愛知大学中日大辞典編纂所とは
愛知大学中日大辞典編纂所の歴史
中日大辞典第三版について
中日大辞典増訂第二版について
日中語彙研究
購入のご案内
アクセス
リンク
トップページ

愛知大学
中日大辞典編纂所
Aichi University Chu-nichi Daijiten Compilation Office

愛知大学中日大辞典編纂所とは
愛知大学中日大辞典編纂所 郭沫若先生と馮乃超先生



 愛知大学の創立と東亜同文書院大学とが深く結びついているように、『中日大辞典』も同文書院の中国語研究・教育と分かち難い。
 上海にあった同文書院では1933年頃華語研究会(中国語教員の研究組織)により華日辞典編集のための原稿カード作りが始まり、1945年の敗戦までにその数は14万に及んだが、中華民国政府により敵産として接収された。
 愛知大学創立後、しばらくして本間喜一学長(同文書院大学学長)は鈴木擇郎教授(同文書院教授で華語研究会の責任者)に相談し、この原稿カードを返還してもらうよう中華人民共和国に働きかけ、1954年9月に原稿カードが返還された。関係者らの協議の結果、原稿カードは愛知大学に付託されることとなり、翌年4月に華日辞典編纂処が開設され、辞典の編集が開始した。
 中国社会も中国語も変化が著しく、原稿カードは最初から作りなおすこととなり、13年間の年月をかけ1968年、大学創立20周年を記念して愛知大学『中日大辞典』が刊行された。我が国最初の本格的中国語辞典として評価され、翌年には中日文化賞を授与された。
 1973年、辞典編集メンバーは文革のさなか、愛知大学学術訪中団として南開大学、北京大学、復旦大学で中日大辞典に関する座談会を開き、中国側の意見を直接聞く機会に恵まれた。1975年、増訂版出版のため編纂処を再開し、旧版を基礎にして内容面においても更に充実した第二版、増訂第二版が刊行された。
 2003年、名古屋キャンパスに移転し中日大辞典編纂所と改称、大学創立60周年(2006年)の記念事業の一環として第三版の刊行が決まり、内容を全面的に見直した第三版が2010年2月刊行された。
 『中日大辞典』はその誕生から日中友好の絆に結ばれており、“日中友好の船、文化交流の架け橋”として広く日中両国の人々に愛用されている。
画面トップへ

 辞典編纂所に掛けられた扁額“激濁揚清”の四字は郭沫若先生の筆になる。郭先生は、文学者、文字学者、歴史学者にして詩人、作家、また書家としても著名である。中日大辞典刊行のきっかけとなった原稿カードの返還については、先生の並々ならぬご尽力をたまわった。
 文化大革命中の1973年に愛知大学学術代表団が南開大学、北京大学、復旦大学で、辞典に関する座談会を開くことができたのも郭先生の招聘によるものであり、その折には北京人民大会堂で親しくお目にかかる機会も与えられた。濁ヲ激シテ清ヲ揚グとは、語彙の大海から典範たるべき詞語を採るの意とすれば、まことに辞典編纂にふさわしい。
 また両国国民に大きな不幸をもたらした時期を含む日中交流の歴史を考えれば、その激流に身をもって生きてきた郭先生が日中間に数奇な運命をたどりつつ生まれ出るこの辞典に対して持つ思いを読みとることもできよう。
 戦後、初の中国学術代表団(郭沫若団長)が来日の際、本学の辞典編纂を鼓舞するため、副団長の馮乃超先生(中山大学副学長)がわざわざ本学を訪問された。郭沫若先生・馮乃超先生ともに戦前日本に留学した知日派である。
画面トップへ

Copyright 1998-Now AICHI University. No reproduction without written permision.