愛知大学『文学論叢』第66輯、1981年3月発行 生まれざる者の詩 |
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(一) ゲオルク・トラークル。一八八七年オーストリア、ザルツブルクに生まれる。一九一四年、第一次大戦に薬剤士官補として従軍、九月、ガリシア地方の小都市グローデクにおける激戦の直後自殺を図る。その後「精神状態観察のため」クラーカウ衛戌病院に転送さる。同年一一月三日、過量のコカイン服用によりその生涯を閉じる。午後九時。 あれほど強靭な肉体を持ちながら、なぜトラークルは、その影響を強く受けたフランス象徴派の詩人アルチュール・ランボーよりもさらに短い、わずか二十七年の生しか生き得なかったのかをいまここで論議するつもりはない。そしてまた、すでに十七才にして麻薬を知り、あそらくはその肉体にもまして強靭であったであろう精神を摩滅させながらも、なぜわれわれの詩人は終始あのように静謐にして澄明な眼差しを保ち、世界を凝視することができたのか、と問う余裕もない。オットー・バージルが言うように、トラークルが通常の人間の生に見合うだけの歳月を生きることが許されていたなら、と仮定することも意味がない。 トラークルが遺した一冊の詩集、いまわれわれの前におかれている一九三頁一〇二編のあまりにも貧しい言葉の世界、この世界の中でのみトラークルは自らの生を言葉の最高の意味において水晶のように結晶化することができた。かれが外面的に生きた生の乏しさに較べれば、この世界こそが真に「トラークル」と呼ぶにふさわしい。 人類の歴史的時間の「いま」と「ここ」とにおいてトラークルが自らの抒情詩へと形象化したこの世界は、ついに神々に見捨てられ、その後の四〇年間を精神の薄明状態の中で生きることを強いられたヘルダーリンが、自らの意志で最後に辿り着いた世界と本質的に同じものである。
だがこのようにエーミル・バルトが指し示す方向にそって、トラークルの生とかれの詩的世界の意味について包括的に論究するには、わたしにはその準備があまりに不足している。それ故、わたしがここで意図しているのは、かれのひとつの詩と向き合って、そこに見えてくるものをただ記述することだけである。これは文字どおりの記述に過ぎず、例えばハイデッガーの言うように、「詩作」者と「思索」者との語らいでもない。 われわれがいま手にするトラークルの詩集は、『滅び』に始まり、『グローデク』に終わる。トラークルはその短い生涯において、この二点間をいわば駆け抜けて行ったのである。もちろん時間的な意味においてであるが。すなわち、彼が詩人として生きた期間は、なるほどその短命からして当然ではあるが、わずか数年に過ぎない。同じことを内容的に見ても指摘し得るかどうかについては軽言を控えねばならない。 だが、この『滅び』と『グローデク』とを結ぶ、トラークルが詩作を通して辿った奇跡、これをひとつの発展として捉えるには、彼の最初の詩『滅び』はすでにあまりに完成し過ぎていると言わざるをえない。彼が生み出したこの世界の中に、さらに発展さるべき何か未成熟なものを見い出すことは困難である。そしてまた、彼がその透徹した眼差しで見た一種独特な憂愁に包まれた世界、二七年の彼自身の生の現場となった世界にさえ、そうした要素を求めることはむずかしい。このことは、彼が生まれ育った時代と場所とを思い合わせるなら、充分納得のいくことである。それ故、われわれはすでに引用した個所でバルトが指摘しているように、トラークルの詩的世界を理解するためには、単に彼の言葉の「個人的な意味」ばかりでなく、その言葉において表現されている人類の歴史的時間の「いま」と「ここ」とが指し示す意味をも読み取らねばならない。
トラークルの詩作の軌跡は、従って「発展」あるいは「展開」と呼ぶよりはむしろ成熟した何ものかがその後になお辿らなければならなかった不可避的な過程、すなわち「没落」と呼ぶことができよう。この意味からわれわれの詩集の冒頭詩『滅び』は、トラークルが以後に辿る軌跡に対してなんと象徴的であるか。彼の詩作の、というよりも彼の生の始発点であるこの詩の内に、すでに彼の軌跡の方向が定められている。この詩題にいったいいかなる発展への、いかなる生への衝動をわれわれは感じとることができるだろうか。 詩集一〇二番目のトラークル最後の詩『グローデク』が詩人にとって持ち得た意味は、だから彼がすでにその詩作の始発点において予感していたことを単に現実の中に確認したということに他ならないであろう。第一次大戦の激戦の地のひとつ、ガリシア地方の小都市に捧げられたこの詩は、この地で犯された殺戮を、さらにはこの大戦そのものを象徴の高みにまで引き上げ、人類がその歴史的時間の流れの中でついに辿り着くであろう究極の「没落点」を指し示している。 にもかかわらず、あるいはだからこそと言うべきか、トラークルがこの詩を以下のような詩行で結ばざるを得なかった。
(二) 詩『グローデク』が指し示す人類の究極の没落点に立って、トラークルがなお時間の彼方に向かい呼びかける「生まれざる子ら」の世界を、われわれはカフカの文学の内に見い出す。彼もまたトラークル同様オーストリア・ハンガリー二重帝国のもとでその四一年という限られた生を通して、人類の歴史的時間における「いま」と「ここ」とを生きた詩人である。 なるほどトラークルにとっては生きることはすなわち「没落する」ことであり、彼の詩の立脚点は、バルトの言を借りるなら、「受苦と死とを架けわたす没落のなかにいること、罪のために暗い世界のただなかにいること」に合ったとしても、彼においてはなおあの文字どおり「屠殺場」と化したグローデクを何ものかに対する「青銅の祭壇」に喩え、彼の悲哀を「誇らかな」と呼ぶことのできる「ある絶対的なもの」への信仰が、あるいは少なくとも信仰への意志が消失してはいない。 だが、カフカにとっての生は、人類の辿って来た歴史的時間から切り離され、夢のように根拠のない無意味なものの永遠の繰り返しでしかなかった。トラークルのように「贖罪」としての生を生きるためにさえ、彼はまず罪そのものの所在を確認することから始めなければならなかった。たしかにカフカによってなにごとかがいま始まろうとしていた。カフカ自身キルケゴールと自らを対比して
と記したとき、このことを、つまり彼の時代と時代における自らの位置、さらには人類の歴史的時間のなかでの「いま」と「ここ」とが指し示す点の意味を充分に認識していたはずである。 「ぼくは終わりであるか、それとも始まりである。」(Ich bin Ende oder Anfang.) この言葉を正しく理解するには、彼の言うところの三つの概念、すなわち「自分にごく身近な自分の時代の否定的なもの」(das Negative meiner Zeit, die mir ja sehr nahe ist)、「多少とも肯定的なもの」(das geringe Positive)、そして「肯定的なものへ転化するような極端に否定的なもの」(das Äußerste, zum Positive umkippende Negative)を明確に区別しなければならない。これら相互の相違は決して肯定性とか否定性の度合いの問題にとどまらない。 「肯定的なもの」と「否定的なもの」、これらは常に「ある何ものか」に対する肯定ないしは否定であり、その限りでは共にこの「何ものか」の存在を前提として措定される対立概念に他ならない。従って、この対立はこのように第三のものを媒介として成立するところのいわば相対的対立である。そしてこの場合、対立の前提条件となる「何ものか」とは、これら両者を自らに対するそれぞれ否定性と肯定性とによって区別するところのひとつの価値基準である。この価値基準、すなわち相対的な対立概念を定立させるところの価値判断の基準を例えば「神」と呼ぼうが、「絶対者」と呼ぼうが、あるいは単に「絶対的なもの」と呼ぼうが、本質的には同じことである。 「否定的なもの」は従って、たとえその否定性が「極端な」ものであるとしても、「相対的」否定性にとどまり、それ自らのうちにすでに肯定性をはらむところの矛盾体に他ならない。すなわち、「肯定的なもの」へと転化する可能性をそれが持つということは、それ自身が要するに可能的肯定体であるということ、あるいは絶対的な価値基準に対して依然として「何ものか」であるということである。 例えば、座標軸上の二点、+3と-3とを取ってみるとする。この二点はそれ自体ではどのようにしても重ならない。しかしこの対立は、いまわれわれが両者の絶対値を取ることによって、即座に解消するであろう。それらの対立は、たとえそれら相互の関係のなかでは解消しえないものだとしても、こうした操作によって別の関係に移されるとき、結局相対的なものでしかないことが証明される。 付言するなら、こうした関係の最も優れた文学的表現をわれわれはゲーテの『ファウスト』、特にその「天上の序曲」において交わされる会話に見い出すことができる。 トラークルの詩『グローデク』では、確かに「怒れる神」(ein zürnender Gott)ではあるが、やはりまだ「神の実在」が語られている。高らこそトラークルは人間の殺戮の場としてのこの地上を「青銅の祭壇」と呼び、「精神の熱い炎をいま激しい苦しみが育む」と歌うことができた。この詩のなかで語られるいっさいは、たとえそれ自体「否定的なもの」であろうとも、この神に対しては依然として「何ものか」であり、それ自身のうちに「肯定的なもの」を、あるいは「肯定的なものへ転化する」可能性を喪ってはいない。 だがしかし、座標軸上の点のなかで、たとえその絶対値を取ってもそれ自身としか重ならない一点がある。いうまでもなくそれは零である。零はそれ自身と相対的な対立関係に置かれるようないかなる点も座標軸上に持たない。 カフカが「自分にとってごく身近な時代」から取り上げたと語っている「否定的なもの」とは、この座標軸上の零点のことであり、それは相対的な対立概念を他に持たない絶対的なものである。それはもはや「肯定的」でも「否定的」ですらなく、だからまたある絶対的な価値基準に対して「何ものか」でさえない。それが意味する内容は、絶対的なものの欠如、何ものでもないということであり、一言でいうなら「無」である。その具体的な現れは、あらゆる関係性の完全な欠落状態である。この「関係性の欠落」としての「無」に根拠を置いている自らの存在に対する意識、これが彼のいう「弱さ」(Schwäche) である。この弱さを「全般的な人間の弱さ」(die allgemeine menschliche Schwäche) として認識することによって、カフカは「自分の時代」の「無」をも自覚的に引き受けることになる。 まるでトラークルのあの最後の呼びかけ「生まれざるこら」に呼応するかのように、一九二二年、死の二年前の『日記』にカフカはまだ次のように記さなければならなかった。
要するに何ものも生まれず、何ごとも始められることはなかった。トラークルの呼びかけが指し示した世界のこの果てもない「荒野」、この絶対的なものの欠落性、すなわちカフカの詩的世界から、だからわれわれは逆にトラークルの「没落」の意味を帰納することができる。たとえトラークルがこの世界の没落の中でまだ何ものかの誕生が整えられているものと信じ、時間の彼方に向けて「生まれざるこら」と呼びかけようと、その呼びかけは虚しく、ますます虚しくわれわれの胸に響いてくる。それはまさしく時間の彼方への呼びかけであり、無の果てもない連続としての世界への呼びかけである。この世界において人間の性は「生まれる前のためらい」、あるいは「生まれることに対するためらい」(das Zögern vor der Geburt) にすぎない。 トラークルの詩作はこのような究極的な無へと向かう人類の没落に対するかすかな予感から始まる。 (三)
この一篇の抒情詩、これほど曇りない詩句をなぜ別の言葉で改めて語り直す必要があるのか。「曇りない」、それは詩人が彼の言葉を通して語ろうとすることが、すべて露わに、この詩を読む読者に対して現われ出ているということである。だから、いまこの詩の意味を別の言葉で語ることは、無意味であるばかりでなく、詩的世界を著しく乱すことになるという意味でもある。 夕暮れ、空にはまだ明るさが満ち溢れ、公園を一人さまよう「わたし」の頭上から教会の晩鐘の音が穏やかに流れてくる。「わたし」は晴れやかな秋空を、列をなしていづこかへ悠揚ととんで行く鳥たちの群れを、その視線で追いかける。やがて鳥影は消え、「わたし」は天空から地上に目を移す。そしてまた、公園の鉄格子の垣にからむ赤色した葡萄の葉が薄暗闇を透して見える。 晩鐘の響きと鳥の啼き声、鳥たちの飛翔、風に揺れるアスター。これらの音と動きとが表現しているのは、「持続」とは対象的な「刹那的なはかなさ」といったものである。夕暮れと秋という時の規定詞が重なり合って、一日と一年の時において最も強くわれわれが感ずる自然の移ろい易さといった印象を、それらは強めている。だから「わたし」が感ずるのは、何か具体的なものの没落といったものではなく、こうした移り行くものに対する共感としてのかすかな漠然とした「滅びの気配」に他ならない。 光と闇との境界として一日の中で最もはかないとき、夕暮れ。そして、豊饒な大地の実りと枯渇との境界として一年の内で最も刹那的な季節、秋。牧歌的ともいえるこの詩の情景は、なるほどこうした自然のはかない一瞬を描いているが、われわれが詩題「滅び」に対して抱く、どうしようもなく暗い感情からはかなり隔たっているように思える。とすれば、詩全体に漂っている澄明な静謐さ、そして整然とした詩形、さらにはほとんど素朴的ともいえる脚韻、これらのことをすべて考慮して、なおその上にこの詩はそれ自身が語ろうとすることを背後に蔵しているということなのだろうか。 詩(Gedicht)とは、文字どおりの意味においては、何ものかが「凝集され」ているということである。「凝集する人」(Dicht-er)としての詩人は、彼の詩作する(凝集するdichten)詩の全体において、と同時に語のひとつひとつの中へもまた、この何ものかを凝集するのである。そして、この場合の何ものかとは、要するに彼と彼の世界の関係の全体である。このことは例えば抒情詩であっても、本質的に変わりない。 それでは詩人はいったいこの関係をいかにして彼の言語の中へと「凝集する」(詩作する)のか。詩の本質を問うこの問いに答えることは、だがある意味で不必要でさえある。なぜならば、詩人のこの詩作の方法は、彼の詩が蔵している深層の意味を記述することによって、必然的に明らかにされるからである。つまり、非詩人であるわれわれの仕事は、詩人が詩的言語の中へと凝集したものを別の言語を用いて解きほぐすことによって、彼と彼の世界の全体を、そしてまた彼の詩作の方法をも、なるほど間接的にではあるが、明らかにするということに尽きる。 それ故、非詩人としてのわれわれ詩の解釈者は、詩人が行う詩作(凝集)とはまったく逆の過程を辿ることになる。つまり、詩人の詩作の出発点がわれわれにとっての目的であり、彼の目的がわれわれの踏み出す始発点となる。詩人の仕事が凝集することにあるとするなら、解釈者のそれはまさしく溶解することにあり、こうして詩人によって詩的言語の内に凝集された彼と彼の世界との関係を、その本来の姿にまで戻すことにある。その意味で、凝集者としての詩人に対して、われわれは語の本来的な意味で解釈する者、すなわち溶解者と呼ぶことができる。 言語はもちろんすでにそれ自身で何ごとかを指示する記号である。だが、ひとつの語はそれが他の諸々の語との間に置かれることによって、それらとの間にさまざまなレベルの関係を形成する。このとき、当の語が指し示す意味内容は、単にそれが本来的に担っているところの一般的な概念内容にとどまらない。すなわち、諸関係の中で語は多元的、構造的な意味内容を表現するそれ自身ひとつの構造体となる。詩人は、この言語間の諸関係、さらにはこの諸関係によって生み出される多層的な言語構造体を通して、彼と彼の世界との関係の全体を凝集するのである。従って、詩の解釈とは、つきつめて言うなら、詩人が生み出すところの言語の諸関係、およびそれらの関係の総体としての詩の構造を記述することに他ならない。 要するにトラークルの詩『滅び』について先にわれわれが語ったことは、詩の表層に現われていることがらにすぎず、詩の意味については何ひとつ語ったことにはならない。この詩の詩的言語によって、と同時にまたこの詩的言語へとトラークルが凝集したものを解きほぐすには、彼のひとつひとつの語を多様かつ多層的なそれら相互の関係の中で、いま一度捉え直さなければならない。その時、この詩の「わたし」を一瞬「戦かせ」た「滅びの気配」が、もっと深い不安に根ざしたものであることがわかるだろう。 (四) すでにこの詩のソネット形式という詩形の表面的な安定性に対して、詩の内容が前二連と後二連とに二分され、対置されていることが一目してわかる。天空と地上というこの対置は、トラークルの、とくに初期のトラークルの詩におけるいわば基本的構図である。 第二連の「昏れ染まる公園を歩みつつ」(Hinwandelnd durch den dämmervollen Garten)の詩行が、この基本的構図を幾分乱し、地上へとわれわれの注意を一瞬下降させるかに思える。がしかし、この一行は明らかにそれに続くところの「わたしは彼らの明るい運命を夢見」(Träum ich nach ihren helleren Geschicken)によって、意味の重心があくまで天空に留まっていることは明かである。つまり、「わたし」は目覚めた意識としては、まだ地上を見ていない。 だが、この詩のこうした基本的構図の中で、天空と地上とに対して「わたし」が置かれている関係こそが、この詩が背後に蔵している意味と、トラークルがこの詩を始発点として向かおうとする「没落」の方向とを指し示している。 ここで先に述べた詩人の詩作(凝集)との関連で次のことを付言しておく必要がある。詩人の行う凝集は、もちろん詩的言語によるひとつひとつの詩への彼と彼の世界の関係の全体的な凝集である。だが、凝集のこうした意味は、個別的な詩作行為のほとんど現象的な意味にすぎず、凝集自体の意味ではない。彼は確かにひとつの限られた詩へ向けて凝集するのであるが、凝集自体の方向性はこのような個別的な行為において終局するものではなく、それは単に暫定的・段階的終局であると言うだけのことにすぎない。詩人が彼の生涯を通して行う詩作行為、すなわち凝集の連続的・全体的方向性は、こうした個々の詩において終局する暫定的・段階的な凝集の方向性を越えて、つまり個々の詩を貫き、遥か前方を指し示す。 もちろん凝集の全体的な方向性は、個々の詩を通してのみ表現されるものである。それ故、それぞれの詩はすでにそれ自体においてこの方向性を何らかの仕方で指し示しているはずである。 トラークルの詩『滅び』によって彼がやがて辿るであろう「没落」の軌跡を、この詩の基本的構図における「わたし」の位置を明らかにすることによって推し量ろうとするわれわれの意図は、以上のような詩人の全体的な凝集の方向性と個々の詩との関係についての理解に基づくものである。 しかし、前二連で詩人が告げているこれら二つの時、「秋」と「夕暮れ」は、こうしてわれわれが考える内容とはまったく異なる別の意味を担っている。ここでは「夕暮れ」は、まず何よりも「鐘の音が安らぎを告げるとき」(wenn die Glocken Frieden läuten) と語られている。それは世界がやがて夜の闇へと沈みいく時としてではなく、安らぎをもたらす時であり、一日の労苦から人間を解き放つときである。この「安らぎを告げる」鐘の音は、「秋の晴れやかな広がり」(herbstlich klare Weite)から「わたし」に頭上に優しく降り注ぐものとして響いてこなければならない。なぜなら、だからこそ「わたし」はこの鐘の音に誘われて天空に視線を向け、「鳥達の不思議な飛翔」(der Vögel wundervolle Flüge) を追うことになるのだから。 秋という季節もまた、天空の果てしない「晴れやかな広がり」を記す時である。「夕暮れ」と「秋」とは、従って「時の移ろい」とはまったく対立的な別の領域、すなわちこの移ろい行く時の支配がおよばない場所を指し示している。「安らぎ」と「晴れやかな広がり」がなお保たれている領野、われわれはこれを「神の聖域」と呼ぶことができよう。この「神の聖域」から「鐘の音」に運ばれて、「安らぎ」が「わたし」に告げ知らされる。だから、「夕暮れ」と「秋」においてこそ、「わたし」は「安らぎ」に満ち、「晴れやかな広がり」が果てしなく続く「神の聖域」が天空にあることを、鐘の音によって告げ知らされるのである。
つまり、「安らぎ」は天空において永遠であり、空の「広がり」もまたここでは果てしなく続いている。だが、この天空の永遠の「安らぎ」と無辺の「広がり」は、地上の者としての「わたし」にとっては刹那的なものである。なぜなら、「わたし」がそれらに気づくのは、ただ秋の夕暮れというはかない時の一瞬にすぎないからである。 トラークルの詩において告げられる「夕暮れ」と「秋」とは、本来こうした意味を担っている。それは要するに、地上の者に神が啓示されるに最もふさわしい時ということである。 こうした時の移ろいから免れている「安らぎ」と「広がり」の天空を飛んで行く「鳥たち」の飛翔は、だからまた神の聖域に住まう者として「不思議に満ちている」(wundervoll)のであり、彼らのその姿は、神に導かれて旅する「敬虔な巡礼たちの旅」(fromme Pilgerzüge) と例えられているのである。彼らの「運命」がなぜ「わたし」によって「明るい」ものとして「夢見」られるのかなどと改めて問う必要はない。
「わたし」は鳥たちの行く手にいまの生よりも「さらに明るい」(heller)生が広がっていることを知っている。それ故、われわれは「雲の彼方」(über Wolken)に消えていく彼らの姿に何か象徴的な意味を求めてはならない。ここでは、例えばニーチェの言葉「神は死せり」によって表現されているようなヨーロッパ・キリスト教的世界の決定的な終焉が予告されているわけでは決してない。
この第二連第四詩行において初めて、「わたし」には自分自身が、天空の「安らぎ」と「広がり」の中に憩う者たちに対して、見捨てられた者、時の移ろいのただなかに置かれた地上の限られた者として意識される。なるほど第一連第四詩行においてすでに、鳥たちは
と歌われている。だが、すでに見たように、「わたし」はこのときまだ夢の眠りの中にいて、時の移ろいを知らない。いま、果てしない天空の広がりの中へと消えて行った鳥たちの行方を「雲の彼方」に求めたとき初めて、「わたし」はこの広がり、そこに漂う安らぎとは自分が無縁の存在であることを予感する。 鳥たちが姿を消したのは、「わたし」の頭上に広がる天空、すなわち「神の聖域」がやがて訪れる夜の闇の中へ地上の者と同じように沈みこんでいくからではない。天空はと樹の移ろいとは無縁であることに変わりなく、その「安らぎ」は永遠で、「広がり」は無辺である。だが、悠揚とその天空を飛ぶ鳥たちの姿を、限られた地上の者としての「わたし」の眼はどこまでも追い求めることはできない。あたかも時の移ろいに一人「わたし」だけが押し流され、次第次第にこれら夢見る「わたし」を包んでいたものから引き離されていくかのように思われる。「鐘の音」が消え、空の輝きが薄らぎ、鳥たちの姿が見えなくなるのは、それらのものの刹那性によるのではなく、むしろ「わたし」の存在の刹那性に基づいている、と理解すべきである。 無限なるものと有限なるものとのこの関係は、カフカのあるアフォリズムの中で語られている「天空」と「鴉」との間の関係と本質的にみて同一のものである。
従って、「わたし」を襲う「滅び」の気配は、自らの存在に対するこうした意識、もしくは認識から生ずるのであって、「わたし」が後二連で語られているような地上のものを見、その姿の内に同じ地上の者としての自分の「没落」を認めるからではない。「滅び」は、天空の「安らぎ」と「広がり」、そして光とから「時の移ろい」によって「わたし」が絶対的に隔てられている、という第二連第四詩行に隠されているくらい予感に結びついている。それは換言するなら、「神の聖域」と「わたし」との、「天空」と「鴉」との、要するに無限なるものと有限なるものとの間にある「形而上的・絶対的隔絶」(der metaphysische absolute Abstand)と呼ぶことができる。
「その時」とは、いうまでもなく「わたし」が「雲の彼方」に鳥たちの姿を見失い、一人この地上に残されたときのことである。「滅び」は暗い予感として「わたし」の内部にまず湧き上がる。このとき、移ろう時を忘れ、天空に遊んでいた「わたし」の夢の中の意識が醒める。だから、「滅びの気配」とは、「わたし」を永遠な流転空から地上へと引き戻す時間意識に他ならない。「わたし」はこの移ろう時を、いま自分の存在を根底から震撼する「滅び」の気配を、地上に向けた視線に捉えられるものらの姿のうちにもまた確認するのである。それは文字どおり確認するのであって、これらの姿から何か新しい認識が生まれるわけではない。 (五) すでにして期したトラークルの基本的構図のもうひとつの極、地上は、天空に満ち溢れているものの欠如として表現される。すなわち、安らぎ、広がり、そして広がりの欠如として。だが、これらの欠如の根底には、天空が免れていた「時の移ろい」があることを見落としてはならない。
天空飛ぶ「鳥たち」に対して、「噤み」の住処は地上の「葉の枯れ落ちた枝々」である。地上の鳥としてそれはもはや天空に翔び上がることができないだけでなく、安らぎと広がりとは無縁な寒々しい枯れ枝にいて、何事かを「嘆き悲しみ」、「訴える」。「啼く」(klagen)とは、語の本来の意味においてまず何よりも「嘆き悲しむ」ことであり、「訴える」ことである。いま「つぐみ」が何を嘆き、何を訴えようとしているの化などと問う必要はないだろう。 ただ一羽きり夕闇に紛れて啼くこの「つぐみ」に対して、天空の「鳥たち」は「長く列をなして」(lang geschart) 翔んでいく。この彼らの「長い列なり」においてさえ、天空の「安らぎ」と果てしない「広がり」とが、あるいは「移ろう時」からの明るい解放感が感取できる。 同時にまた、地上にあって「わたし」の耳に聞こえてくる「つぐみ」の啼き声と、秋空に響き渡る「鐘の音」とが対比されている。複数形で表現された「鐘の音」は、そのほとんど永遠ともいえる反復の中で、「安らぎ」を運んで来る。いつかこの「鐘の音」が鳴り止み、天空から「安らぎ」が消え去るかも知れないなどという不安はこの反復においては感じられない。だが、枯れ枝で啼く鳥の声は、おそらく一瞬のものでしかない。鋭く闇を裂く稲妻のように「わたし」の耳を掠めた後、それはもう二度と聞こえてくることはないだろう。この啼き声のゆえに、むしろ闇はさらに濃くなり、静寂はさらに深まる。 音に対するこうした対比と共に、動きという点からも若干のことを指摘しておかなければならない。
鉄格子に絡んで揺れる葡萄、風の中で震えるアスター、これらの小刻みな動きにおいても地上のものが何ものかに戦く姿をわれわれは感じとる。それは第三連第一詩行の、
で語られている「わたし」の戦きと根本的にみて同じ種類のものである。すなわち、移ろい行く時に対する戦きである。すでに見た前二連の中の詩行、
をこれらに対置するとき、われわれはこのことを一層よく理解する。この小刻みな揺れと振動、そして「わたし」の戦きは、「時の指針」が文字盤の上を滑っていくときに見せるあの動きへと結びついている。 天空においてはこの戦きはどこにも見られない。「長く列をなして」飛翔する「鳥たち」の動きは、悠揚たるものであるはずである。そしてまた、彼らがその彼方へと消えていく「雲」でさえ、それ以上に移ろわぬものであろう。だが、何よりも天空にあっては、「時の指針」はその動きを停止している。 このような対比関係におかれて、トラークルがこの詩の中で用いている形容詞もまた、構造的な意味を持つことになる。が、ここでそれらについてさらに論究する余裕はないので、ただ列挙するにとどめる。
などである。こうした対比はトラークルの詩的世界の根本的構造に関わるものであり、子の詩の中でのみ論ずることは不十分で、他の詩との関連から寄り厳密に広い視野からその構造的意味が求められねばならない。また、トラークルの色名語についても、いま論ずるに足る資料をわれわれは持たない。 (六) これまでの記述から、おそらく地上において初めて、「夕暮れ」と「秋」というこの詩の時の規定詞に対して、当初われわれが期待した通りの内容を見い出すことができよう。 いまこそこの詩におけるトラークルの「没落」の意味が語られねばならない。これまで故意にその論究を留保してきた詩行が、この意味を明るみへ引き出してくれる。 この詩においてトラークルは二つの比喩を用いている。すなわち、「秋の晴れやかな広がりに消えて行く」鳥たちに対する、
と、「風に震え」るアスターに対する、
の二つの直喩である。われわれはここでも天空と地上とを画然と引き離す「時」を強く感ずる。 「敬虔な巡礼の旅に似て」については、改めていうべき言葉はない。信仰の光に照らされ、神に導かれて旅する者、それが巡礼の意味するところである。この光、この旅においては、「時の移ろい」はどんな意味をも持たないことはいうまでもない。 だが、後者の比喩についてはいくつかのことを指摘しておかなければならない。ここでもまた、すでに見た「動き」が地上的な意味を担っている。「輪舞」を具体的なイメージとして思い描くことのできる者なら、それが最も緊密に「時の指針」の動きに結びついていつことを理解するはずである。この比喩はなるほど「アスター」に対する比喩に違いないが、しかし、
の詩行によって比喩と比喩の対象とが切り離され、それぞれがさながら独立した印象を与える。それはまたこの比喩自体の持つ強烈なイメージの喚起力からもいえる。 つまり、「風に震えつつ」咲くアスターの姿に「子供らの死の輪舞」を思い描く詩人の想像力と、逆に「子供らの死の輪舞」の具体的なイメージとして、その姿を「風に震え」るアスターと結びつけようとする想像力とにどれほどの差異があるだろうか。自然の具体的な情景によってあるイメージが喚起されたのか、それともすでにあるイメージが具体物に結びつけられたのか、この差異をいま論ずる必要はない。もちろん、詩人にとって眼前の光景が彼のイメージに比して実在性が希薄だ、と言おうとしているのではない。だが少なくとも、詩人の想像力は現実の存在に劣らぬ実在性と自立性とを備えたひとつのイメージを作り上げるものである。だからこそわれわれは彼の用いる比喩の内に、単なる比喩以上の意味を求めなければならないということになる。 さらに付言するなら、この詩行を単に比喩として捉えるとしても、なぜアスターは「蒼ざめた子ら」と呼ばれねばならないのか、また、風に震えるその姿はなぜ「死の」輪舞なのか、といった疑問が生ずる。この問いに対して例えば、アスターの「青い」色は、死の色として死んだ子供らの「蒼ざめた」顔色を、その小刻みに震える動きは、死の動作として「死の輪舞」を想像させた、といった解答は無意味である。すなわち、この比喩自体の意味が問題にされなければならないのである。 すでに明らかなように、アスターの「風に震え」る動きと「輪舞」とが共に「時の指針」の動きと結びつき、「時の移ろい」の中でのあの「わたし」の戦きと根源において同じものだと考えることは正しい。問題は、なぜこの動きが「死の」輪舞と喩えられ、「子供ら」は「蒼ざめた」死者として現われねばならないか、ということである。これらの問題の根底においてわれわれが問うているのは、要するにこの詩の中で語られている「滅び」とは何を意味するのか、ということに他ならない。 「滅び」(Verfall)
とは、『グローデク』に歌われているように、ひとつには「腐敗」することである。
だが、「滅び」のいまひとつの意味は「没落」(Untergang)
、すなわち「没み・落ちる」(unter-gehen) 初期のトラークルがこの「いま」と「ここ」という歴史的時間意識をどの程度明確に持っていたかについての論議をいまは留保せざるをえない。 |