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シュルロのシンポジュウム「女性とは何か」以後と現代の課題
「性差の科学」を読んで

西川 祐子氏 

 愛知大学の総合科目は、「性差の科学」をテーマに生物学を中心とする自然科学の各分野の専門家による連続講義を行った。この本は第1部に講義担当者たちと社会学部出身で元文部大臣赤松良子氏の討論を収め、第2部に講義内容が収録されている。第1部の討論により、自然科学の最近の成果と社会科学との接点、さらに社会政策との関連が探られている。大学の総合科目がこのように周到に準備され、しかもその成果を本に残すことができたとはうらやましい。各章の後ろにコメントとして受講生の感想が収められていて、講義の雰囲気、新鮮なリアクションのありようをうかがうことができる。各大学にある総合科目は、専門領域に別れてしまった研究者たちの交流の場となりうるという提言も貴重である。

 この本はまた、大学の講義にとどまらず、将来性差について学際的シンポジュウムを開催するための準備という大きな意図が込められている。シンポジュウムのモデルは1975年に社会学者のエヴリーヌ=シュルロと生物学者のジャック=モノーとが企画した学際的国際シンポジュウム「女性とは何か」であるという。このシンポジュウムの記録のフランス語版はシュルロとチボーの編集により1978年に出版された。日本語の翻訳は1983年の出版である(西川祐子・天羽すぎ子・宇野賀津子訳、上下二巻、人文書院)。

 翻訳者は著者ではない。しかし原著の最初の読者であるということはできる。私はここで「性差の科学」と「女性とは何か」の両方の読者として、二つの仕事の比較と両者を隔てる四半世紀に及ぶ時間の経過について考えることが要請されている。私自身、強い期待を抱いて「性差の科学」を読んだ。なぜなら「女性とは何か」の翻訳を思い立った一つの理由は、自分がその当時からさらに四半世紀前の中学校で習った生物学とはあまりに違う内容、その間の科学の躍進に目を見張ったからであった。DNA情報の発見、出生前後の性分化のしくみ、性差の各レベル(遺伝子・ホルモン・脳・そして教育)、「閾」の概念、「性自認」、「保護養育投資」といった進化のとらえ方、生殖テクノロジーといった新しい情報は、いずれも人類の思考にパラダイム・チェンジを迫るものであった。事実産むことが選択の行為となった後の第2波フェミニズム運動は、以前の運動とは別の運動となった。社会科学においても新しい歴史学と呼ばれる社会史・女性史・女性学などが生まれ、人口学が活性化し、人類学・心理学が発展した時代であった。シュルロのシンポジュウムには、当時まだ日本語ではその著作の紹介がなかった新進の研究者たちが続々と登場し、自然科学と社会科学の対話と討論が繰り広げられていた。討論の中から、生殖の政治、特に南北問題が大きく浮かび上がり、各学問の持つ政治性についての自覚も深まってゆくところを読むことができる。

 今、それからさらに25年が経とうとしているのである。自然科学はあれからどの分野を発展させたのだろうか。学問の発展は社会的な投資の結果でもあるのだから、そこに大きな政治の力を読むこともできるであろう。そう考えて比べてみると、「性差の科学」第2部の各章に収められている生物学・医学・行動学・脳の研究などの情報の厚みは確かに増している。だが「女性とは何か」に出されていた問題の発展、データの付加あるいは訂正以上の、再び思考の枠組みの変更を迫られるような認識上の決定的事件はむしろ少ないという印象を持った。今はむしろ科学の発展が緩やかな時期なのだろうか。

 もう一つ、この本の中では性差に蓋をして見ようとしないフェミニスト・フェミニズムといわれているものの姿が見えにくかった。本書にはフェミニズムとしては60年代アメリカのフリーダンやNOWの例が引かれているだけである。日本の例は挙がっていない。しかし日本社会も60年代・70年代・80年代・90年代とフェミニズム運動・フェミニズム理論・女性史研究・女性学・ジェンダー研究が論争を繰り返しながら仕事を蓄積してきた。私たちが「女性とは何か」の翻訳で悪戦苦闘したように、人文・社会科学系列の人間はわからないことだらけの自然科学をそれでも知ろうとして苦労している。同じだけの苦労に値するものの蓄積が一方にもあることに関心を持ってほしい。本書では「客観的科学的」という表現が疑われることなく繰り返されている。その一方にフェミニズムはイデオロギーだからという断定があって、フェミニズム理論の理解をあらかじめ妨げているのではないだろうか。科学史が明らかにするように、科学もまたイデオロギーの一つであり、研究予算は政治の場であることを忘れることはできないと思う。

 シュルロのシンポジュウムの未来予想が楽観的すぎて、はずれているのは生殖テクノロジーの発展、さらには新しい技術が引き起こす諸問題についてである。「女性とは何か」では、ピル他の産児調整技術のほうに関心が集まっていて、産む技術、例えば試験管ベビーは遠い未来のこととされていたが、シンポジュウム直後には実現した。今では不妊治療・体外受精他の医療技術はさまざまな方向に発展し、親子関係の概念、ひいては近代家族イデオロギーを変える要素があることは明らかである。すでに法律レベルでの対応が問題化している。現在、生殖テクノロジーや環境ホルモン問題はテレビ・新聞が最も多く取り上げる話題の一つである。したがって「性差の科学」が目指す将来のシンポジュウムには、生殖が大きなテーマとなるに違いない。「生殖」はまた、自然科学と社会科学が、そして研究と政治とが最も交差するテーマであって、すべての研究者にとって避けて通ることはできない。歴史的・空間的に広い視野を持つシンポジュウムが実現し、さまざまな立場・領域の交流が実現することを願う。

西川 祐子
〒606-8413
京都府左京区浄土寺下馬場町75
FAX:761-0643








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