-現代中国学部-

 

 


 つい先日ゴールデンウィークと思ったら、もう5月も下旬。
4か月の現地プログラムも既に半分以上の課程を終え、日本宛の荷物の準備やHSK試験の話題が持ち上がるなど帰国(!!)を感じさせる時期となりました。

 5月20日・21日の日・月曜日2日間は、教学実践(農村+長城見学など)でした。天津からバスで3時間ほどの距離にある、薊県小平安村というところに行ってきました。
 しかし、見学と言っても実質数十分に過ぎず、質問も十分に出来ない人が多かった模様。それでも百聞は一見に如かずと言ったところか、皆の中に見学前とは違った何らかの印象が残ったようです。

 お昼は、農村レストランで食事をとりました。やはり農家だけあって、野菜中心のメニューでした。

 万里の長城……の一部分にも行ってきました。
そもそも長城というのは北方民族の侵入を防ぐために多数の国が好き勝手に造った物なので、全てが繋がっているわけではないのです。
 今回私たちが行った場所もそのひとつで、端と端が見えるようなミニ・長城でした。
登ってみて初めてわかったのですが、階段の段差や勾配が意図的に崩されていてとても歩きにくく感じ、そこに防御壁としての実用性と先人の知恵を垣間見ることが出来ました。

 天津で授業を受けているだけでは知ることのない中国に触れることが出来て、貴重な体験となりました。
 
 現地プログラムも残り1か月強となってしまいましたが、まだまだこれから新しい経験を求めて、積極的に活動していきたいと思います。

 

農村で見かけた山羊さん
万里の長城 一部

 


 第
5回               2006/05/26 三好章


 現地プログラムでは多くの行事を行い、学生が中国をよりよく理解し、また学んだ中国語を実際に使えるように、機会を設けている。今回は、その行事のひとつ「教学実践活動」について紹介しよう。

 「教学」という言葉は、日本語にも中国語にも存在するが、若干意味が異なっている。日本語では主に「教育と学問」であり、中国語では「教育」「教授」 「授業」という意味になる。現地プログラムでの「教学実践」は、「教えられたことを実際に用いてみる」という意味合いが強い。

 さて、今年度の教学実践活動は5月21日(日)~22日(月)。1泊2日の小旅行であった。目的地は近年の行政区画変更で天津市に編入された薊県。中国 の場合、「県」は農村を意味する。要するに、行政区画は天津市だが、その農村地帯ということ。ただ、愛大会館がある天津市中心部からは100 ㎞以上も北にあり、名古屋からなら浜松や大垣より遠くにあることになる。これでも、同じ天津市内。

 1日目。肌寒い小雨の中を、午前7時15分頃、予定より若干遅れて、愛大会館を出発。途中、高速のサービスエリアでトイレ休憩の後、薊県小平安郷に。午 前中に雨も上がった。10人ほどのグループに分かれ、農家訪問。農家の中を見学させてもらったりした後、2グループごとに食事。「農家菜」だった。お世話 になった農家の多くは、「農家院」と看板を出していて、日本で言えば「民宿」。リンゴや栗などの果樹と、蜂蜜やキノコ栽培を主とする山村と言った方が実態 に近い。昼食後、黄崖関長城を見学。学生の中には、これを最も楽しみにしていた者も多く、一生懸命に長城を登り降りしていた。が、修復された長城の入口に は、戚継光の大きな近作の石像もあり、いかにも観光地然としていた。

 その後、薊県県城を見学した。20年ほど前には、文革で住職が追い払われて荒廃しきった古刹獨楽寺と人気のない県城であった。今は別世界、「唖然」の一 言。何を言っているのか全く判らないほどの喧噪、騒音の中、無秩序に並んだ商店街が消費を煽る図が展開していた。相変わらず住職のいない寺は、「拝観料」 ではなく「入場料」を徴収していた。
宿泊は、盤山。烈士陵園の近くにある公安訓練センターだった。ここは、その昔、抗日根拠地があったところで、そこから考えても貧困地区。

 2日目。午前8時出発。一日中晴れ、気温も上がる。薊県から天津に戻る途中、宝テイ(土ヘンに氐)の経済開発区で衣料品製造工場と機械部品工場を見学し た。衣料品工場では、労働者の大部分が初中卒、月給600 元、休日は月に2日、1日あたりの労働時間は10時間以上という。「産業革命のころみたいですね」と言った学生がいたが、まさに的を射た発言だった。ディ ケンズ的とまでは言わなくとも、現在の中国の低賃金長時間労働の実態がそこにあった。中国経済に関心を持つ学生にとって、その力強さがどのように支えられ ているのかを知るよい機会だったのではなかろうか。午後2時過ぎ、予定より1時間早く、南開大学に戻った。

 全般的に、学生諸君の「教学実践」は、中国への関心を高めるという目的達成には、有用であった。ただ欲を言えば、社会への主体的アプローチが不足してい る学生にとって、自ら質問をするというのは、かなりきつい体験ではあった。彼らは、何に興味を持つか、関心を持つかが、今後の人生で問われてくる。自ら考 えない「指示待ち人間」では、主体的な質問は難しい。中国語を学ぶ目的が「中国経済は調子がいいし、これからも伸びるだろうから、やっておくと得」という ような功利主義的な意識に由来するのであれば、中国について勉強しても、表面的な理解に終わるのではないだろうか。

 なお、5月17日には、天津一汽TOYOTA の吉田耕三氏を講師に、第4回現地講演会が開かれた。

 

農家を訪問する学生
観光地で写真撮影

 

工場見学