中国人の美意識
02C8004 渡邉 乃奈己
はじめに
第一章 原初的美意識
(1)文字からみる美の起源
(2)美的対象と美的感動との関係
(3)美的対象の多様拡大的推移と美意識の質的変化
第二章 美人とは
(1)基準
(2)条件
(3)ミス・コンテスト
第三章 日本と中国の美人像
(1)中国の纏足
(2)日本のお歯黒
第四章 中国整形業界
(1)現状
(2)整形に対するアンケート
第五章 現代の若者の意識
(1)中国人女性が求める美
(2)中国人の意識調査
おわりに
はじめに
中国人は、どのような人を美しいと思うのか。私は、中国留学中、中国人の友人との会話の中で、日本と中国人の美しい人と思う対象の違い、美しいと思う価値観の違いを肌で感じた。例えば、お化粧を例として挙げるならば、日本人である私は、くっきり、ぱっちりした目のメイクアップが可愛いと思い、それが、日本人の流行りだと感じた。しかし、中国人の友人には、そのようなメイクアップをした子は、どの子も同じ顔にしか見えなかった。彼女が思う可愛い、美しい子というのは、顔立ちが整っていること、さらに、その子にしかない個性を持っている子であった。
この卒業論文では、根本である「美」について追求し、中国人の美意識、及び、最近中国市場にも参入している整形業界について研究する。
第一章 原初的美意識
(1)文字からみる美の起源
中国人の美意識の起源について、「美」という文字、似たように読まれる言葉から、そこから見出される彼らの心理、その生活感情の本質、実態を探究することによって、彼らの原初的美意識を明らかにする。
先ず、説文によると「美」は、「羊」と「大」の二字が組合されてできたものである。その本義は、「甘なり」と言われている。原初的美意識の段階において、ある対象に対する、ある特殊の感覚的、官能的な感動を表す言葉であった時、このような「美」の本義は、その字の構造に即して考えるならば、「羊の大なる」ことである。もし、この純理論的な立場からの解釈が可能、且つ正しいものであるとするならば、中国人の最も原初的な美意識は、「羊大」であり、羊の様態に対する感動性を表しているものだ。その羊の様態は、ムクムクとよく肥え、深い毛に覆われ、生命力の旺盛さを象徴している丈夫な羊の姿態が表象される。しかし、前述のように「美」 の本義は、「甘」という味覚的感動性であるとされている限り、そこでは「羊大」という、羊の特殊な姿態性と美的感動との間には何等の関係もないものとなる。従って、そこではあくまで中国人の最も原初的な美意識は、「甘」という味覚的感動性に起源するという考えがあったとされる。
≪「美」・「羊大」・「甘い」の関係≫
段玉裁は以下のように述べている。
『抑々「甘」という字は、元来一般に所謂五味(甘・辛・酸・苦・塩)の中の一味として、口に「アマイ」味を意味する文字であるが、ここではその様な意味ではなく、わが国語の「ウマイ」−それが「甘い」・「辛い」などに関係なく、要するに人々の口の嗜好みに適合い好ばれる−味という意味であり、それがもと所謂「羊大」 の姿態から為し創造られた「美」の字の本義とされているのは、所謂「羊大」とは「肥え太った羊」のこと、そしてその様な羊の味が「甘い」ことから由来したものであるといっている。』[1]
つまり、「美」が「羊大」に関係する字とされるならば、羊の様態に対する感動性を表すこと、さらに、その肉が人にとって、「甘」と感じさせていたことから、味覚の経験から美的な感動性を表したものだということがわかる。もし、この見解が正しいならば、中国人の最も原初的な美意識は「肥えた羊の味は甘い」という、古代の人々の味覚的な感動性に起源するということができ、これらの三語は関係している。
これまでの「美」の字によって表現されていることについて、笠原仲二は中国人の最も原初的な美意識と「羊大」との関係の解釈は、「甘」という官能的な味覚的感動、 羊の様態の大きさに対する視覚的感動だけではないと考える。問題となることは、中国古代の人々の日常生活において、羊という家畜の持つ意味、価値はどういうものかということに、焦点をあてるべきだと考える。
≪古代中国における羊の価値からみる美意識≫
羊は一般に毛及び毛皮が防寒具として広く使用されていただけではなく、日常生活において人々の食用とされていた。また祭りなどの際には、犠牲の一つとして使われ、獄訟の際には、神聖な審判者として用いられることもあった。このように、羊は物々交換の一つの重要な財貨として牧養されていた。
羊のもつ中国古代の人々の生活上、経済上における意味と価値が、このように説明できるならば、「羊大」ということから、羊の毛が伸び、ムクムクと肥えた羊が想像できるならば、羊は人々に視聴的感動を与えただけではなく、さらに、その印象、意識を与えたことがわかる。
・ 毛、毛皮−防寒具(好ましい、喜ばしい)
・ 肉−「甘さ」への連想(食べることに対し悦ばしい)
・ 数−経済生活の質、交換価値の高さ、吉祥を表す。
このことから、生活感情を豊かにするものであり、生甲斐を約束するものとして映る。また、「羊大」の意味から「美」の字に含まれる最も原初的な意識の内容は以下のように説明できる。
@ 視覚的(羊の強壮さに対する感動)
A 味覚的(肉の甘さに対する官能的な感動)
B 感触的(防寒具として、機能の十全さの期待に対する感動)
C 経済面において、羊の持つ、経済価値、交換価値の高さの予想に対する感動。
よって、中国人の美意識の起源は、羊の様態性に対する感動、また人に与えた幸福感であったことがわかる。
≪音からみる「美」≫
物理学者によっては、今までに述べた「美」の本義に従わないものもある。馬叙倫氏は以下のように述べる。
『「美」が前述のように「羊大」に従う字でありながら、その音がビと読まれているのは、「美」が周辺に「微」に作られていることから考えると、それは元来「大いに従い芋の音」の字であるべきだが、「芋」と「羊」が似ているところから成って「羊」に作られたか、あるいは「羊」そのものの古音が「芋」であったからであるかも知れないといい、「美」は説文においてその「羊部」よりも、まさに「大部」に所属せしむべく、「美」 の字の「大」に従うのは、酒「女」に従うごとしとして、結局「美」をもって「微」の初文であり、また「媚」を意味すると説いている。』[2]
つまり、「美」の字における「羊」は、音を表すもので意味とは無関係である。中国人の最も原初的な美意識は、女の媚めかしい顔の好さ、媚めかしさに対する感動に起源している。すなわち、色は、美人から与えられる美的感動性が中国人の原初的な美意識を形成する重要な一つの契機であったことを考えるならば、一見条理にかなった考えのように思うが、賛成しない意見もある。
中国人の美意識の起源は、彼らの日常的経験、美の「羊大」の構造から、一般的に考えるならば以下のようになる。
@ 最も原初には、「羊大」の姿態性にからむ生活感情の一つである。
A 一般に食べ物の味が「甘い」という味覚美。
B 羊の肉の「甘さ」に対する官能的感動性
これらの理由として考えられることは、「甘」の説文的本義が、「美なり」と説かれていること。羊の字に従う「メ羊」が「美」と読まれていること。飲食物の味について、「美」が「甘」の意味に用いられていることが挙げられる。「美」が「甘」の意味に用いられているということは、例えば、「馨」の後起の字で、「甘」の本字とされている「香」に「美」の読みがあることからである。
≪「滋」・「甘」・「美」・「味」の関係≫
「美」が「羊大」に従う字であり、またその音が「ビ」とされていることについて、「甘」という味覚美を意味している。その事実が、中国人の最も原初的な美意識の起源は、味覚美的な感動性にあったことの有力な裏づけとなるが、このことを次は他方から分析する。
説文の口部によると、「味」の字は、「口に従い未の音」の字である。その意は「滋味」。音は「無沸切」とされている。しかし、「未」の説文的本義は「味也、六月磁味也・・・」といわれ、その音は「味」 と同じである。
「味」と「未」の意味と音の関係について、このように説明できるならば、次のことも同じように解釈できる。
史記に「未は萬物皆成り、皆滋味有るを言うなり」といわれていることばがある。
「味・未」と「美」とが双音の関係があることに注目できる。密接な関係がその間にあると推測される。さらに、「ビ」、「ミ」 という音が、一般に飲食物の滋味を表わす言葉であったことが、なお理解できる。
以上のことをまとめるならば、
・ 「味・未」と「美」との双音関係。
・ 「滋味」が口にものを「含む」という意からきていること。
・ 「口に甘い味」を意味する。
・ 「滋」に「美」の意味がある。
・ 「美」・「味」が双音の関係にある字であること。
ということが説明できる。以上を兼ね合わせたとき、一般には、「口は味を好ぶ」といわれている際に使われる「味」が、「滋味」、「甘味」、「美味」など同じ意味であることがいえる。よって、滋・甘・美・味の間には古来類語的関係があったとされる。「美」と「甘」の読み方が同じとされることを明らかにすると共に、「美」は、元は、味覚的感動性を表わす文字であったことが明らかにされている。
中国人の最も原初的な美意識について、「美」の文字が、羊肉の味との本来的・特殊的な関係から離れ、ある飲食物の味が単に「甘く」ければ、その飲食物の種類・性質がどういったものが問わず、「甘い」という特殊な味覚美、官能的な感動性を表す一般的なことばであるという考え方もある。
「甘」という字は、本来、口中にものを含んでいる形を表わし、「含む」の初文であるとされていることから、飲食物の「甘い」・「美い」とは、それらの飲食物を口に含むことによって、口、舌が快く、また好ましい感覚になることで、心も楽しく喜ばしい感動を与えるという、肉体的・官能的な経験を意味するものとされていた。また、「美味」から由来した「美」の概念には、好・快・楽・喜・悦等の概念があることを説明することによって、文字の意味を明らかにしている。
以上のことから中国人の原初的な美意識の内容、本質は、ある対象の与える肉体的・官能的な快楽感なことが根本にある。
(2)美的対象と美的感動との関係
笠原仲二は、美的対象と美的感動との相互関係について、結論を以下のように述べる。
『様々な美的感動は、ある美的対象が、夫々人々の生理的乃至本能的に要請する生命のリズム、あるいは本能的に憧憬・欲求し、理性的に理想とするようなイメージ(それらは何れも神秘的としか、いい得ない様な究極的・根源的生命の強い要請と衝撃によるものと考えられる)に近いか、全くそれに合致した際に起るところの感性的な共感、あるいは理性的な共鳴を意味する。』[3]
一般中国古代の人々にとって美的感動は、前に述べたように美的対象の種類・形態・内容がどのようなものかは問わず、重要なのは、心理的・情感的に喜び、快楽さを感じることができたかどうかである。それらの快楽さは、一般に自らの好み、理想とかなうことによって生まれるものであり、自らの生命の充実感を実感する事ができる。
また、美味を意味する「甘」は、本来五味のうちの一つであるが、時が経つにつれて、何の味かを問うのではなく、口に合うものに重点をおかれてきたことからも理解することができる。「虫喰う虫も好きずき」ということわざがあるように、憧憬し、同感、共鳴できるものが、「美」であることが分かる。
このように、美的対象の持つものと、人の内部で影響するものとが、互いに諧調、調和することの結果が、人が「美しい」と意識することであり、美意識と説明することができる。
(3)美的対象の多様拡大的推移と美意識の質的変化
「美」を求めるのは、人間の本能による自然必然的要求に基づくものである。また、人間の五官の知的対象のうち、味覚に根源する官能の美的感情と愉悦間が、他の感覚へと移行するように変化している。しかし、本能的なものを通じて、個人的・主観的な官能の悦楽に関するものとして、「生」の充実感を味わうとされている。
その変化を以下のように説明する。
第一に、一般にもの・ごとの形式・内容あるいは性質・姿態等のもつ素朴・単調さに伴う生の味気なさや倦怠感をさけ、生に新鮮な刺激を与え、その内容を豊かに充実するために、それらのもの・ごとに対して作為・加工された−従って精巧が様々の文飾や彫琢。
第二に、前者に連帯する生活感情として、ややもすれば生の倦怠を伴う平凡・日常的なものよりも、「珍」・「奇」なもの・ごと。
第三に、さきの第一のものとはまったく反対に、人々を延焼する自然界のあらゆるたたずまい−天地山川草木日獣其他のものと、それらの在り方−及びその様な姿態性を範したものとして、もの・ごとの自然−その生地のままで、何等の文飾・彫琢も加えられていない素朴−単純、質素−な形式・内容あるいは性質等々もった姿態性、いわば「野趣」。人の性質・言行の質実・真撃性。
第四に、一般にもの・ごとの形式・内容あるいは性質や姿態の、余りに十全的なものよりも、むしろそれらのもののある部分に不備・不全、あるいは抽出・枯出なところのあるもの。
第五に、一般に喧嘩・粗野なもの・ごとの在り方よりも、幽静・閑雅な在り方、濃厚より淡白なもの、剛強より柔弱なもの。人の言行においては「謙虚」「含光・守愚」的な在り方。
第六に、あるもの・ごとが、その形式・あるいは性質・姿態性において、中庸的であるもの。または相対的で調和・均等のとれた安定感のあるもの。其所作の優腕なもの。
第七に、詩・武・文章においては、その本来の姿と考えられていた警戒的な内容のものよりも、娯楽あるいは鑑賞の目的にかなったもの、またはその形式・格調・音韻の整ったもの。総書においてもなお鑑戒的なものよりも、一般に、山川草木鳥獣蟲魚、其他の自然現象及人物などの真−(神)を為したものなど。
第八に、人間のまさに尊守・実践すべき正しい条理−倫理・道徳、従って豊節にかなった言行と崇高な人間性。
第九に、倫理・道徳にかなった、正しく善良な政治の仕方や風俗の姿態性。
第十に、あるものが、そのものの本質上、または社会通念上、まさにそのようであるべきであると期待された通りのままにあるとき、その様な、あるものの在り方。
第十一に、一般に人々の憧憬・羨望する富貴・躊善・権勢あるいは名聞・音奮等々。
第十二に、一般に人間のもつ容姿・風格・品位あるいは豊力・精神力、または才能・性質・技術・学術その他凡そ人々の羨望・讃嘆する様な長所、秀れた能力。
第十三に、あらゆるもの・ごとの、自分自身のために有用有益な利点・あるいは人間にとって有用・有益な秀れた性質・能力。
第十四に、一般に明るいもの、光り輝くもの、汚穢のない清浄なもの、生々とした新鮮なもの。
第十五に、一般にあるもののごとの豊富さ、繁昌さ、それらのもの、ごとのもつ、溢れるばかりの生命力の充実さ、あるいはその旺盛なものをうみだす生産力。または吉祥・慶びなどが象徴されている様な性質や姿態性のすべて。
第十六に、前者とは梢異り、もの・ごとの繊弱・繊麗的な姿態性、あるいは哀愁や悲倉な感情を伴う様な在り方。
第十七に、一般にものごとの情趣に深さ−奥行き−、高致さ、重厚さ、洪舌さ、等々の見出されるもの。[4]
等々へと、その美的対象が多方面に拡大・推移している。
物質的、経済的な生活に対して合目的なもの。単に官能的な悦楽のみを充実させるものではなく、社会的な名誉心を満足させるものを除いたある種のものが、精神的、倫理的、社会的に優れ価値あるもの。景観の優れた自然の風物など、生命に対する悲哀を解消し、気持ちを清め明るくしてくれるもの。倫理、道徳、学問、芸術、社会など広い分野において、成就、完成する過程において、困難に耐えたことで、人々の心を感動させるような偉大な事業を成し遂げ、名作を残すなど、その人の人格、品質など、自然・造物者に劣る事無い、人間の創造的能力の偉大さ、精神力の旺盛さが象徴されているもの。そのようなものに対し、必然的に、そうしたものに接する人々の人格や品性を崇高に純化し、人間社会全体の進歩、向上に多大な利益をもたらすような価値をもつ対象へと移行していった。
それから受ける美的な感動は、美的感動でありながら、肉体的感覚に直接作用し、影響を与える単なる官能的なものである。さらに、一時的・表面的なものとして消えるものではなく、その個人的・主観的なものを越え、客観的・普遍的な力を持つ対象を意味するものである。一般に人間の内部に入り込み、その心を浄化し、人格的生命を育て、人をして正義、人道のために尽くす。崇高な道徳的感情を生むだけでなく、その平和を愛し、あらゆるものの命をいとしみ慈しみ、やさしく温かい愛情を育む。その結果として、その人格的感化が自ら他者に、その崇高・偉大な人格的形成を作る。自己のみならず、人間のみならず、人生において、尽きる事のない崇高な思想、豊かな感情、敏感な感覚があらわれ、精神的・文化的価値を持つものとなる。
このことは、官能的な原始的美的感動を求めることのみの対象の価値を否定することを示している。本能あるいは感覚の欲求や衝動に従属し、そのような欲を満たしてくれる対象のみを「美」としがちな自然的人間から、本能あるいは感覚を、自ら支配下に合理的に制御するような理性と意思をかえって「美」とする、文化的人間への進化を意味する。
同時にこれらのことは、その興えられた対象のもつ官能的な美的要素の奥深くひそむ、精神的あるいは理性的な美的要素を発見し、それに対する美的感動−生の充実感を新たに享受するようになったこと、即ち美的なるものに対する感覚が、質的に変化すると共に一層深く鋭くなったことを意味する。更に「美」についての概念内容のこの様な変化、美意識の質的な昇華のこの様な推移的段階こそ、美的感動が倫理的・道徳的な効果をもつものとして意識され、美の意味あるいは価値が、その様な倫理的・道徳的な立場から概念され、評価されるようになった段階を意味する。たとえば、かの孔子が詩を掘り、仁者の山を楽しみ、知者の水を楽しむことを讃え、筍子が音楽のもつ倫理的・道徳的価値について論じていることばの中に、この様な段階への美意識の変化、美的概念の推移のすがたの一斑をみることができるであろう。そしてその様な傾向はやがて一般に、その様な倫理的・道徳的価値のみとめられる対象−言動・行為あるいは作品のみを、従って厳密にいえば、その様な倫理的・道徳的価値それ自身を、「美」として概念する様になっている。たとえば、孟子が已述のように、「心」を悦ばす「理」・「義」をもって美味を訴え、仁義の行いを美とし、筍子が人情の美を問題としている例などによってその一斑を知ることができる。そして一般に倫理的・道徳的価値こそ「善」を意味するとき、このように前者が「美」とされるようになったことは、凡そ「美なるもの」が「善なるもの」であり、逆に「善なるもの」は「美なるもの」であるということ、換言すれば「美」と「善」とが、その価値において相一致するものであるという概念の生まれたことを意味する。このことは、中国古代において、かの説文的本義に明らかである様に、「美」と「善」とは、その本質において原初的に異なったものと考えられ、また論語に「詔は美をつくせり、善をつくせり。武は美をつくすも、未だ善をつくさず」といわれる様に、感性的な「美」は「善」よりも、その文化的価値の劣ったものとされていた多面の事実を考えるとき、まてことに興味ある、注目すべきことでなければならぬ。
さて、以上述べたような美的対象、美意識の推移の変ぼうの他の一相として、次に注目するべきことは、従来未だ十分に、あるいは一般に意識乃至自覚されなかった対象に−対象のうちに、たとえば、多分に人工的に文飾または彫琢された華麗なものよりも、自然の生地のままの素朴なもの、精巧なものよりも却って稚出なもの、剛強なものよりも柔軟なものなどの中に、新しい意味の「美」の存在が、従って「美」というものについての新しい意味の発見と自覚が生まれるようになっていることである。この様な新しい美意識のあるものは、勿論論語やホウ記の様な儒家思想をもっている所謂道家思想に、顕著に多く見られることは、人の容易に認めるところであろう。そしてこれらは要するに、何れも、美的感動が、従来考えられていたような、生理的な感覚より興えられる官能的なもののみに限らず、精神的・理性的な欲求を満足さすものの中にもあることの、発見と自覚を意味するものとして、「美」と倫理的・道徳的価値、即ち「善」との関係についての、中国人の考え方の推移の一斑を物語るものであるが、この様に「善」とシノニム的且つ等価値的な関係において概念されるようになっていた「美」は、やがて更に「真」ともシノニム的且つ等価値的な意味に概念されるような段階に推移している。そしてそれは芸術−詩・武・文章あるいは音楽・戯曲の世界、すぐれて総書の世界においてであった。しかしこの際注意すべきことは、この様な「真」とシノニム的且つ等価値的に概念されるようになった「美」は、前述のような意味の「善」とその次元を異にし、それより一層高い価値を興えられていること、またここに所謂「真」は、カント的意味における客観的な府県妥当性をもつ「真理」としてのそれでなく、やがて別述するように、一種の「芸術的真理」即ち、あらゆるものを生成・変化あるいは消滅の諸相において主宰している唯一絶対の形上的な実在、即ちあらゆるものの突極的・根源的な生命そのものを意味していたことである。換言すれば、それは道家あるいは所謂神仙思想において、その核心的概念ともいうべき、所謂「道」・「自然」または「理」「神」等々と全くイノニム的に概念され、従ってそれらの概念と、その本質を同じするとことの「真」を意味していたことである。
さて、「美」と「真」の関係が、今述べたような意味に概念されるようになった段階とは、要するにその原初においては勧善懲悪的な意味を持つ、一つの倫理的な手段、所謂「鑑戒の具」として制作されていた−或いは「鑑戒の具」として概念されていた総書が、やがて一般に世俗的な概念としての「善・悪」そのものをさえ根源的に否定・止揚し、却ってそれらを抱擁的に超越した、最も突極的・根源的な実態としての「道」に因循し、それに冥合することこそ、人間のまさに努べき、あるいは在るべき姿であると強調する道家思想、及びその様な、思想的影響下に生まれ、従って突極的には道家のとくその様な所謂「道」と、その意味・本質を等しくするところの「真」を、「真」に融合、統一することを、人間の本質的なありかたと考える所謂神仙思想、あるいは後世、大乗沸教殊に禅宗の思想などの影響をうけ、そうした意味の「真」が、その突極的な芸術理念として創作されるようになった段階である。従ってこのような理念にもとづいて創作される総書とは、ある対象−それは客観的に実在するものであるか、あるいは専ら主観点な実在、即ち自らの空想乃至幻想であるかを問わず−から興えられた美的感動、あるいは自らの内部に生まれた、激しくたぎり旺盛する美的な衝動を、線、または線と色とを媒介として客観的・平面的に形象化したものであると同時に、それは、その書面−その筆致・彩色・構図等々において、必ず前述の様な意味・本質をもつ「真」が、十全的に象徴されているようなものでなければならなかった。
以上、述べてきたような中国における美意識あるいは美的概念、その美的対象の種類並びに領域の拡大的推移・変化、それらに伴う美的価値意識の変質な変化等々について、之を一般に言われているような「美・善・真」三者の関係のみに限定して考えると、それは要するに次のような諸段階に要約されるであろう。
第一の段階は、この国の人々の美意識が、最も根源的には感性的な面における「生」の満足と充実感を興えてくれる対象、及びそれからうける官能的な美的感動、感性的な愉悦と快楽のみに止いた段階。
第二の段階は、その美的対象が前者の様に、人間の生理的・本能的な感覚を直接刺激し、悦楽せしめるような個人的・主観性を脱して、社会的・倫理的意味をもったもの、即ちそれらが精神的・理性的な面における「生」の満足と充実感を興えてくれるようなものにおいても、発見・自覚されるようになった段階である。なお、この段階において意識され、概念された美的対象の具有する「美」は、已述の様にその原初の義において本質−その原初的な生活経験の実体−を全く異にした所謂「善」なる概念と、やがてシノニム的に理解されるようになり、かくてそのような意味の「善」、従って「美」の興える感動は、精神的・理性的な愉悦として情感・意識されると共に、その様な「美」は、已述のような感性的な対象のもつ「美」、官能的な美的感動よりも、人々の精神あるいは稔悪の深底を揺り動かすような、倫理的・道徳的に高い価値をもつものされるようになっていることを注意すべきである。
第三の段階は、彼等によって自覚された新しい美の世界、その美的対象の具有する美が、第二の段階における「美」と「善」のみならず、それらと全く相対立し矛盾する「悪」と「鬼」さえも共に包括的に止揚・超越した絶対価値としての「真」と、その本質を同じくするに至った段階である。
なお、この段階における美的対象は、そのような「真」を象徴し、従ってそれから興えられる美的感動は、かつて述べたような単なる「心」−いわば実践理性の満足感とか、原始的感性的な会館などのようなものなくして、人をして自らあらゆる種類の塵俗の心を浄化し、さきの感性的悦楽と理性的愉楽とのきわめも定かではなく、より高次の絶対的な−いわば一種の宗教的エクスタシー、真の自由へと超絶せしめる力を持つ、換言すればこの様な美的感動こそ、已述のような宇宙の突極的・根源的な生命としての「真」への融合によってもたらせるものであり、従ってその様な力をもつ美的対象−例えば偉大な総書のような−は、それの享受者自身の本性を拡大し、その活力・生命観を抑揚し充実せしめ、あるいは「物我両つながら忘れ、身を高木、心を死灰」のような境地に昇華せしめるような効果をもっていること、そしてそれは単に中国に置ける名書のみだけでなく、一般に天才の創造なる偉大な芸術作品に、普遍的に見られる現象であることを注意すべきである。それは、まさしく中国人の美意識の進化の極境であると共に、そこに至るまでの已述のような美意識あるいは美的概念の本質の推移こそ、彼等の精神生活の向上の歴史。従って、その文化の進化の跡の一斑を、物語るものでなければならない。
中国人の美意識あるいは美的概念は、歴代書物を理解しても、美意識の拡大・変化は要約するにしかすぎず、簡単には、これを一つの歴史的・地域的に跡付けできないものだ。しかし、その中で言えることは、その美的対象の種類・範囲の拡大は、推移的に変化・変質していることが明らかにされたことだ。その理由を巨視的に見ると、まず経済的・社会的に、彼らの生活環境、精神、情緒に反映したものと考えることができる。その中には、各種生産手段の進歩発展に、必然的に規定された結果として生まれた、政治体制の変革と、支配階級の物質的生活環境、歴史的変化の多様・複雑性が、彼らの心理が込められている。また、風土的・地域的な面から見ると、美的概念の多様性は、その住居する地域の気候・風土等の自然環境の相異性に影響されているによるものであることなどがわかる。
第二章 美人
美人とは、容貌の美しい女性をさす言葉。美女も同じ意味の言葉。古語では男性を指す事もあった。男性の場合は美男子(びなんし)、未成年者であればそれぞれ美少女、美少年と呼ばれる。
文化や時代によって美人の基準は異なる。同じ地域でも時代により美人の定義は変化し、同時代であっても地域・文化圏の違いによって基準は異なる。又、ある共同体での一般的な美人像が全ての個人に共通している訳ではない。価値観の多様化が進んだ社会であれば、分に対する基準にも個人差がある。
美人という言葉は内面を指す事もあるが、一般には外見の判断である事が多い。ミス・コンテストなど、美人を基準にした社会での女性の扱いについては、フェミニストなどから問題提起されることもある。又、ジェンダーの問題とも関連する。[5]
日本国語大辞典では、「美」について、「形、色彩が整ってきれいであること。美しいこと」と説明されている。整う、調和、均整がとれ、その結果、美となる。
(1) 基準
美人とは何か。と問われた時、本来、人種、文化によってその基準は大きく違う。ある文化で美しいと思われたものも、他の文化でも必ずしも美しいとは限らない。逆に、美人のイメージは文化を超えて共通すると思われている。例えば、オードリー・ヘップバーンや、マリリン・モンローはアメリカ人にとって美人だと思われているだけでなく、東洋人やアフリカ人にも美しいと思われ、多くの人がそう思っている。
マリリン・モンローやオードリー・ヘップバーンが世界的に美人となったのは、彼女らの映像を通して、人々の心のなかで、本人と別個の美人像が作り上げられ、そのなかに個人的情緒の断片が込められていたからだ。メディアによって作り出された美人像は、個々の記憶、経験と情緒を呼び起こすきっかけであり、同時に感情投射の対象である。だからこそ、美人としての普遍性が獲得されたのである。[6]
だが、そうした「常識」は、しょせん錯覚にすぎない。美人の基準が文化を超えて共通すると思われているには原因がある。まず、消費文化の地球規模の拡大とメディアの発達である。それにともない、人々の価値観が「標準化」されているからだ。経済の発展、インターネットの普及に伴い、多くの人の価値観や審美観を大きく変えた。また、多国籍企業の製品が国境を越えて世界中に広まっていく中で、民族や国家の違う人々が同じ化粧品を使い、肌色の異なる人たちが似たようなものを身につけるようになった。その結果、文化によって異なる美人観があることが人々の中から忘れ去られたからだ。
古代には、それぞれの文化特有の美人像があり、異なる文化に共通する美人像はなかった。例えば、中国人も日本人も同じ、モンゴロイドで、黄色人種である。しかも、近代以前は両国とも儒教文化圏に含まれており、文化的なつながりも緊密であった。しかし、江戸時代の美人像と清朝の美人像は異なる。日本では、お歯黒が美しいとされていたが、中国では、纏足が美人の条件とされていた。このように、文化が大きく違う場合だけでなく、近い文化の間でも、美人観は大きく違っていた。
(2) 条件
美人の条件とは、すらりとした体型、ぱっちりした目、鼻筋が通っていて、肌のきめが細かいなどある。体型に比べ、顔の基準を決めることははるかに難しい。専門家のあいだでは、様々な仮説が出されているが、いずれも、バランスがとれているかどうかが重視されている。理想的な顔について、額の髪の生え際から顎にいたるまでを三等分して、生え際から眉毛まで、眉毛から鼻までと鼻から顎の先までの感覚はそれぞれ三分の一を占めたほうが好ましいという説がある。また、側面からみた場合、鼻の長さに比べ高さは三分の一を占め、しかも口は鼻と顎を結ぶラインの内側に収まると美しく見えるとされている。[7]
しかし、これらはすべて一般の人が感じる美人の印象的なものである。つまり、イメージで成り立っており、人によって持つ、美人のイメージは異なる。
美しいかどうかは個人の感情が絡んだ認識で、ある人にはきれいに見えても、ほかの人にもきれいとみえるとは限らない。「魅力」の評価は主観性に大きくされるものである。「かわいい」という言葉がある。目の大きさが何センチで、鼻の高さが何センチだから、きれいに見えるのではない。「人の心が動かされたかどうか」という基準に基づき評価され、魅力を感じ、美人かどうかが変わる。
「魅力」は、日本国語大辞典によると、「人の心をひきつけ夢中にさせる力」という意味を持つ。また、魅力とは、内面から出るものであり、美しさの一種であることから、美しさの条件の一つとして挙げられる。
また、人間は社交的な動物である。美しくみえるかどうかは、それぞれの人間性、社会性に大きく関わり左右される。なぜなら、美人を数値化することは、科学的な測定も分析もいまだかつて美貌を説明できる根拠を示すことができていないからだ。その反面、近年、美人は平均的な顔である、ということがコンピューター技術を使った調査でわかるようになった。[8]たくさんの顔写真を重ね合わせ、コンピューターを使って、平均値にもとづく写真を合成すると、美人顔ができあがるのだという。[9]もっとも、美しさは平均値だ、という仮説はダーウィンが早くから提唱し、べつだん新しいわけでもない。[10]もっとも美人平均値説に対し、すでにいくつもの反論は出ている。平均値からはずれた顔のほうが魅力的に見えるからだ。[11]このように、様々な意見がある中で、魅力や美貌など、心や精神がかかわる問題については、科学的な分析では難しいことがいえる。
つまり、美人とは全体としてのイメージであり、印象である。異性どうしの場合、見た瞬間に何か心に響いてくるものを感じる時、相手がもっとも美しく見える。それは、容貌も要素の一つだが、けっしてすべてではない。バランスのとれた顔でも、あまり好感を与えないこともあるし、逆に特別美しくなくても、非常に魅力を感じさせることもある。よって、容貌よりも、むしろ全体の雰囲気のほうが強い印象を与えることがある。
(3)ミス・コンテスト
欧米からアジア、アフリカまでに至る各国の美人のイメージが均一化したのは、20世紀に入ってからである。
異なる人種が美しいかどうかは、容貌やスタイルで判断されるのではなく、むしろその人種の文化に対する評価と連動している。本来、白色人種と黄色人種とを比較してどちらが美しいかを決めるのは、無意味なことである。この意味では、世界ミス・コンテストには、「公平な審査基準」などあるはずはない。異人種間の容貌比較が行われているのは、人間はみな同じだという神話が背後に行われているだけだ。
ここで、ミス・インターナショナル世界大会について例をあげる。ミス・インターナショナルは、ミス・ユニバース、ミス・ワールドと並ぶ世界三大ミス・コンテストの一つである。ミス・インターナショナル・ビューティ・ペイジェントは、美の競争、ミス・インターナショナルの理念[12]に共感し、女性による国際社会への貢献を目指そうとする世界中のミスたちが、年に一度「平和と美の親善大使」として集まり、互いに交流を深めながら、世界中に友情のネットワークを広げてゆく、その象徴としての「美の祭典」である。人種・言葉・宗教・風習・習慣が異なる中で、互いが語り合い、行動を共にすることで、国際社会の一員としての意識を向上させるとともに、女性特有の優しさが、ミス・インターナショナル・ビューティ・ペイジェントの理念である、慈善・博愛・友好の精神となって、「国際親善」や「世界平和」へと飛躍させている。
このコンテストで選ばれる受賞者は、単なる容姿などによる美しさで判定されるだけではない。国際社会への貢献を果たそうとする、世界のミスたち全員の代表に相応しい「優れた国際感覚」に加え、その精神や知性、行動力に裏つけられた内面的な「美しさ」も重要な基準とされる。よって、美人とは何か。と問われた時に、外見以上に内面が重視される。
第三章 日本と中国の美人像
(1) 纏足
纏足とは、幼児期より足に布を巻かせ、足が大きくならないようにするという、かつて中国で女性に対して行われていた風習をいう。[13]
纏足文化は、小さい足の女性のほうが美しいと考えられ、唐末期に始まり、明・清王朝期が最も盛んに行われた。
纏足された足は、親指を残して指が足の裏に折れ曲がり、足裏中央の窪み(土踏まず)が深くなり、真横から見ると足そのものがハイヒールのような形になる。大きさは、足の長さが、約7〜8センチメートルくらいである。
小さく美しく施された靴を纏足の女性に履かせ、その美しさや歩き方などの仕草が楽しまれた。なぜなら、纏足をした女性は人の助けがなければ、歩くことが困難である。せいぜい室内で歩き回るくらいだが、足はよろつき、よろよろと足元がおぼつかない状態という、その歩き方が美的感覚として評価されていた。また、纏足をした足は「金蓮」と呼ばれ、美女の足の代名詞とされていた。「足が小さいほど美人」であり、「纏足をしたまま歩くことで感じやすい女性器に成長」し、地面に触れず体重もかからないように、柔らかい足裏を保つことが、男性にとっても魅力的なものであった。
また、女性は夜も靴を脱がずに休んでいた。それは、女性にとって裸を見られる以上に纏足靴を履いていない足を見られる方が恥ずかしく思っていたからだ。また、寝るときも靴を履いたままという生活の中で、足も蒸れてにおいも気になるが、そのにおいこそが、セクシーでよいという価値観を当時は持たれていた。
農村では女の子でも、働き手となることが望まれていたので、纏足をしていなかった。しかし、楊貴妃のように皇帝に愛されれば、親戚一同、一生涯楽して暮らせるという、親の思いから、娘に纏足をさせた。さらに、纏足をした女性は、纏足をしていない女性を自分より身分が低いと軽視する傾向があり、家事労働もできない自分を養えるだけの財力と地位のある男性の妻であるというステイタスシンボルでもあった。
纏足は、歩くという人間が本来もった基本的動作も不自由にさせるものであり、また女性が働く上でも障害があった。それゆえ、纏足は女性を男性に隷属させる象徴として非難されるようになった。科挙を廃止した1905年の教育改革、キリスト宣教師による女性解放運動、1911年の辛亥革命によって、「纏足問題」への意識が高まっていったが、1930年代で、中国の女性人口の3分の2以上である、1億人以上が纏足をしていた。その後、20世紀前半に纏足文化はなくなったとされる。
纏足の靴 http://tabimaro.net/etcetra/3/5/19.jpg
(2) お歯黒
お歯黒は、明治時代以前の日本や15世紀の東南アジア、中国雲南省のミャオ族、ラフ族、ヤオ族、ベトナムのザオテン族、タイのアカ族、リス族の主として既婚女性、まれに男性などの歯を黒く染める化粧法である。[14]
魏志倭人伝に尊卑の差を朱丹であらわす習慣があったことや、黒歯国という表現でお歯黒に関することが記されていることから、お歯黒は卑弥呼の時代から明治時代まで行われていたとされる。
日本では、漆のような艶のある真っ黒が美しいとされていた。
お歯黒が女性の化粧として出てくるのは「古事記」 の応神天皇の頃の文中からである。その中に、「道で会った乙女は、椎や菱の実で染めたと思われる歯が美しく、濃く描いた眉も美しい」 という文章がある。椎や菱の実は白いけれど外見は黒く、菱はお歯黒の成分となるタンニンが含まれているので、より黒が美しいという文になっている。このことから、日本人は古来から「黒い歯は美しい」という意識を持っていたことが分かる。
お歯黒は毎日する習慣の一つで、黒々とした歯を保つことが美の証とされていた。
第三章 中国整形業界
今日の中国では、「邦定・整形・美容」 と書かれた専門医院が、あちこちでみられ、中国の美容整形ブームが起こっているのが見てわかる。特に沿海部では、街中に美容整形の広告が張り出され、また、メディアでは、整形美女のオーディション番組が報道されるなど、女性の美の追求について変化が起こっている。
(1) 現状
2005年、中国で美容整形を行った人数は100万人を突破、毎年200%の伸びで増加している。産業界から見てみると、美容・整形産業と化粧品産業でおもに構成されている「美容経済」 は、毎年20%以上の伸びで発展している。「美容経済」 は不動産、乗用車、電子情報、観光につぐ、第五の消費の柱となっている。
中国で美容整形が一般に知られるようになったのは、1990年代初期からである。それまで、整形というと事故や先天性の原因による身体の欠損部を治療、修復することが主であった。最初に美容整形を試みたのは、一部の俳優たち、美を追求する中年の女性たちであった。一般の人は、当時多額のお金を賭けてまで、自分の顔を変えるのかが理解できず、整形して若返り美しくなった顔を見ても、自分とは関係のない別世界のことだと思っていた。しかし、改革・開放を経て、中国人の生活は、物質面、精神面ともに大きく変化した。人々は、外の世界を知ることで刺激を受け、古い考えや習慣の束縛から徐々に抜け出していった。その中で、美容整形も次第に広まり、人々の関心を寄せていった。
ここ数年、中国でも韓国ドラマがブームを呼び起こしている。韓国ドラマが中国に入ってきたことで、韓国のスターたちは整形していると言われており、そのことが美容整形の普及を助長している。中国の一般病院の形成外科でも美容整形手術が行われているが、美容センターを訪れる人は、増加傾向にある。上海市第九人民病院の形成外科の統計によると、1991年から2002年の10年余りで、美容整形手術を行った人は3倍に増え、他都市でも、年々増加している。
中国で一般的に行われている美容整形手術は、二重まぶた、目の下のたるみ取り、こめかみリフト(こめかみや目尻の周囲のしわやたるみを引き上げる)、豊胸、脂肪吸引などである。北京邦定整形・美容医院では、二重まぶた、目の下のたるみ取り、こめかみリフト、隆鼻の4つの手術がセットで約1万元である。中国人の一人当たりの平均収入からみると、決して安易に出せる金額ではない。
北京邦定整形・美容医院の形成外科の副主任である伊林医師は、美容整形の仕事に携わり20年経つ。美容整形を行うのは、25歳から40歳くらいの女性が多いが、中高年の数も増えている背景として、以下のように分析する。「特に、40代50代の女性は、文化大革命によって青春を奪われた世代である。彼らの青春時代と比べ、現在は社会環境がよくなり、家庭の負担も減り、経済的にもゆとりができてきた。彼女たちは、美容整形を通して失われた青春を取り戻したいと考えている。」 [15]
現代社会では、美は重要な経済要素の一つとして、求職、キャリアアップ、結婚にまで密接に関係している。「求職者たちは、自分のセールスポイントを最大限にアピールしたいと考えており、もし、学歴や才能が同じレベルなら、当然容姿によって左右されるからだ。」[16]と、ある美容センターで働く張蘭英さん(56歳)は話す。しかし、一方で、人民日報で美容整形について書く候若虹さんは、「もちろん、多くの中国人は、個人の美を追求する権利を認めつつも、こういった「一夜のうちに名をあげる」ような行為には賛成しがたい。美の究極は自然の美しさであり、学識や才能がもっとも重要だと考える人が多い。」[17]と書いている。伊林医師も同様に、「中国人の美容整形に対する理解、関心、試行はまだ初期の段階にあります。自分の美意識をもっと高めなければいけません。スターの写真を持ってきて、このような目にしてくれとか、あのような鼻にしてくれとか要求する人がよくいますが、彼らの美とは個性的なものであり、全体の中で調和がとれていることが大切で、自分に似合ってこそ美しいのだということを理解していないのです。」[18] と、美とは、真似ることでなく、自ら内面から自然に出てくるもので、その人らしさが、大切だということが分かる。
また伊林医師は、「中国の美容整形業はまだ規範が整っていない部分があり、美容医療の資格がない美容センターが規則を犯し整形手術を行っているケースがある。このような行為が、手術の失敗を招き、手術を受けた人の心身を傷つけるだけではなく、業界全体に対し悪影響を与える。」[19]と、整形業界の将来の問題点についても話している。
(2)整形に対するアンケート
◇ 自分が美容整形した場合の想定される家族の反応
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◇ 他人が美容整形していることに対する自分の態度
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第四章 現代の若者の意識
(1) 現代女性が求める美
愛知大学現代中国学部が今年、中国西安で実施した現地調査の結果によると、現地の中国人に「どのような女性が美しいか。」の質問に対し、「教養がある」、「健康である」、「生活態度が良い。生活作風端正」など、外見の美しさではなく、内面の美しさを重視した回答を多く得られた。「内面の美しさを引き出すには、健康であることが条件にあり、健康であることが、美女の最も重要な条件である。」という人もいる。
私の中国人の友人にも同様に、「どのような女性を美しいと思うのか」と質問した。結果、遼寧省の女性(24歳)は「心がきれいな人。外見より心のほうが大切だ。」と答えた。上海出身の女性(26歳)は、「自信を持っている女性」と答えた。この二人の答えからも分かるように、中国人の女性にとって美しいとは、外見部分を重視されるのではなく、内面からみる美しさを重視している。
私が中国留学していた2004年2月から一年間で、化粧の仕方について中国人に質問した結果、「ナチュラルが一番きれい」との回答を得た。また、中国人女性は、自然の美しさを重視している。このことから、普段化粧をしている人が少ないかもしれない。また、「自分は自分。私は自分が好きで、自分を大切にしないことはいけない」と聞いた事もある。このことから、中国人の自分に対する自信は内面から出ていることを感じる。
また、中国人の男性が恋人、結婚相手に求める条件として、性格が半数以上を占めることからみても、中国人にとって、中身の魅力は重要であることがわかる。
(2)中国人の意識
以下の結果は、株式会社サーチナが上海と北京の現地法人である上海新秦信息諮旬有限公司(上海サーチナ)と北京新秦端正市場調査有限公司(北京サーチナ)とともに、中国一般消費者の生活実態を探るため、インターネット調査を行った結果である。
≪ファッションの流行に対するスタンス≫
「自分の趣味のペース」を重視し、自分に似合ったものを取り入れる傾向にある。「流行にはのりたくない」人も多く、自己流を貫く人が多いと考える。
≪ファッション全般で重視していること≫
自分に似合うことを重視する人が、半分以上占め、他人とは違った自己を強調しているのではないかと考える。
≪衣服(外からみえるようなもの)を選ぶ決め手≫
「自分に似合うこと」が全体平均からみて、最も多い。ここでも、「流行」と答える人が少なく、流行に対し過剰に敏感でない。
おわりに
〈参考文献〉
中国消費者の生活実態 −サーチナ中国白書 2005〜2006− 端木正和 2005年3月
美女とは何か 日中美人の文化史 張競 2001年10月
化粧 春山行夫 平凡社 1988.11
現代女性ミニ事典 マーゴ・マクルーン、アリス・シーゲル 松柏社 2004.7
中国女性の一〇〇年:史料にみる歩み 中国女性史研究会 青木書店 2004.3
おしゃれの哲学:現代学的化粧論 石田かおり 理想社 1995.12
化粧せずには生きられない人間の歴史 石田かおり 講談社 2000.12
吉本隆明全著作集 第6巻 吉本隆明 勃草書房 1983.3
纏足−9センチの足の女の一生 ピョウ漢才 小学館
フランセット・パクトー『美人−あるいは美の症状』 研究社出版株式会社 1996
村澤博人『美人進化論』 東京書籍株式会社 1987
侯若虹『人民日報』人民中国雑誌社
笠原仲二『立命館文学』中国人の原始的美意識について―中国人の美意識についての研究序説 立命館大学人文学会 1962.06
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/035.htm
http://www.d1.dion.ne.jp/~kalinka/china/yomoyama/customs/kinrenpo.htm
http://www.mallowshouse.com/04fusi-1.html
http://news.sina.com.cn/s/2004-05-24/01392606323s.shtml
http://www.norenkai.net/shinise/jien/main04ha.html#hi
http://coolboy.blog63.fc2.com/blog-entry-210.html
http://www.campuspark.net/missinternational2004/about.html
http://www.miss-international.org/
http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/200607/14-13yi.htm
--------------------------------------------------------------------------------
[1] 『中国人の原初的美意識について』971
[2] 『中国人の原初的美意識について』973
[3]
[4]
[5] フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[6] 『美人とは何か:日中美人の文化史』 張競 晶文社 2001.10 24
[7] 『ダカーポ』第19巻代12号(No.423) マガジンハウス 1999.6.16 6
[8] 『愛の解剖学』 カール・グラマー 紀伊国屋書店 1997.2 168~169
[9] 『美容外科の真実−メスで心は癒せるか』 塩谷信幸 講談社 2000.2 50~51
[10] 『愛の解剖学』 カール・グラマー 紀伊国屋書店 1997.2 159
[11] 『愛の解剖学』 カール・グラマー 紀伊国屋書店 1997.2 159~160
『美容外科の真実−メスで心は癒せるか』 塩谷信幸 講談社 2000.2 51
[12] ミス・インターナショナルの理念:「女性による国際社会への貢献を実現すること」を目的に、ビューティページェントを通じて世界中にミス・インターナショナルの‘友情ネットワーク’を広げていきます。そして、女性のもつやさしさが、慈善・博愛・友好の精神となり、「国際親善」や「世界平和」に寄与しています。
[13] フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[14] フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[15] 『人民日報』
[16] 『人民日報』
[17] 『人民日報』
[18] 『人民日報』
[19] 『人民日報』
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