、最高の機能性を備えている。ダダイズムのこの実験は、従って、二重の意味を持っている。ひとつには、それは現代生活の総体性を直接的に再現する。いまひとつには、それは社会批判的性格を持っている。現代社会の不合理で、無拘束な部分現象が、直接的に並置されることによって、この社会自身が不合理なものとして現れてくるのである。

 今日まで、この同時技法は、小説文学、戯曲、拝情詩においても、重要な社会批判的意味を持ってきた。後に、この方法は非ダダイストたちによっても、度々、実に多種多様に用いられた。それには、ジャン・ポール・サルトル、ドス・パソスの小説とか、TS・エリオット、WH・オーデンなどの作品を思い浮べれば十分である。静詩の典型は、今日、ゴットフリート・ベンに再び見られる。かれは一九四八年に「静詩」と題する詩集を出しているが、そこには、ベンがその初期の時代に近い立場にいた、ダダイズムの先駆者たちに対する依存関係が、明らかにうかがえる。かれはまた、絶対散文の理論において、新しいタイプの小説、いわゆる「表現型小説」を創り出そうとした。これはもはや心理学とか、発展、筋といったものを識らず、生の総体的な現象を、いわばある静態的な、静止した中心から描き、それらの現象を、外見的には関連性のないまま並置しているように見える、がしかし、まさにそのことによって、現象の内的な関係の網の目を浮び上らせようというのである。

 生活のあらゆる現象を、無差別に呈示しようとしたアルノー・ホルツから、ゴットフリート・ペンのこの最も最近の表現型小説に至るまで、それ故、我々が現代文学と呼ぶものを決定的に規定する、一本の一貫した線が走っている。この一線にはまた、ダダイズムから論理必然的に発展していったフランスや、最近のアメリカのシュールリアリズムの文学も属している。これもまた、表現の絶対的な直接性を目指すと同時に、社会批判的な局面を備えている。ここで獲得される直接性は、無意識な夢の連想へ、完全に、無条件に没入し、それを即座に、意識を透過せずに、いわば無意識的なものの自動筆記という方法で、書き下ろすことによるものである。それによって、無意識の世界を詩的に実現し、夢の象徴を、精神分析家が記述するように、詩へと移し変えようとしたのである。〔アルノー・ホルツが〕外的な諸現象を、脈絡のない連想的な方法で羅列するのに対応して、ここでは、潜在意識的な、心的事象を、脈絡なしに、非論理的に羅列する。シュールリアリズムの若い詩人たちは、精神分析的な、この潜在意識の領域から再び離れて、ほとんどが社会批判的局面を備えた、意識的な、超現実主義的構造を生み出していった。

 しかし、これと同じように夢象徴的な事象が重要な役割を果しているほとんどのドイツ文学とこれとを、厳密に区別すべきである。フランツ/カフカが、小説や物語で、夢想的な出来事を現実のことのように描くとき、かれにとって問題なのは、潜在意識的なものとか超現実的なものを、シュールリアリズムのように、直接的に形象化することではなく、その逆に、人間の、宗教を失った社会学的状況を鋭く意識化することであり、罪と救済の問題である。それ故、かれの小説は、シュールリアリストたちのように、連想的、あるいは非・論理的に構成されてはいない。物語的には、それらは厳格に統一性を守り、思想的には、徹底して論理的に組み立てられている。同じようにヘルマン・ブロッホの小説では、夢は人間の形而上的状況を明らかにするために導入されるのであり、この状況は、さらに哲学的に詳細に論究される。エリザベート。ランゲサーもまた、小説『消えない封印』で、ほとんど神話的ともいえる種類の夢象徴を描いているが、それを自分自身で解釈し、時代に条件づけられた偶然的な問題を、没時間的な、永遠的、宗教的なものにまで拡大しようとする。

 エルンスト・ユンガーも同様に、例えば、『大理石の断崖の上で』とか『ヘリオポリス』といった作品、あるいは物語『ゴーデンホルム探訪』で、アクチュアルな政治的問題を神話的な象徴形式で描き、社会的、政治的、自然的、宇宙的、内面心理的、夢想的、宗教的な諸現象の極めて複雑な関係を打ち立てようとした。

 ところで、これまで述べてきたようなラディカルな形式変化と言語実験を経験することなく、まだ完全に十九世紀の古典主義、ロマン主義、あるいはリアリズムの伝統に生きている詩人たち、つまり、ヘルマン・ヘッセ、ハンス・カロッサ、ベルゲングリューン、エルンスト・ヴィーヒェルト、ラインホルト・シュナイダーなどといった詩人たちもまた、根本においては同じように現代芸術の問題性から逃れることはできなかった、ということを示すことができるだろう。かれらが固持した伝統的な形式は、詳しく分析してみるならば、実際には全く変ってしまっていることが明らかとなる。例えば、かれらの物語技法は、なるほど外見的にはまだ確固とした心理的、時・空間的な事実を扱っているように見える。たが、これらの事実は、古典主義やロマン主義、リアリズムの文学とは違って、もはや固有の内在的な深層次元を持っていない。むしろ、それらには、反省とか個人的な感覚言語、あるいは世界観的な論究、意識的な、即座に明確に解釈されるような象徴的意味といったものによって、より深層の意味性が付与されるのである。それによって、透明で空虚な前景と決定的な、より高次の意味との間に、独特の二重性が見られる。例えば、ハンス・カロッサの文学は、まだ完全にゲーテを範としている、がしかし、ゲーテの場合には、物語られる出来事自体にすでに無限の深層次元が見られ、かれは〔物語の〕いかなる個所でも、それを明確に定式化するようなことはしない。この深層次元は、ただ物語そのものを内在的に考察することによってのみ、推察できるにすぎない。それに対してカロッサは、物語の根底にあって、読者の心に刻印すべき、より秘かな、より深層の意味を、つねに指示する。まるで詩人は、物語が完全に自立的には生き得ず、より高次の意味性に包み込んで、それを読者に密かに囁言によって暗示するか、あらゆる種類の、わざとらしい象徴化とか論究を通して、それを押しつけがましく呈示しなければならない、といった不安にとらわれているように見える。このことは、さらに極端な形で、エルンスト・ヴィーヒェルトとか、ヘルマン・ヘッセにおいても指摘できる。ヘッセの小説『ガラス玉演戯』は、物語の意味のあらゆるヴァリアンテを明確に定式化している。従って読者は、いかなる瞬間においても、何が問題となっているのかを知ることができる。だが、まさにそのために、深層パースペクティヴの無限性――この無限性こそは、例えば、ゲーテの『親和カ』のような小説を、今日まで、汲み尽すことのできない、しかも完全には絶対に汲み尽しえない芸術作品にしているのである。なぜならば、ここではいっさいの意味が、物語られる出来事自体の中に隠されたままだからである――は、破壊される。

 伝統的な仮面〔ファサード〕と実際の詩的構造との間に見られる、このような矛盾こそは、極端な前衛作家の作品におけるよりも、こうした伝統的な作品においての方が、おそらく一層明瞭に、生起した現代的な問題性を示している。

 と同時に、次のような問題が出て来る。もはや確かな点、すなわち、人絡、空間、時間といったものの統一性を織らないこの現代の詩的世界にあって、いっさいのものが機能化されてしまっているように見えるこの詩的世界にあって、果して世界文学の古典主義的作品に劣らないような優れた文学が、まだ可能だろうか。広範な我々の文化悲観主義にもかかわらず、この問に対して、「然り」と答えることができる。たしかに、形式と内容という点で、現代文学のいずれもが、過去のどの古典主義的作品とも違っている。だが、今日、我々の自然科学的世界像や芸術作品において、すべての現象が置かれている多次元性こそが、これまで発見されていない、言語的、構成的な表現可能性への道を開いてくれる。我々がいま立っているのは、現代芸術のゴール地点ではなく、スタート地点である。我々の世界像や人間像がますます不可解で、多義的、無限的になっていくにつれて、芸術的な形象の可能性は豊かになるだろう。現代芸術がもはやいかなる基準も、精神的中心も識らず、それ故に、ついには混沌状態の中で尽きてしまうおそれがある、という事実は、このことと矛盾するように見える。豊かさとは、ここでは、無定形となることのように思える。

 しかし、実際には、古典主義、ロマン主義、リアリズムの文学に対して、全く別のことが起っていた。かつて人格、時間、空間の統一性を保証するもののように見えた、あの所与の心的、経験的現実は、古典主義にとってはまだそれ自身の内に測り知れないほどの豊かな意味連関を内包していた。我々が超時代的な基準と呼んだものも、超時代的現象として、たしかに必然的に、同じように無限の広がりを持っていた。しかも、この広がりは、無限の指示性を失うことなく、心的、時・空間的に統一的に構成された世界において、象徴的に形象化することが可能だった。時・空間的、心的世界は、より高い意味連関に満ち、従って、象徴的に有意味であった。すなわち、文学的に無限の可能性を開いたのである。このより高い意味連関が、今日では崩壊してしまっているのである。

 この崩壊過程の諸々の原因、段階、その結果が一体となって、現代文学の生成と現象の歴史を形成している。すなわち、現代人の産業社会化が精力的に発展、前進するにつれて――いわゆる現代文学が、ドイツでは泡沫社会群生時代に続いて生まれ、フランスでは、第二帝制の産業上の躍進と結びついて生まれて来るのは、このことと決して無関係ではない――、人間の心的、経験的現実全体は、ますます止めようもなく、この社会の労働過程に従属させられ、「使用可能な要素」へと分解されざるを得なかった。それは、分析、解明、認識、制御の可能な、対象化された客体世界へと変えられ、と同時に、必然的に、無限の深層次元を失わざるを得なかった。従って、今日我々が生きているのは、隈々まで物化された、対象的な、もしこう言いたければ、より現実的で空虚な、より無意味な世界である。それどころか、奇妙に聞こえるかも知れないが、それはまさしく、徹底的に有限な、展望可能となっ担世界である。このように対象化された我々の時・空間的世界は、意味の空自状態に陥っていて、ここではなにものも、自己を越えて、ゲーテが絶えずかれの文学の中で扱っていた、あの「公然の秘密」を指し示すことのできるものはない。現代芸術は、我々の現実生活のこうした対象化に対する解答として、生まれて来たのである。それは、もはや確固とした有限の対象に、時・空間的あるいは心的な統一性に結びつくことは不可能であるし、そうすることは許されない。さもなければ、それ自身が、この対象化された客体世界の意味の空白状態に陥ってしまうだろう。従って、芸術のより高い意味連関は、事物を越えたところに、あるいは事物の間の無限の相関関係の中にある。つまり、現代芸術の絶対的機能主義、その多次元性は、我々の生活のこうした有限化、対象化から来る必然的な結果である。

 それ故、古典主義に対して、根本的には、ただ表現媒体、象徴の担手が変っただけのことであり、表現目的あるいは象徴目的が変ったわけではない。現代文学もまた無限の意味の豊かさを目指している。しかし、この豊かさを、もはや、古い、所与の時・空間的、心的、あるいは言語的統一といった形で表現するのではない。以前の総合的な統一性が無意味となってしまった以上、むしろ、この統一性をいわばいま一度その要素へと分解し、これらの要素から新しい意味の構造体を構築するように、現代文学は強いられている。

 象徴の担手のこの変化は、すでに現代文学の初期の段階で起っている。自然主義の文学が、生活現象の全体的な豊かさを無差別に描いたとき、逆説的であるが、まさにこのなまの現実――これを形象化することが、綱領的に問題となっていたのだが――は、もはや有意味な象徴の担手ではあり得なかった。というのは、この無差別の現象世界には、例えば、シュティフターやゴットフリート・ケラーのリアリズムの小説にまだ見られたような、ひとつの中心を指し示す意味の統一性は、もう存在しなかったからである。従って、すでにアルノー・ホルツは専ら言語の形象化の問題に関するかれの理論、『芸術手段とその操作』においても、あるいはかれの詩的実践においても、意味の統一性を言語表現そのものへと移し変えなければならなかった。言語は、表現されるべき現実に対して、完全に自律的となり、例えば、自己増殖的に付加語が途方もなく集積されていって、ついには自立化し、すでに現実自体の中にはとっくに存在しなくなっているひとつの意味を、創り出そうとする。外見的には徹底して反自然主義的とも見える「純粋な形式芸術」(象徴主義、芸術のための芸術)は、従って最初から、一般に考えられているよりもはるかに密接に、自然主義の問題性と結びついていたにちがいない。産業時代に入って、いわゆる現実が無意味なものになり始めたが故に、それ自らの内に意味を担う絶対詩の理論が生まれざるを得なかったのである。従ってまた象徴主義においても、象徴が自立化し始めるのは、必然的な帰結である。象徴は、ゲーテにあっては、シュティフターやケラーのリアリズムにおいては、まだ経験的な現実の中へ組みこまれていたし、ロマン主義においては、「超越的な」背景に関係づけられていたが、〔いまや〕それらのいずれからも遊離する。象徴性は、いわば、「純粋に」言語の音響的、旋律的、形象的なもの自体から、展開される。この点で、アルノー・ホルツの「自然主義的」言語理論と言語実践、芸術のための芸術の芸術家たち、表現主義の芸術理論、ゴットフリート・ベンのような作家の「形式主義」の間には、なる程否定すべかざる相違があるとしても、顕著な類似性〔平行関係〕がある。

 現代文学の意味の統一性、精神的「中心」についての問題は、従って、伝統的美学の諸範疇によっては、もはや解決することはできない。詩人が、いわば対象的世界に対する不断のプロテストの中で、新たな意味連関を創り出すように強いられている状況を前にしては、伝統的な象徴概念も、構成の統一とか文学の意味についての我々の観念も破綻する。だが、この対象的世界こそは、それ以前の文学の時期において、芸術が活動しうる唯一の媒体だったのである。現代文学の構造――と同時に、その意味の統一性――は、こうしたプロテストの真剣さが理解され、その作品の豊かさを、〔文学が提供する〕有益な「諸々の解答」に求めるのではなく、文学が指し示すものや、その「純粋な諸関係」を無限性という点に求めるようになったとき、初めて、明らかとなる。

付記

  1. この論文は、ヴィルヘルム・エムリヒの論文集『抗議と約東』(Protest und Verheißung, Athenaeum, Frankfurt a.M., 1963)に所収の「現代文学の構造――その境界設定の試み」を訳したものである。

  2. 翻訳に際し、原典中の三個所の注は、引用文の出典を示すもので、ここでは省いておいた。

  3. 訳文中、〔 〕は文意を補足したり、原語の別訳のために訳者が付したものであり、( )は原文のまま、またゴシックは原文イタリックの個所を示す。

  4. 本文、リルケの『ドゥイ!の悲歌』からの引用のうち、後者のものは手塚富雄訳(岩波文庫版)を利用させていた だいた。